冗談の部屋


ヒトゲーム計画とは何か

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 はじめに

 昨今の科学の進歩には目を見張るものがあるが、近年すばらしい成果が現れた。全てのゲームには共通の基礎部分があって、ゲーム全体はそれらの組み合わせで解明できるというものである。 生物で言えば遺伝子のようなものがゲームにもあるという考え方である。その説によれば、すべてのゲームは4つの因子の分類で解明できるとしている。 その4つはC、G、A、Tの頭文字で表されるもので、因子によって種類の数は異なるが、基本的にはすべてのゲームがそれを使って証明できるとされている。 すなわち、例えばCの種類の数をw、Gの種類の数をx、Aの種類の数をy、Tの種類の数をzとすれば、すべてのゲームは {C(w),G(x),A(y),T(z)} の形で表すことができ、w,x,y,zの数がわかれば存在し得るゲームの総数はw×x×y×zで表されることになるのである。 これはゲームの分類方法に新たな手法を生み出すことも考えられるし、ゲームの制作にもある程度の法則が見出せるかも知れず、関係者の間では期待が持たれている。 ちなみにC、G、A、Tは因子の頭文字である。

 構成要素

 遺伝子の一つ目、それは構成要素(Component)である。ゲームを形作るものには どのようなものがあるだろうか。種々多様なゲームであるが、構成要素の種類は比較的少ない。ボード、カード、サイコロ、駒、チップ、紙幣。 だいたいそのようなもので済んでしまうのではないだろうか。 一つのゲームは一般にこれらの構成要素複数から成り立っているが、これもだいたい似通っている。 似た構成要素のものをまとめてグルーピングすることはゲームを大きく分類するのに役立つ。 例えばボードの無いもので、カードが入っているものはほとんどがカードゲームに分類される。 特にカード以外に要素が無いものは純カードゲームと呼んでいいだろう。 時には得点集計用紙や鉛筆や早見表や得点計算用のチップが入っているものもあるが、これはサービス品として考えれば良く、このあたりは純カードゲームの範囲である。  同様にダイスゲームも、そのくらいの付属物のついたものは純ダイスゲームと呼んで良いだろう。 少々厄介なのはカードとダイスの両方が入っているものである。 これは他の因子を見ないと判断しがたい。数としては非常に少ない。  ボードゲームは少々厄介である。ボードが入っているものをボードゲームとしてししまうと、付属物としてボードのついたカードゲームやダイスゲームを混同してしまうからである。 このようなゲームも他の因子で判断したほうがよさそうであるが、一般的には盤と駒があればボードゲームと言って良いだろう。  アクションゲームの場合は特殊であるようだが、何らかの成型物という点では種類は多くないようである。特に動力を持たないアクションゲームの場合は限られる。

 目的

 二番目は目的(Goal)である。ゲームの最終目的は勝つことだが、どうしたら勝ち になるかということはゲームによって様々だ。しかし、目的は結構いくつかに分類できるものなのである。  「取る」「集める」「作る」「達する」などが多くのゲームの目的である。 カードゲームでは手札を無くす、などというのもあるが、多くはトリックを取る、カードを集めるぐらいではないだろうか。  ボードゲームの場合、古くは競争、陣取り、駒取りなので分類も楽であった。 すなわち、目で見てわかるものである。これらのゲームはまさに「取る」「達する」である。 近世になって貨幣経済が発達してくると、金儲けというのが出てくる。 しかしこれも数量という項目で「集める」「達する」にくくれるものである。 「当てる」「捕まえる」等のゲームもあるが、大きな意味では新しくない。 これらは皆達成する意味合いがあるものである。一つ動詞を挙げてみて、それが既存のゲームの終了条件になければ、それを条件とする新しいゲームを作ってみるのも手かもしれない。  一つ注意したいのは、一つのラウンドの終了目的とゲームの終了目的が異なるものがあることである。

