大聖堂


 プレゴリャ川(プレーゲル川)の中州に立つ聖堂。この町のシンボル的存在。下段左は、この建物の由緒を説明した掲示。同じく右は、ここで開くクリスマス・コンサートの案内。  (2011年12月撮影)


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カントの墓


 大哲学者I・カントは、ここケーニヒスベルグで生まれ、その全生涯を通して、この町を離れて住むことがほとんど無かったと言われる。大聖堂の外壁に、彼の墓がある。  (2011年12月撮影)

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大聖堂内部の装飾


 大聖堂の窓は、ステンドグラスになっていた。 (2011年12月撮影)


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大聖堂内部の展示


 大聖堂の中は、カントについての博物館にもなっている。上段の写真は、デスマスク。各国語に翻訳されたカントの著書も収集されていて、下段は、そのうちの日本語のもの。中段右は、カントが生まれる一世紀以上前、1613年のケーニヒスベルグを描いた絵地図。  (2011年12月撮影)


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カント島



 大聖堂のある中州は、カント島と呼ばれ、市民が散策を楽しめる広い公園になっている。下段左の石碑は、ユリウス・ルップという人ので、カントに所縁のある人物か? 右は、ケーニヒスベルグ大学創設者の像。   (2011年12月撮影)



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カント島


 カント島の一部に、こうした彫刻を集めた一角がある。地元の芸術家の作品か?  (2011年12月撮影)

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リブナヤ・ヂェレヴニャ



 直訳すると「お魚村」? でも、漁村というわけではなく、かつて交易の拠点だったのではないかと思う。今は、こうやって川岸にお洒落な建物が並んでいる。右の写真は、古い時代のこのあたりの様子を建物の壁に描いたもの。   (2011年12月撮影)


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ケーニヒスベルグの橋


 かつて、「ケーニヒスベルグの橋」問題というひと筆書きの問題が、数学者の間で考えられたことがあった。プレーゲル川にかかる七つの橋を重複せずに渡って出発点に戻ることが可能かという問題。その七つの橋が現存するわけもないが、市内の橋のうち、ともかく七つを無理矢理撮ってきた。写真は8枚あるが、もちろん上段左と中は同じ橋。   (2011年12月撮影)

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ソビエトの家




 かつてのケーニヒスベルク城の付近で、ソビエト時代末期に建設がはじまった建造物。ところが、湿地帯に重いコンクリート製の構造物を置こうとしたため、技術的な問題が発生して工事は中断、まもなく取り壊されることになっているとか。その外観が地面に肩まで埋められている巨大なロボットの頭にも見えることから、地元の人に「埋葬ロボット」と呼ばれることがあると、日本に滞在している現地出身の女性から聞いたことがある。   (2011年12月撮影)

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