33.話せば分かる・・・地球温暖化の観測所

これは月間誌「刑政」に掲載予定の原稿である。「刑政」誌の主な読者は、刑務所、 少年院、少年鑑別所等の矯正職員(約23,000人)、大学の刑事政策研究者、大学図書館 などである。発行部数は28,000部、創刊は明治21年の伝統ある職務月間誌である。
2010年12月号(刑政121巻12号)に掲載予定の内容である。

トップページへ 所感の目次


著者: 近藤 純正

「話せばきっと分かってくれる」という言葉が大きな励みになっている。いま私は、気象観測所の 環境改善について人々を説得し続けている。この活動に対して献身的に協力してくれる人々が各地 に現れてきた。

地球温暖化によって気候が大きく変わり人類の生存が危うくなることが心配され、世界の 政治・社会の大きな問題となっている。

気候の現状把握と将来予測の基礎となる気象資料の品質を知るために、私は日本各地の気象台や 測候所などを巡回してきた。地方の小都市や田舎にあった約100か所の測候所は、この数年間に 無人化されて、2010年度中には北海道の帯広と奄美大島の名瀬の2か所を除きすべて無人の特別地域 気象観測所となる。ほかにアメダスと呼ばれる無人の自動気象観測所(地域気象観測所)を含めると、 気象庁が管理する観測所は約1300か所あり、おもに日常の防災を目的としている。

気象観測のもう一つの目的は、地球温暖化など長期的な気候変化を観測することにあり、より 精密な観測を行なわねばならない。なぜなら、地球温暖化は100年間につきわずか約0.7℃の割合で 気温が上昇する現象であり、0.7℃は観測機器が時代によって変わることや、観測所の周辺の環境 変化があれば、観測値にすぐ反映される大きさ、つまり一種の誤差に匹敵するからである。

日本の主な気象観測所は明治時代から昭和初期にかけて創設された。その当時は町はずれの環境 に恵まれた場所に設置されたが、太平洋戦争後は観測所の周辺にも住宅などが増えはじめ、東京 オリンピックの開催や東海道新幹線の開通など経済高度成長時代の1960~80年には、都市には 高層ビルが建つようになり、都市における気温上昇の大部分は、都市化による人工熱の放出、 緑の減少、舗装道路の増加などによる熱汚染によるものとなった。そのため、都市の気象台では 地球温暖化など地球規模の気候変化を正しく観測することができなくなった。

一方、田舎の観測所でも問題があることが分かった。家庭用の燃料は里山の樹木による薪や木炭 であったが、いわゆる燃料革命と呼ばれる1960年以後、灯油やガスの使用量が増え、里山の樹木は 伐採されなくなり、観測所周辺の樹木の成長に従って風速が時代とともに弱く観測される ところもでてきた。気温は手入れされた芝生の露場で観測されるのだが、風速が弱まると、露場は いわゆる「日だまり」となり、平均気温が高く観測される。これを「日だまり効果」と呼ぶ。 つまり、田舎であっても日だまり効果や駐車場ができたりすることで、正しい気候変化の観測が できなくなった観測所もある。

気象庁職員は公務員であり、気象の専門的な技術者集団だと思っていたのだが、この認識が少々 違っていた。私の考える専門家とは、日常の気象を知ることのほかに、基礎的な学問的知識の もとに日々の業務をこなし、異常事態にも臨機応変に対応できる人のことである。無人の気象 観測所の周辺が荒れて、雨量計に生い茂った雑草が被さり、また、周辺の樹木が成長し風速が 弱くなっていてもそれが異常だと気付かない者もいる。私が風速の弱まった異常データを示しても、 その原因は周辺環境の影響ではないと言い張る者さえいる。こういう人は少数だろうが、これが 気候観測を危うくしている。

公務員は間違いを認めない傾向が強いのだろうか。長年勤めていると、 こういう対応の仕方になってくるのだろうか。日進月歩する学問を勉強しなくてもくびにならず、 時には講習・研修会によって新しいことを学ぶ機会もあろうが、内容が高度すぎて基礎的なことが 理解できないままに過ごしているのかもしれない。

大きな組織は急には変われない。普通のことなら20~30年間待っていてもよいのだが、気候観測 に関しては観測所の周辺環境を緊急に改善しなければ、不正確になってしまう。気候変化の実態を 正しく知るには長期間にわたる均質なデータが必要である。予算と人員の削減の現状において、 気象観測は地域住民の理解と協力によって行うべきだと私は考えるようになった。

