冗談の部屋


タキ−その歴史と展望

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 1996年11月、ボードウォーク・コミュニティー10周年とともにタキ大会は第20回を迎えた。 いまだかつてこのようなテーブルゲームが特定企業の支援も無しに、10年も続けてこれほど大規模に大会を続けた試しはなく、これは一大事件なのである。 今後ますますタキは人口に膾炙し、その地位を高めていくことは間違いない。 その模様をわかっている範囲でお知らせしておこう。 これだけ大きな大会を行なうタキは次第に日本の各地に広まっていく。 囲碁・将棋はすっかりメジャーになり、モノポリー人気は影を潜めてしまった今日、次に出てくるのはタキをおいて他無い。 囲碁・将棋のように実力一遍当でなく、モノポリーのようにいやらしくなく、ルールが簡単ですぐに覚えられるタキが入気を博すことは明白である。 一年でタキ人口は10万、3年で50万、5年で100万に達するであろう。 そうなれば企業が見逃すはずはない。 大会はスポンサーを得てますます盛大・華美になり、それはタキ人口を飛躍的に増大させるのである。

 1時間で終わっていたタキ大会は、地区予選から県大会、全国大会と年に一度、3ヶ月を要する巨大な国民的行事となる。 しかもそれは日本選手権大会だけである。 学校大会や町内対抗などを含めれば、毎日どこかでタキ大会が行なわれているのである。 これが海外に飛び火することは疑い無い。 日本滞在のジャーナリスト、日本通のタレントなどから発せられるタキ人気は世界のあちこちで発火し、燎原の火のごとく燃え広がるのである。 なにしろ数字は1から9まで。言葉もTAKIという記号のようなものだけ。ルールも簡単。 先進国から発展途上国までタキをプレイできない入間はいないのである。 世界大会が開かれてもおかしくない状態になったあたりで、登場して来るのはイスラエルである。 タキはもともとイスラエルのシャフィール社のゲーム。 国内ではパッとしなかったが、世界中でこれだけ人気が出てきているのだから本家の名乗りを上げて利益を独占しようという態度に出ないわけがない。 まずイスラエルはタキの本家であることを発表する。 権威をつけるために、歴史があることを持ち出すのは常套手段である。 その際に持ち出されるのはボードウォーク・タイムズの56号なのは予想に難くない。 そしてタキを国技として発表するのである。

 この後に来るのはもちろん自分の主催による世界大会の開催である。 しかしこれは多くの国々によってボイコットの憂き目にあう。 原因はイスラム諸国によるアピールである。 曰く、イスラエルは好戦国であり、ゲームを戦争に利用しようとしている云々。 そこでイスラエルは一切の対外戦争を止め、抗争をタキで解決しようとする。 これはイスラエルが平和国家であることを訴えるとともに、タキの宣伝効果を兼ねた一石二鳥の作戦なのである。 これに乗らないと世界から非難されることは当然である。 イスラエルは言う。 「かつて争いが好きな君主がいて戦争ばかりしていた。ある日見かねた家臣がこの君主にチェスを教えた。 君主はすっかりチェスの虜となり戦争をするのを忘れた。 かくて国に平和が戻った。この逸話をタキは再現したのだ。」 こうして20世紀後半最大の事件、中東紛争の解決という大事件が起こる。 発端となった当会にはその年のノーベル平和賞が与えられる。 中東だけで始まったタキ大会は次第に参加国を増やし、ヨーロッパからも参加国が出るようになる。 そろそろいい頃だろうとイスラエルが再び国際大会を提唱すると、今度は否定される理由も無く盛大に国際大会が開かれるるようになる。 時を同じくして国際タキ連盟が発足。初代総長は…まあイスラエルに譲るとしよう。 タキ連盟は国際統一ルールを規定したり、作法などを示したりとタキの国際標準化を図るのである。 流行語「カラタキ」は、ここで正式なタキ用語として認められる。 併せてその年の流行語大賞も受賞だ。 そしてタキは世界100カ国にまで広まっていく。こうなるとタキは地球的ゲームとなる。 チェスもバックギャモンもブリッジも果たせなかった全世界ゲームにタキはなる。 そしてゲームとして初めてオリンピックの正式種目として取り上げられるのである。

 2年に一度、交互に開かれるオリンピックと世界選手権大会を通じてタキの地位は着実に上がっていく。 それにつれて優勝賞金はますます高額になり、チャンピオンは国民の、そして世界のヒーローとなり、ゲーム界初の1億ドルプレイヤーを生み出す。 小説に、テレビに、映画に、タキの出ない日は無い。 世界の各地にタキクラブ、タキ道場、タキ喫茶が開かれ、小学校の授業にもなるのである。 第1回タキ大会の開かれた東京の銀座区民館は今はない。 そこはタキ博物館であり、入り口にはタキカードを持った瀧慶治の銅像が入場者を迎える。 中に入り、初代名入京嶋俊信の肖像画の下に置かれた錆びたトロフィーを見るとき、人は一つのるゲームが作り出した壮大な物語に涙するのである。 このタキの物語は教科書にも取り上げられることとなり、着実に歴史にその名を残すのである。 ボードウォークの名とともに。


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