米国患者残酷物語

(HMO Horror Stories) 

インターネットのはしりの時期ともいえる1997年ごろ、私はNet Surfingをしていて偶然”HMO Horror Stories”と題するサイトにたどり着いた。米国のhealthcare activist(医療問題活動家)Robert Raible氏が集めた数百の医療関係エピソードは不運・悲惨な体験をされた米国市民への同情と同時に、怠惰な日々を送っていた私に新鮮な好奇心を呼び覚ました。これは日本に紹介する価値ありと感じた私は、Raible氏にこれらstoriesを日本語に訳して紹介する許可を求め、快諾を得た。

こうして私のWebsiteに登場した「米国患者残酷物語」に最初に反応を寄せていただいたのは、東京医科歯科大学名誉教授岡嶋道夫氏であった。そのお誘いもあり、弁護士藤田氏の主宰されていたMI-Netに加わって様々な背景を持つメンバーとも知り合いになり、更には医師兼弁護士Frey氏の主宰する米国の医療メーリングリストDialogにも参加した。こうした人々の刺激・感化を受けつつ、米国の医療制度・問題を学ぶ中で私の頭の中に浮かんできたのは「ぼったくり」という言葉であった。HMO (Health Maintenance Organization)に象徴される管理型医療(managed care)を主要テーマとしていたDialogのメンバー達にとって、HMOを運営する保険会社は利益第一主義の貪欲・冷酷な悪魔のような存在であったが、私は保険会社の患者への冷たい仕打ちを誘発する背景として米国医療機関の異常に高い診療費があるのではと思い始めた。ただ、こうした医療供給サイドの問題を指摘する空気は当時のDialogにはなかった。

米国は自由な競争社会であり、切磋琢磨して高い技量を修得した者が高報酬を得るのは至極当然という空気の中で、医療機関・医師の診療費・報酬が高すぎると指摘しようものなら、米国人の精神的支柱あるいはAmerican Dreamを否定するsocialistあるいはegalitarian(戦前の日本ならさしずめ「お前はアカか!」)と非難されるおそれさえあった。

そんな中で、ある時意を決して、医師の収入の国際比較を持ち出して、この問題をDialog上で切り出した時、あるメンバーが述べた一言が今も忘れられない。

「部屋の中に大きな象がのさばっている。でも、みんな見て見ぬふりをする。政治家も決してこの問題には触れようとはしない。そんなことしたら、次の選挙では必ず落選する。これはそういう問題なのだ。」

当時(今から10年ほど前)はこんな空気であり、医療機関・医師の「ぼったくり (rip-off)」を指摘・糾弾する声はみあたらなかった。しかし、その後しばらくすると、ぼったくりという言葉こそ用いないものの、高すぎる医療機関の診療費や医師の所得を問題視する動きが徐々にみられるようになり、マスメディアにもこれをテーマとする記事が掲載されるようになってきた。米国もようやく重い腰を上げてこの問題を取り上げ始めた、という感があった。そんな中、最近Time Magazineに掲載された”Bitter Pill: Why Medical Bills Are Killing Us” (Steven Brill, Time Magazine, Feb. 20, 2013)はこの問題に豊富なデータで斬り込んだ労作である。米国はお金持ちあるいは十分な医療保険に守られた特権階級には世界最高レベルの医療を享受できる国であるが、それ以外の市民、とりわけ保険料の低い不十分な医療保険しか掛けられない層や無保険者にとって、米国の医療制度は非常に冷たく、残酷でさえある。例えば、月当たりの医療給付額に著しい制限のある安い医療保険(いわゆるデイスカウント保険)に入っていたある市民が、非ホジキンリンパ腫(がんの一種)の治療のため訪れたがん専門病院は、特効薬といわれる薬を一本注射するのに$13,702(約130万円)を請求した(仕入れ価格は$3,000 $3,500とみられ、その4倍もの額が請求されたことになる)。無論、この患者の保険はこのような高額な治療をカバーしていなかった。一回の注射で車一台分のお金がふっとび、しかも、治療は一回だけで済むわけもない。かといって、治療を止めれば、生命が脅かされる。こんな無慈悲なことがまかり通っているのが米国医療の現実なのである。

ぼったくりなど米国医療の抱える問題点はつまるところ共和党やtea partyに象徴されるplutocracy (富者/強者主導の政府・政治)に起因するという見方もあるが、anti-plutocracy的政策を掲げて登場したObama政権が2010年に成立させたPatient Protection and the Affordable Car Act (いわゆるObamaCare)が今後段階的に施行されていく中で、どこまで米国医療を矯正していけるであろうか。Obama氏が大統領候補時代に有権者に訴えていたsingle-payer healthcare system (統一的国民皆保険制度)を放棄した時点でObamaCareは既にplutocratsに妥協した見せかけの改革という厳しい見方もあるが、既往症による医療保険加入拒否の禁止や高額保険料のコントロールなどを盛り込んだ同法の施行はこれまで悪魔的医療制度の餌食になっていた人々に少なくともなにがしかの光明を与えるものであることは間違いない。

米国医療制度の問題点・帰趨は我々日本人にとっても大きな関心事である。膨大な財政赤字を抱え、更には、TPPに代表される市場開放の流れの中で、世界的にも優れたものであると定評のある(もちろん問題も抱えているが)日本の医療制度が今後どうなっていくのか、米国のような問題が起こらないのか、等々、注意深い監視と的確な行動が求められよう。


 


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翻訳・編集:Ichiro Fukumi rp8i-fkm@asahi-net.or.jp

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