気象観測では測器や観測方法が時代によって変更されてきたため、観測値のずれ、つまり一種の 誤差が含まれる。これらの誤差を補正してより正確な気候変化を調べてみると、この100年余の気温 は直線的な上昇ではなく、約10年サイクルや数十年サイクルの変動を繰り返しながら、ゆっくりと 温暖化している。

気候変動は地域によって少し異なるので、日本には環境に恵まれた観測所が20か所ほど必要である のだが、理想に近い観測所は北海道寿都と岩手県宮古、高知県室戸岬の3か所しかない。鹿児島県 屋久島と日本最西端の与那国島の2か所も環境に恵まれているが、創設が遅く観測期間が短い。

岡山県内陸の津山と青森県深浦は観測所の周辺には住宅などはないが、すぐ近傍に樹木が成長し 観測の障害となっており、緊急に環境改善すべきである。津山は環境に恵まれた数少ない内陸の 代表的な観測所であり、同様に深浦も数少ない日本海沿岸の代表的な観測所である。

津山では40年余り前に観測所の周辺に住民が植樹した約200本の桜が成長し、そのうちの20本ほど が観測所の風を弱めていた。秒速10m以上の強風日数は、以前には年間50日ほどあったが最近は2日 ほどに減少し、年間の平均風速は3分の2に弱まった。詳しいデータを示しても、気象台はこの原因 を桜の成長によるものと認めない。

そこで私は住民に現状を知ってもらうために7回も津山を訪問 した。市民講座の開催や町内会役員への説明を繰り返した。気象観測は地域住民のためのものであり、 地球温暖化など気候観測は世界の人々のためでもあることを説明した。その結果、市長はじめ植樹 した住民たちの理解と協力を得て、大事に守ってきた桜など21本を伐採させてもらった。津山では 多くの方々から有難い協力をいただいた。

日本人がもっとも愛でる桜を伐採してまで気象観測所の環境維持に協力してくれた住民たちの行為を 後世に伝えるために、その記念碑を建立する準備が進められている。

津山の人々に説明するのに難しかったことは、気象観測所の問題について気象台からの申し入れが ないのに、個人の私が環境改善を訴えることにあった。しかし、私が何度も訪問してデータを見せて 説明すると、桜の成長と風速の減少の関係は防風林や防風ネットの原理から理解してくれた。

深浦でも4回目の訪問時に市民講座を開催することになっていたが、気象台から環境改善について の連絡がないということで、市民講座が突然中止となった。中止となったのだが私は深浦町を訪問し、 町の有力者に深浦観測所の環境整備問題を訴えようとした。町役場で偶然、観光ガイドのボランテア の方とお会いした。彼は初対面であるにもかかわらず、自家用車で2日間にわたり南北に細長い 深浦町を運転して町議員や有力者に案内してくれた。

実は、この市民講座の前に私は深浦観測所を担当する青森地方気象台を訪問し当時の台長に対して、 「深浦観測所の環境問題について、電話でよいので連絡しておいてください」とお願いに上がった。 その際には、電話による連絡はしてくれるように見えたが、その後、深浦町へは連絡がなかった。 町議会でも環境整備問題が取り上げられたが、「気象台からの連絡がない」という理由で、私の 活動は中断させられてしまった。

2010年になって、私を支援してくれる方々のおかげで私は気象庁長官と面談することができ、 続いて仙台管区気象台長に深浦観測所の環境改善を訴えた結果、管区台長はその日のうちに新任の 青森地方気象台長に連絡してくれた。青森地方気象台長は新任の挨拶も兼ねて深浦町を訪問し、 環境問題のこと、市民講座のことについて町長と相談され、私の市民講座が再開されることになった。

私の5回目の訪問でやっと実現された市民講座では、「気候と歴史」の話に続いて深浦観測所の 重要性について説明した。こうしてようやく環境整備が進むことになった。

記録的な猛暑だったこの夏の9月5日に、京都府京田辺市のアメダス観測所で国内観測史上最高の 39・9度を観測したが、観測装置につる性の草が絡んでいたことが分かり、取り消された。 私は今、観測の基礎知識を持つ専門家などにより、観測所の環境に注意し、気象台を支援する ボランティア組織「気候観測を応援する会」づくりを始めた。

トップページへ 所感の目次