レストランの料理


 目次では、ロシアのレストランの料理はいかにも美味くないように書いたが、「市場経済」が進むにつれて生き残るも残らないも他店との競争次第ということが理解されつつあるのか、美味しい料理を出す店も増え始めている。このページの写真は、ペトロパブロフスク市内のレストランで食べたもの。この段は、ザクースカ。左は、ロシア料理の前菜としてはあまりにもオーソドックスなイクラの料理。右は、左のとは違う店だったような記憶だが、茸のサラダ。ロシア人の茸好きはつとに有名。


 日本でもあまりに有名なウクライナのスープ「ボルシチ」。この旅行に出る直前に、知人のロシア人一家を東京のさるロシア料理店へ招いてロシア料理をご馳走したのだが、出されたボルシチを口に運んだとたん「これはボルシチじゃない!トマトの味がする。」と言っていた。ボルシチの赤色はビーツの色。それにスメタナとよばれるサワークリームを落として食べる。


 日本にあるロシア料理店で「壺焼き茸」を看板料理にしている店は少なくない。ロシアの壺料理はそれとどこが違うかと言うと、まず壺の大きさが日本のものの比ではなく大きい場合がほとんど。日本人ならだいたいこれ一つで満腹になる。なかみは茸とは限らず、牛肉、鶏肉、..なんでもありだ。そして材料はよく煮込んであるから味がよくしみこんでいて美味しい。


 コースの最後を飾るデザート。これで他店との差別化を図る?  (2000年8月撮影)







レストランの料理



 もう、どこのお店だったか覚えていないが、モスクワ市内のレストラン。左上から右下へ、前菜・スープ・肉料理・デザートと、お決まりのコース。  (2013年8月撮影)



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レストランの料理



 同じ年・同じ季節の旅行で、これもどこのお店だったか覚えていないが、ペテルブルク市内で立ち寄ったレストラン。左上から右下へ、前菜・スープ・肉料理・デザートの順なのは同じ。  (2013年8月撮影)



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レストランの料理



 サンクト・ペテルブルク郊外のレストラン。スープ状のものが2皿だされた。  (2016年12月撮影)



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レストランの料理



 やはり、これもどこのお店だったか覚えていないが、ペテルブルク市内で立ち寄ったレストランだと思う。左上から右下への順は同じ。  (2016年12月撮影)



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レストランの料理


 バクー市内のレストランでの昼食。スープは出ない軽い食事だったが、なかみはアゼルバイジャン風。  (2019年12月撮影)

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レストランの料理


 カザン市内のレストランでの食事。
 上の写真と下の写真はは、別のレストラン。
 何となくタタールスタン風。  (2019年3月撮影)

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レストランの料理


 カザンから数十キロ離れたスヴィヤシュスクでの昼食。左下の写真の皿がグルジアのヒンカリのようにも見えて、全体としてあまりタタールスタン風という雰囲気ではなかった。   (2019年3月撮影)

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レストランの料理


 上は、ユジノ・サハリンスク市街を見下ろす展望台にあるレストランでの昼食。ロシアでは、メインディッシュの付け合わせはとても大事で、学食で肉料理や魚料理を頼むと付け合わせは何にするか必ず聞かれるほどだ。ジャガイモとか蕎麦の実というのもよくあるが、米飯が付け合わせということも珍しくなく、我々日本人にとっては、蕎麦の実よりもよほど抵抗感は無い。 最後のお茶は、白湯が出てきて、一緒に提供されるティーバッグを自分で入れろという方式。ソ連時代には煮出した紅茶をサモワールのお湯で薄めたのがちゃんと出てきていたものだったから、私なぞは「何という手抜きだ!」と思うが、今のロシアではこの方式が広く普及していて、悪びれもせず白湯が提供される。

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 下も、同じくユジノ・サハリンスク市内のローカル・レストランでの食事。「ローカル」とは言っても、ちゃんと前菜、第一、第二、第三の皿が出される。   (2019年8月撮影)





ホテルの朝食



 ソ連時代は、ホテルの朝食は、昼・夕食と同じく定食というのがほとんどだった。しかし、世界中どこでもそうなのかもしれないが、今では「シュベツキー・ストール」と呼ぶカフェテリア形式がほとんど。写真は、バクーのホテルで私が選んだ朝食。果物として柘榴も提供されるのが特徴だった。    (2019年12月撮影)



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ビュッフェでの食事



 ソ連時代にも、外を歩いていてちょっと食事を取りたい時に立ち寄れるお店はあったが、いかにも“大衆食堂”然とした感じだった。それが、ロシアになって、日本の至る所にあるようなお洒落な軽食堂がたくさん現れた。写真は、クレムリンのすぐ近くにある商業施設「オホットヌィ・リャット」内のビュッフェで私が選んだ食事。赤の広場に面したグムにもそういう食事を取ることのできるお店がいくつもある。    (2019年3月撮影)



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ダーチャの庭での食事



 ハバロフスク郊外にある個人のダーチャの庭での夕食。会食中、誰彼を問わず、幾度となく乾杯の辞を述べ、その都度全員がウォトカを飲み干さなければならないのがロシア流。 国際交流の場ともなればなおさらだ。    (2012年8月撮影)



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アイスクリーム



 アイスクリームはデザートの“王様”だと私は思っている。  (2005年3月撮影)



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アイスクリーム


 アイスクリームはレストランでのデザートということもあるが、、街頭のスタンドや屋台で買って食べ歩きをするというのもロシア人には好まれていて、通りにある売場の数はおそらく日本より多いと思う。ただ、今でこそ味も値段も多様なものが用意されているけれど、ソ連時代は、少ない種類のものが、しかもごく短時間だけ売られていた(売り出されるとすぐに売り切れて売場は店じまいした)。だから、アイスを買って食べながら歩いていると「それはどこで売っている?」とよく聞かれたものだ。しかし、そのアイスは、見た目はとてもシンプルなんだけど、ミルクが濃厚でとても美味しかった。それで、近頃では、この写真のように、ソ連時代の製品の「復刻版」みたいのも売られていることがある。   (2016年8月撮影)