モスクワ運河 (閘門)



 モスクワ北港を出航して運河がボルガ川に合流するまでの間に6ヶ所の閘門がある。写真はその一つ。ゲートの上に置かれた彫像はいかにもスターリン時代という感じのものだ。いずれも鴎の止まり木になっていた。  (2005年8月撮影)

 この6枚の写真は、同一の閘門ではなく、6ヶ所のうちのあちこちをまとめたもの。上段は、閘門へのアプローチ。白いモニュメントに見覚えのある方もいらっしゃるのではないか。下段は、僚船について行く形で閘門を通過しているところ。  (2014年8月撮影)

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モスクワ運河 (閘門)



 閘門を船が通過する様子。もう少し詳しく言うと、前方からやって来た対向車ならぬ対向船が、こちらに上がって来るまで。  (2009年8月撮影)

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モスクワ運河



 右の写真は第6閘門の建物脇にあった運河建設の碑。左のは河畔で見かけた大きな十字架。下に書かれている1932-1937年というのが運河建設の時期とほぼ一致するから、強制労働のために亡くなった人々の慰霊のためのものかもしれない。  (2007年8月撮影)

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ドゥブナ


 モスクワから北へ伸びるモスクワ運河はドゥブナの郊外でボルガ川と合流する。写真は、これよりドゥブナ市内に入るという看板。運河の畔に建てられている。  (2018年9月撮影)

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ドゥブナ


 モスクワ運河とボルガ河の合流点付近に立つ巨大なレーニン像。像の後方にボルガ本流があり、運河を通ってきた船舶はレーニンの前で右折して水位調整用の閘門を通った後にボルガ川にはいる。  (2005年8月撮影)

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ドゥブナ



 レーニン像の近くにあった風車。おそらく発電用と思われるが、ロシアでこの形の風車を見たのは初めて。  (2005年8月撮影)

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ドゥブナ



 上段左の写真は、ドゥブナの閘門から見たボルガ川。左後方が上流で、前方が下流、正面手前はモスクワ運河。上段中央の写真は、東京発モスクワ行きの飛行機から見たドゥブナ付近のヴォルガ。上方の幅広の水面は、ドゥブナのダムによってせき止められてできた貯水池。写真の右側がヴォルガ下流。この写真では小さくてよくわからないが、幅広の水面左側の「突起」部から左へモスクワ運河が伸びている。同じく右側の写真は、逆に川面から上空を見上げたもの。このあたりは定期航空路になっているので、飛行機雲はよく見られる。下段の写真は、2018年にこの閘門を通過する際に撮ったもの。上段左の写真と比べると、前方に新しい橋を建設中であることがわかる。    (上段左:2005年8月,同中・右:2014年8月,下段:2018年9月撮影)
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ドゥブナ



 ボルガから見たドゥブナの町。  (2005年8月撮影)

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川岸の風景 (ドゥブナ〜ヤロスラヴリ間)



 ドゥブナとカリャージンの間で見た川岸の風景。かつてのダーチャとは違う小綺麗な建物も目立ち、岸の船溜まりには小さなクルーザーが繋留されているのも頻繁に目にし、ロシアでも人々の間の経済格差が拡大していることを感じさせる。  (2018年9月撮影)


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カリャージン


 川の中に取り残された教会。増水期には土台部分も冠水するのだろう。
 かつては川岸に建っていたのがダムの建設によって水中に没したのか。

(中段左:2005年8月,同中及び右:2014年8月,上段及び下段:2018年9月撮影)


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村の風景 (カリャージン)


 川の中に立つ教会は、これまでに何度も見たことがあったが、村に足を踏み入れたのは2018年の旅の時が初めてだった。    (2018年9月撮影)


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博物館 (カリャージン)


 村の博物館と、そこで説明をしてくださった学芸員のかた。    (2018年9月撮影)


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ウグリチ(水門)


 大陸を流れるロシアの河川は日本の川のように勾配が急でないから水運に適しており、古くから交通路として重要な役割を果たしてきた。しかし、それでも船舶の航行をいっそう容易にするために水位調整用の閘門が、ことにヨーロッパ部の河川には、多く見られる。ボルガ川にもこうした水門が数多く設けられている。写真はそれらの中で私がいちばん美しいと思ったウグリチの水門。右端の写真は、水門に隣接している水力発電用のダム。閘門のところにはこうして発電施設があるのが一般的だ。  (左:1997年8月,中・右:2014年8月撮影)

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ウグリチ



 河港近くの河岸の風景。建物はおそらく政府系のオフィス。比較的近年に整備されたと思われる。  (2009年8月撮影)

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ウグリチ


 ボルガ川沿いの古い町ウグリチの船着き場。その向こうは川岸にあるクレムリン。「ウグリチ」の名はイワン4世(雷帝)の末子ドミートリーの亡くなった地として知られている。彼の死はボリス・ゴドゥノフによって密かに謀られたという風説もあり、ロシアはその後いわゆる『動乱の時代』にはいる。  (1997年8月撮影)

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ウグリチ (クレムリン)



 ウグリチのクレムリン跡。ボルガの船着き場から見たものと、敷地内の花壇と。  (2005年8月撮影)

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ウグリチ (クレムリン)



 同じウグリチ・クレムリンを4年後に撮影したもの。左下の写真は、クレムリンの入口のあたりの風景。  (2009年8月撮影)

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ウグリチ (教会)



 クレムリンの中の教会のキューポラと、教会の内装。古いフレスコ画がしっかりと保存されているし、いかにも由緒ある教会というようにイコノスタス(聖障)も立派。   (2005年8月撮影)



 こちらは同じクレムリンの中でも上の写真とは別の教会。窓を通して外から入ってくる日光によって壁のフレスコ画が照らし出される。

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ウグリチ (修道院)



 河港やクレムリンからそう遠くない所にあるボゴヤブレンスキー女子修道院。赤い建物は、その中のスモレンスカヤ教会。   (2009年8月撮影)

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ウグリチ (街角)



 クレムリンのあたりの町の風景。  (上段:2005年8月,下段2007年8月撮影)

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ウグリチ (街角)




 左上の写真を見ると、ロシアの街も近頃ではなかなかお洒落になってきたと感じられる。右下は、木製の遊具ばかりを揃えた児童公園。  (2009年8月撮影)

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