玖島の馬観音二基  広島県廿日市市玖島中村と大沢

慰霊の対象:馬/創設業種:畜産





 他の目的で書店の郷土コーナーを見ていたら、「郷土史紀行」という広島・瀬戸内・山陰の歴史を取材範囲としている雑誌に気がついた。片っ端に目次を見たりページをめくったりしたところ、この馬観音の記事に出あった。現地を迷いながら探した先でも同様の馬観音さまを見つけたので二基まとめて掲載する。
 中国自然歩道極楽寺・羅漢山ルートの支流であるらしく、馬観音の解説版に中国自然歩道の、環境庁という字が見える。


中国自然歩道
馬観音
この道は湯来町、吉和村、佐伯町東北部方面から廿日市を経て広島方面に出る街道として古くから人馬の往来の多かった道である。この馬観音はそういう人間に役され汗を流し或いは命をおとした数知れぬものいわぬ動物に対する人間の贖罪と供養のために建てられたもので古い時代のやさしい心がそこに見られる。
環境庁

(観音堂内部の字)
平成四年十一月吉日
奉観音堂宇再建
施主 中村部落




大きさ(cm)
本体:W30.5×32D×71.5H

撮影日:2005/5/17




廿日市市玖島の大沢から南東に向かう林道の脇に木立に囲まれ気づく人も少ない観音堂がある。これも馬観音ということで、お堂の上に板書きがあった。馬観音はいわゆる馬頭観音の姿をとらないものとみえる。この地域では馬頭観音信仰がさほどに浸透していなかったので、このように通常の観音さまに馬の供養を願って建立したものではないかと思う。
いずれにしても往時の馬による往来が盛んであったことが想像される。

観音さんの刻まれた年代不詳。もと七曲と言う難所にあった。
明治の中頃峠の頂上に置かれ大正十五年、小さな堂宇が建立されたが先年の台風に依り破壊された為に今度移転再建した。
言伝へによると昔は廿日市方面への物資の運搬は小荷駄馬によって運ばれた。其の馬が七曲の難所でたおれて死んでゆく無常の姿を悲しんで輪廻転生を願って建てられたと言う。
観音さまは三十三身に示現されると言う馬観音として往時をしのび合掌してきた。現代ともすれば忘れられんとする野仏を堂に安置して永久に保存する為再建した。
昭和五十年六月
再建


大きさ(cm)
本体:27.5W×16.5D×50H
撮影日:2005/5/17