忘れないでね。(改訂version)
「こんにちは、久しぶりだね。エーコ」
突然の久しい来客に、エーコは面白いほど瞳をぴかぴかさせた。
お姫様らしいかわいらしくも豪華な衣装の裾ををひるがえして、彼女は元気よく飛び跳ねる。
「ビビっ!!ひさしぶりじゃないっ!どうしたの?何しに来たの?遊びに来たの?エーコに会いたくなったの?それとも、買い物で」
身なりはすっかり変わってしまっているが、エーコはエーコのままだった。
ほんの少しだけ舌足らずな言葉も、眩しいくらいの遠慮のない笑顔も、子供っぽいその早口なお喋りも。
それが久しぶりに会ったにもかかわらず、なにもかわり映えしていなかったことに、すっかり安心してビビは肩の力を抜いた。
嬉しさのあまりひたすら喋りつづけるエーコ。
どこからそんなに話題がでてくるのかと感心してしまうほどのマシンガントークは、そのままにしておくとずっと続いてしまいそうだった。
「街、綺麗に修理が終わったんだね。案内とかしてくれる?」
遠慮がちに、それでも笑顔でビビが尋ねると、エーコは大袈裟にうなずいて見せた。
「いいわよ!」
そして外に追いやる動作。
しっしっ、と犬を追い払うようにされたビビのほうは「なんだよぅ」といいたげにエーコを見た。
「はいはいっ、レディーが着替えるんだから、ビビはあっちいって!」
ビビは思わず吹き出した。生意気なおませもまた、懐かしかったのだ。
「ほらっ、さっさと行くわよ!」
着替えたあとのエーコの出で立ちは、ビビのよく知っているものだった。
亡き祖父が作ってくれたと言う作り物の小さな羽つきの衣装。
幼い召喚士は、その羽を持っているのだから自分は天使のようにカワイイのだと言い張っていたことがあった。
そんなエーコに手を引かれていると、まるで時が戻ったかのような錯覚に陥る。
ここにきた目的を忘れてしまいそうになって、ビビはそっと頭を振った。
「どうしたの?」
気がついたエーコが小首をかしげて振りかえっていた。
「なんでもないよ」
と、ビビは笑った。
水色の空が、白い雲を浮かべて、遠くまで広がっている。
街に出ると、エーコにリンドブルム城の全景の見えるところにつれていかれた。彼女は自慢気に城を指差す。
空に届かんばかりに聳え立つ大きな城。
そのてっぺんを見上げようとすれば、たちまちひっくり返ってしまいそうになる。
「エーコね、いつかお城のてっぺんに登ってみたいんだ。恐そうだけど、あそこなら空に手が届きそうな気がしない?」
「空、に?」
エーコが大空にむかって手を広げているのを見て、ビビはどきどきした。
(空に手が届く?)