 動作

 3番目のプレイヤーのする行為(action)である。  カードゲームの場合は結構簡単である。出すという行為でほとんど済んでしまうからである。 ゲームに幅を持たせたり、独自性を出すために宣言したり賭けたりしたりするような付随行為を行うことがあるが、基本的には"引く"と"出す"で済んでしまうことが多い。これはカードの特徴がそういうものであるためだからだろう。  ダイスの場合は単に振るだけでは済まないことが多い。これは種類が豊富で絵柄が異なるカードに比べ、ダイスは単純でしかもプレイヤー全員が使う共有物であることが多いので、単に振るだけではゲームを構成しないからである。 これも選ぶ、割り当てる等々の行為が伴うが、あくまでも付随行為であって、メインは"振る"でなければならない。 そうでないとダイス自体が付属物であって、それはもうダイスゲームとは呼ばれないだろう。  古い時代のボードゲームは交互に何かをする、例えばサイコロを振って駒を動かしたり置いたりするものがほとんどであった。 これは双六のように駒が競争するレースゲームや将棋のように駒の取り合いをする戦争ゲームなど盤上だけで勝敗が決定するものだっため、他に何もいらないのでそれだけでよかったのだろう。 しかし、時代の進歩とともに、様々な要素が入ってくるとどうしても盤外でのアクションというものが入ってくる。例えば金の要素が入ってくれば、金のやりとりというものが発生する。 その他、カードを引く、サイコロを振る、交渉する、競売する、投票するといった行為がボードゲームの要素として挙げられるのである。  アクションゲームの場合は無限の行為が考えられそうだが、屋外でするゲームや全身でするゲームを別にし、テーブルゲームだけを考えればあまり、バリエーションは無い。  大きく分ける元は、全員同時に何かをするゲームか、それとも一人ずつ何かをするゲームか、ということ、それから反射神経・スピードを要求するか、ということぐらいだろう。

 テーマ

 4番目のテーマ(Theme)はゲームの背景である。根幹としては不要なものであるが、 ゲームの味付けや親しみを増すために付けられているものである。近年ではこれの方が重要になってきているようである。他の因子に限界がきているからだろうか。  古いゲームは実に抽象的で、盤は平面に線が引かれたものでしかなかったし、駒は存在を示す物体でしかなかった。 それが徐々に性格を持ちだしたのは、で何かになぞらえたほうが親しみやすいからなのか、わかりやすいからなのかは良くわからないが、文明の進歩とともにゲームにはテーマが与えられるようになってきた。 単に石同士の取り合いでしか無かった将棋は馬や車を用いた国同士の戦争になったし、双六は東海道五十三次の道中になったりした。 囲碁までも鷺と烏の争いにたとえたがる者もいる。時代の変遷とともに、世界一周、テレビ、宇宙開発、冷戦等々、様々なものがゲームのテーマとして登場してきたのである。 ありとあらゆる事象がゲームのテーマとなると、その分類が大変である。 かつてすべての事象を網羅しているに近いということで、図書分類を用いてゲームの分類を行ったことがあったが、これも破綻に近いものがあるような気がするし、ゲームに当てはめるには多少無理がある気がしないでもない。

 終わりに

 以上のようなわけで、ゲームを構成する要素が明らかになってきた。 しかしまだゲームの面白さを表す指標の存在は依然不明確であり、どういう因子をどういう組み合わせで用いれば面白いゲームになるのかがわからないということである。 まあこれがわかってしまっては逆に面白みがなくなってしまうのかもしれないが。

 余談だが、ただプレイしてもらうには何か新しい物を取り入れれば良い。 ゲーマーと呼ばれる一部の人種は総じて新奇愛好癖がある。 新しいものはとにかくやってみたいという異様な性癖である。 従って過去に存在しないATCGの組み合わせを用いれば、どんなに面白くなくても一回は遊んでもらえるだろう。 それがそのゲームにとって名誉なことだとはあまり思えないのだが。


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