ゲーム研究室


確率の理論


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「その2.運は実力のうちか?」

 八八の順番を決めるとき、花札を引いて決めるとしよう。最も若い月の札を引い た人から順に座り直してゲームを行うわけである。ある人が10回やって7回も親 になった。次もこの人が親になる確率はいくらであろうか?
 答えは7/10つまり7割である。過去において10回中7回の割合で親になるカー ドを引き当てているのであるから現在においても同じ割合であろうことが期待され るからである。
 こういうことを書くとA氏が「では花札に記憶装置が付いているのか」と聞いて くるに決まっているのだが、いうまでもなくそうではない。私の知る限り記憶装置 の付いた花札なんか販売されていないからである。
 ではここでなぜ確率が7割になるのか理解するために、プロ野球における打者の 打率を考えてみることにする。打率4割とはこの人は過去に10回に4回の割合で ヒットをうったから、次の機会においても同じ割合でヒットを打つことが期待でき るという意味で用いられる。ここで「この打者の打率は全打者の平均打率より著し く高いのでそろそろ打たなくなるな」などと言って試合に出さなくしたりする監督 は一人もいないし「もうそろそろ打たなくなるからひっこめろ」などとやじをとば す客も全くいない。この例え話を読んで「もっともな話だ」と思えた人は、先の確 率がなぜ7割なのか理解できたことであろう。
 実はこの件についてA氏はかつて「打率は打者がヒットを打つ能力である」とい って私の説を否定したが、賢明な読者諸氏にはこれは全く否定する根拠にならない ことにきずくであろう。なぜなら、ヒットを打つ能力に個人差があるなら、特定の 札を引く能力にだって個人差があるに違いないからである。
 こう考えればよい、バットを振ったところにたまたまボールがきてヒットになる のであり、手を伸ばしたところにたまたま松があって、親になるのである。もちろ ん打ってもアウトになることもあるが、松を引いても親になれないこともある。少 しずれたところにボールがきて当たりそこなってもヒットになることもあるし、少 し月がずれて梅や桜になっても親になることもある。
 この例からこの2つの事例が同じシステムであることが理解できたと思われる。
 こういう話がある。ある村で村長を選ぶときに、カードを引いて選ぶことになっ た。その村にはちょうど53世帯が住んでいたので、ジョーカーを引き当てたもの を村長にしようというわけである。ある家の主人は妻や子供たちにカードを引かせ 長男が最もジョーカーをひきやすいことをあらかじめ調べておいて、カードを引く 際長男に代理で引かせてみたところ見事ジョーカーを引き当て、彼は村長になるこ とが出来た。(「運も実力のうち」の故事)
 この諺は、現在では「偶然勝っても、勝ちには違いないよ」という意味で用いられているが、 この故事からわかるようにそれは間違いである。
 別の諺はこう教えている。「敵の運を知り、己の運を知らば百戦して危うからず」。 誰がどの目を出しやすいか調べてからゲームにのぞめば、少なくともライアーズダイスにおいては、 もはや負けることはないであろう。

 注意)去年4割打ったからといって、今年もそうとは限らない。 野球では前のシーズンの成績は無視するからである。 つまり、シーズンが終わるとリセットされてしまい、次のシーズンは最初から数え直しになるのである。
「いつリセットされたか」これが重要である。

 名越康裕(なこしやすひろ、ボードウォーク・コミュニティー会員)


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