雲がよく流れている。見上げる空はあんなに風が強い。鳥は、吹き飛ばされてしまったりしないのだろうか。
思わず黙り込んでしまう。
生き物全てが行きつく先は空だという学者がいた。
その行きつく先に彼女は自ら手を伸ばしている。
(やめなよ)
ビビは思わず瞳を細めた。
彼はそんな空に行きたいとは思わなかった。
大切な人達の側を離れて、空に行くのはあまりにも哀しいと思ったのだ。ずっと、ずっと側にいたいはずだと思ったのだ。
「さぁ、行こう」
ビビは呟くように言うと、いままで引かれていた手を引いて歩き出した。
空。
流れる雲。
綺麗だと思ったこともあった。あの中に飛び込んでいきたいと思ったことだってあった。
でも。
でも、今は。
まだ、もう少し。
「あ、あ、待ってビビ。エーコここによりたい!このお店、可愛いんだから」
もう少しで泣き出してしまうところだった。苦しさにエーコを置いて走り出してしまうところだった。
慌てて立ち止まろうとするエーコによってそれが阻まれた。
彼女は大きな店に挟まれ、縮こまるようにして立っている小さな小物店を指した。
古く薄汚れた、流行らない店。でも、まるで、自分だけの専用のお店のような気がして、彼女のお気に入りだった。
チリンチリン。
中に入ると扉の上についた鈴の音が響いた。案の定、中に客はいなかった。
狭い店内を商品を眺めながら歩き回るエーコ。
泣き出す前にここにはいることができてよかった。
密かに苦笑しながらビビは彼女を眺めていた。
「あぁ、かわいい!!」
そして、彼女は小さなケースを見つけた。
5ギルコインほどの大きさのガラス玉が対になって入っているケース。
1つは水色、1つはピンク色のガラス玉だ。
二つはケースの中で静かに並んで光を反射している。
「おや、エーコ様じゃないか」
そのとき、奥から店の主人が顔を出した。
「あ、おばさん。これ、なぁに?」
エーコはどうやらこの店の常連らしかった。
店の主人は親しげな顔で笑った。
「あぁ、それね。お守りだよ。持ってると幸せになれる」
「ロマンティック!」
エーコは目を輝かせてケースを覗き込んだ。透明なガラス玉に彼女の顔が変形して面白く映る。
「うーん、買っちゃおうかな・・・」
「それ、ください」
そして、声を出したのはビビだった。
自分でも思わぬ行動だった。
エーコはガラス玉のように澄んだ瞳をまるくした。
ビビ自身も目を丸くしていた。いや、でも、なんとなくわかっていたのだ。
自分がエーコに会いにきた理由と一緒に。
ギルをはらってケースを受け取ると、ビビはすぐにケースを開けた。
そしてピンクのほうのガラス玉をだすと、それをエーコに渡した。
「くれるの?」
「うん、今日会えたことの記念。」
思わずそう答えてしまってから、「あぁ」とビビは小さく唸った。言うつもりはなかった。
「え?」
意味をはかりかねてエーコの顔がこわばる。
「会えたことの・・・?」
記念の意味がエーコにわかってしまわぬことをビビはそっと祈った。
「え・・・でも・・・」
「エーコ様!」
エーコが何か言おうとしたときだった、後ろから声がかかったのは。
「エーコ様、お勉強の時間にございます」
城の老執事であった。時間になっても戻らない王女を、彼はわざわざ探しにきたのだ。
「待って、今は・・・」
戸惑うエーコにビビは手を振ってみせた。
「いいよ。ボクのことは気にしないで。また会えるから」
エーコの顔から不安そうな色は消えない。
「じゃあ明日、会える?」
「うん」
「ほんとに?」
「ほんとだよ」
「絶対ね」
エーコは黙って小指を出した。
指切。
決して破ってはならぬ約束の証。
ビビは一瞬小指をつなぐことをためらった。だが、それではエーコの不安をかきたてることになってしまう。
ビビはうなずいて小指をつないだ。
「ばいばい」
「また明日」
ようやくエーコは手を振ってビビに背を向けた。ビビも精一杯元気そうに手を振った。
手を振りながらビビはほっとしていた。同時になにか引っかかるような罪悪感を覚えながら。
これでいいと思った。
