青い空の下で
濃い灰色に濁った空。
大粒の雨が降っている。
それはまるで一生やむことのないように。
「久しぶりじゃ・・・」
崩れ落ちたアーチをくぐると、雨が少し強さを増したような気がした。
「ひどいものじゃ」
フライヤが足元に散らばる瓦礫を軽く蹴るとそれはカラカラと音を立てて彼女より少し離れたところまで滑っていく。
彼女の記憶の中に残るブルメシアの街並はもう、そこにはなかった。
どうして。
「フライヤさん!来てくださったんですね!」
後ろから嬉しそうな声が聞こえて、彼女は降り返った。
遠くから走ってきたのは瓦礫のたくさん入った押し車を押すブルメシア兵の青年。
「おぉ、すまなかったな、来るのが遅れて。復興作業はどうじゃ?」
「それが・・・なかなか、思うようには・・・。フライヤさんの方はどうなんです?」
「大丈夫じゃ、心配はいらぬぞ。その証拠に霧も晴れたであろう?」
フライヤは穏やかに微笑んでみせた。
「さて、こんな所で話してる暇があったら、作業をせんとな。ほかのみんなはどこにいるのじゃ?」
「城のほうを片付けてますよ。なんなら行ってみますか?」
フライヤは足元の瓦礫の一つを彼の押し車にいれて、笑いながら彼と一緒に押し始めた。
「何を言っておる、手伝いに来たのじゃから行くにきまっておろう。」
濡れた道を押し車が音を立てながら進む。ぼろぼろの木でできたそれは、街で数少なく残った道具のひとつだ。ぎしぎしと、今にも壊れそうな音が水たまりに映る。
どうして?
「フライヤさん!?」
「フライヤさんじゃないですか!」
かつてはこの村の住人であっただろう人々が次々にフライヤの方に駆け寄ってきた。その中には彼女にとっては見覚えのない者もいた。
フライヤには見覚えがなくても彼女は街の多くの者に慕われていたのだ。
「ご苦労じゃな。」
みんな、雨に濡れてがんばっている。とても、嬉しいことだ。
彼女は微笑んだ。でも、
どうして、あなたはいらっしゃらないのでしょう?
「城はこれだけ人数がいれば大丈夫そうじゃな。私は街の方を片付けるとしよう」
フライヤが街の方に戻ろうとすると、声が上がった。
「ボクらも手伝いますよ!」
特にフライヤをよく知っているブルメシア兵数人。
しかし、
「ダメじゃ、城はおぬしらの指揮なくてはどうにもならんじゃろう。それに、少し街の様子も見てきたいのじゃ」
フライヤは断わっておいた。
「この押し車を借りていくぞ。」
一人に、なりたかったのだ。
あんなにふっていた雨がいつのまにか上がっていた。
曇り空の下、廃墟となった街を歩く。
フライヤは押し車を押しながら拾った瓦礫をゴトリ、と押し車の中に落とした。
「・・・・いかんな・・・」
せっかく手伝いに来たというのに、一人になりたいと思ってしまう自分が嫌になった。
瓦礫を入れるたびに押し車が重くなっていく。
「フラットレイ様・・・・」
フライヤは無意識に零れ落ちてしまった言葉にあわてて、口を押さえた。
思わず表に出てしまった自分の弱い面。竜騎士としての魂が傷ついた気がしたのだ。
彼女は首を振り、再度足元の瓦礫に手を伸ばす。
「?」
そのとき、拾おうとした瓦礫がふっと浮き上がった。驚いて顔を上げたフライヤの瞳に映ったのは
「フラットレイ様!?!?」
とても、会いたかった人。
フラットレイは拾い上げた瓦礫を呆然と立ち尽くすフライヤの手に渡してやった。
「ひさしぶりだな、フライヤ」
確かに、微笑んだその優しさには見覚えがあった。
勇敢そうな顔立ち、フライヤが男の中の男だと思っている人物。
彼の前でだけは竜騎士ではなく、ひとりの女性でいられた。
「本当に、フラットレイ様なのですか・・・?」
「わたしのにせものがいるとでもいうのか?」
フラットレイは涼しげに微笑んだ。
「・・・う、嘘じゃ・・・、フラットレイ様は私を覚えておいでではなかったのじゃ!」
指先が震えた。本当は、すぐにでも彼の名前を叫び、寂しかったと泣き崩れてしまいたかった。
素直にそうできなかったのは、なぜなのだろうか?
「フライヤ」
ふいに光が差した。フライヤは空を見上げた。
灰色に濁った厚い雲が切れて、そこから光がこぼれていたのだ。
「すまなかった、フライヤ」
急にふわり、と抱きしめられて少しだけのぞいた空のスカイブルーがフラットレイの肩で遮られた。
フライヤは目を細めた。
「フラットレイ様、あなたはひどい人です。」
身動きがとれなくて、涙がこぼれそうになった目元をこすることが出来なかった。
声が震えてしまっているのがわかってしまうかどうか不安だった。
「あなたはすぐに来てくださらなかった」
ずっと、待っていたのに。
ずっと、会いたかったのに。
すごく、すごくすごく
「本当に、ひどい人です」
すごく、寂しかったのに。
空に、見事なまでに美しいスカイブルーがゆっくりと広がっていく。
どこからともなく吹いてくる穏やかな風が、厚く空に覆い被さっていた雲をゆっくりと流してゆく。
「もう、どこにも行かないでください」
高く澄んだ空の下に、暗くかげっていたブルメシア城がその姿をさらした。
重々しかったその城は日の光をあびて美しい姿を取り戻したようだ。
「私の前から、姿を消さないでください」
フライヤは知っている。
フラットレイは約束を絶対に守る男だということを。
彼が長い間姿を消していて、『ひどい人』だといっても、
彼は必ず帰ってくるという約束を守ったのだから。
彼がフライヤとの約束を破ったことなど、ない。
「約束しよう。竜騎士の名の元に」
決して破られることのない約束と共に、二人の時はゆっくりと流れる。
それはまるで、青空を漂う白い雲のように。
青く、高く高く澄んだ空は、どこまでも続く。
暗い雲に覆われたブルメシアはもう、どこにもない。
きっと、これからの復興作業は順調に進むだろう。
たよりになる竜騎士が、二人も戻ってきたのだから。
Fin.