誰にも心配はかけたくなかったから。
仕方のないことだった。
ところが、突然エーコが立ち止まった。
すごい勢いで駆け戻ってきたかと思うと、彼女は受け取ったばかりのピンクのガラス玉をビビの目の前に出した。
「これ、預かってて。明日までにペンダントにしておいて」
「え?」
「プレゼントならもっと素敵なものにしなさいよね。明日会うでしょ?だからペンダントにして明日エーコに返して」
ビビは言葉に詰まった。
これでは罪悪感の元がまた増えることになってしまう。今度こそは素直にうなずくことは出来なかった。
ひたすら黙りこくるビビの手にエーコはガラス玉を押し付けるように握らせた。
「絶対ね。明日会うのよ。どこにも行っちゃ嫌だからね。絶対に、絶対にそれ返してよ!」
一方的に約束を押し付け、エーコはにっこりと笑った。
その笑顔の中に淋しそうな気配が潜んでいるようだったのは気のせいだったのだろうか。
ビビは駆け去っていく幼い王女の後姿を目で追った。
その姿はどんどん小さくなっていき、最後に見えなくなってしまう。
(大丈夫。明日くらいなら。明日、くらいなら。)
ビビはそっと手の中のガラス玉を握り締めた。
約束の日。
「ほら、できたよ」
ビビは金色の鎖がついたガラス玉を、貴金属店の主人からうけとった。
安物の鎖ではあったが、宝石ではないただのガラス玉にはそのほうがよく似合っているかもしれない。
ライトに透かすと、屈折した光が綺麗に渦を巻く。
「プレゼントかい?」
「うん」
「ラッピングしたほうがいい?」
「いいです」
もちろん綺麗にラッピングされたプレゼントもいいと思う。でも、でも今日は、そのままプレゼントしたかった。自分の手でエーコの首にかけてあげたかったのだ。
代金を払い彼は笑顔で店をでた。
空を見上げた。
昨日のような水色の空は、今日はどこにも見当たらない。
今にも泣き出してしまいそうな空模様にビビは顔を曇らせた。
何かを暗示していると言われれば今日は素直に信じてしまいそうだった。
不吉な思いを振り払い、エーコが喜んだ笑顔を思い描きながらビビはピンクのガラス玉ペンダントをそっとポケットに入れた。
その時だった。首にかけていた自分のペンダントが床に落ちた。
エーコのとおそろいにした水色のガラス玉ペンダント。
鎖はきちんととめていた。つけてもらったばかりで新しいはずなのに、なぜか突然鎖が千切れてしまったのだ。
空のような水色がキラキラと光をふりまきながら落ちていった。
カツーン、と小気味よいくらいの音が響いた。ビビは拾おうと動くことができなかった。
運良く割れはしなかった。でも、彼は動くことが出来なかったのだ。
心臓が縮こまるような不安が急に押し寄せた。
安物の鎖だから、といえばそれで済む。
でも。
でも、切れた理由はそれだけなのだろうか?
(急がなきゃ)
ビビは水色のペンダントを拾うと足早に歩き出した。
リンドブルムはここから近い、30分も歩けばつくことが出来るはずだ。
(早く、、、)
焦りの気持ちがどんどん大きくなっていく。
何にそんなにおびえているの、と自分自身に問いかける。
理由がないわけじゃない。本当は分かっている。
本当は、、、
そのときだった。
ポツリ、となにかが落ちてきた。
雨だった。
空が、どんどん濁っていく。
いやな、予感がした。
彼の第6感が必死に何かを訴えている。
足を速めずにはいられなかった。走らずにはいられなかった。
ひどくなる雨。それはだんだんと視界を奪っていく。
重くなる足取り。
ビビはポケットの中に手を突っ込んだ。球形のものが指先に触れる。
あぁ、お願い。
どうか、どうかお願い。
ビビは濡れた皮手袋の手を握り締めた。
あと少しだけ、あと少しだけでいいから、
冷たさに痺れた手に、力が入らない。 それでも大切なプレゼントを必死に握り締める。
もう、雨の音しか、聞こえない。
消えないで
身の内で燃えている炎が見る間に小さくなっていくのを感じた。
どうしても、会わなければならなかった。
交わした約束を、破るわけにはいかない。
お願い、消えないでっ!!
ばしゃんっ。
ぬかるみに足を滑らせて彼は転んだ。
そして、水たまりに全身を濡らして彼はゆっくりと起きあがった。
でも、立ちあがることは出来なかった。
あんなに赤々と燃え盛っていた炎がもう今では、小さく頼りなく揺れる蝋燭の炎のようだ。
ビビはその炎を守るように、そっと自分の体を抱きしめた。
「・・・・・」
もう、命の炎はそう長くもちそうもなかった。
ビビは、その場にそっと体を横たえた。もう、泥の水たまりも冷たい雨も気にならなかった。
ごめんね。約束、守れない
そのときだった。
「ビビっっ・・・っっ・・・!!!!????」
声が悲鳴を上げた。
ピンクのフリフリのついた傘を差してエーコが突っ立ていた。
真っ青な顔をした彼女の手から傘が滑り落ちる。
「ビビっ!!」
駆けよって抱き起こしたビビの体はぐったりして、弱々しくて、、そして、見ているのが恐かった。
「やだ、どうしたのビビ!?どっか痛いの?苦しいの?」
エーコの声が空しく響く。
「エーコ・・・」
ビビはゆっくりとエーコに左手を伸ばした。エーコは慌ててその手を握り締めた。
手の甲に落ちる雫の冷たさと、ビビの手の暖かさに、エーコは震えた。
「ボクは、大丈夫だから」
「嘘つき!全然大丈夫なんかじゃないじゃない!!」
「泣かないで」
じわじわと熱くなる目元をエーコは片手で何度も何度もこすった。
雨でにじんでビビの姿がよく見えなくなる。
「君の涙は、ボクの涙」
「え?」
エーコは濡れた顔を上げた。
そして、思わず息を呑んだ。
純白の翼が一瞬、空を舞ったのが見えた気がしたのだ。
「また、いつでも会えるよ」
ビビがいってしまう・・・!
それで引き止められる気がしてエーコはビビの手を更に強く握った。でも、ビビには握り返す力も、もう残っていない。
エーコの落とした傘が、水たまりに顔をうずめて泣いている。
ビビのとんがり帽子は雨雲を仰いだまま動かない。
ビビは心の中でそっとつぶやいた。
さようなら
天使が、ゆっくりと静かに舞い降りる。
雄大な翼をひろげ、真っ白なローブの裾を優雅にはためかせながら、天使はそっとビビの足元に降り立つ。
エーコがその姿に気づくことはない。
ビビはもう一度つぶやいた。
さようなら
「ボクのこと、忘れないで」
消えていく金色の光。
エーコの握っている手が、急にずしりと重くなった。
「どこにも行かないって言ったじゃない!また会えるって言ったじゃない!うそつき!ビビのうそつき・・・・っ!!!!」
ピシャン。
そのとき、ビビの右手にずっと握られていたピンクのガラス玉のついたペンダントが、水たまりに落ちた。
さようなら。
ほんの少しの思い出と、たくさんの君の想いを抱いて、ボクは空に帰ります。
でも、大丈夫。悲しくなんかないよ。
残りのいっぱいの思い出と共に、ボクはみんなの心の中にも生き続けます。
全部全部、覚えていてね。
ボクと一緒に過ごした日。
楽しかったこと。つらかったこと。
ボクはいつでも君の側にいるよ。
これからも、一緒に笑って、一緒に泣こう。
だから。
だから、
ボクのこと、
きっと、
忘れないでね。
「・・・・・」
エーコはおもむろにその水たまりに手を伸ばしてペンダントをつかんだ。
無表情なまま手の平のペンダントを見つめていたエーコの顔が、みるみる間にくしゃくしゃに崩れていく。
「いや…。いやだから…、こんなの……いやだからね…っ!!」
彼女は泣いた、これまでにないくらい、幼い頃、肉親が誰もいなくなったときよりも、ずっとずっと激しく声をあげて泣いた。
やまない雨。
天使が落としていった白い羽が、水たまりにふわふわと降った。小さな波紋が音もなく広がる。
エーコの手の中とおそろいの水色のペンダントがビビの首には下げられていた。鎖の1ヶ所が千切れていて、無理に結び合わせてあった。
二つのガラス玉は雨に濡れながら、静かに光を反射している。
すがるように握り締めているビビの手は、まだ、わずかに暖かい。
降り注ぐ雨が、そのぬくもりを奪っていくまで、エーコはそこを動かなかった。
Fin.
改訂バージョンってのはあんまり気にしないで(汗