ミンスク旅客駅




 東京都内のどこかの鉄道駅と言っても立派に通用しそうな、旧ソ連圏内とはとても思えぬ斬新なデザインの駅舎は2000年の暮れに完成したもの。待合室からプラットホームに出る通路はバリア・フリーのスロープになっていて、“動く歩道”も設けられていた。右の写真は、駅前に立てられた新年の飾り“ヨールカ”。  (2001年1月撮影)

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ミンスク駅前広場


 通りをはさんで駅舎の向かいに立つ建物。モダンな駅舎とは対照的に1950年代を思わせる建築様式だ。  (2001年1月撮影)


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勝利の広場 (ミンスク)


 旧ソ連邦構成共和国15の中で、ここベラルーシほど戦争の惨禍の大きかった国は他に無いであろう。1941年6月の独軍侵攻直後にほぼ全土が占領下に置かれ、逆にソ連軍の反攻が始まっても、ソ連領内で最後まで戦場になったのがこのベラルーシだ。右の写真は、勝利の広場にある戦没兵士を偲ぶオベリスク。 (左及び中:2019年9月,右:2001年1月撮影)

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独立広場 (ミンスク)


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 現在のミンスクの中心地。広場の周りには、市庁舎、大統領府、中央郵便局などがある。 (2019年9月撮影)





レーニン像 (ミンスク)



 独立広場に立つレーニン像。現在でも健在。手すりのようなものにつかまる姿勢のレーニン像は、旧ソ連各地にあったものの中でも珍しいのではないか。  (2019年9月撮影)

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聖シメオン・ヘレナ教会 (ミンスク)


 独立広場の端にあるきれいな教会。 (2019年9月撮影)





長崎の鐘 (ミンスク)


 チェルノブイリ原発事故によって深刻な被害を受けたベラルーシの人々へ長崎の浦上天主堂から贈られた鐘。独立広場の聖シメオン・ヘレナ教会のすぐそばに立つ。挿されている5本の国旗は、核兵器やその実験、あるいは原発事故によって人々の生命が失われるという悲しい体験をした5ヶ国を指しているのだと思う。 (2019年9月撮影)

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街角 (ミンスク)


 ミンスク市内の街角の風景。上段の写真を撮った2001年元日は終日強めの雪が降り続いていた。  (上段:2001年1月,中下段:2019年9月撮影)







モニュメント (ミンスク)



 前ページの中段中の写真にも見える透明な素材を主材にしたモニュメントが街路に置かれていた。どういう意味があるのか私にはわからないが、頂上部に聖母のイコンがある。  (2019年9月撮影)

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聖霊大聖堂 (ミンスク)


 スヴィスラチ川を見下ろす小さな丘の上に立つバロック式の大聖堂。もともとはカトリックの修道院として建てられ、19世紀半ばにロシア正教の教会となった。1999年5月30日に、この教会のすぐ下にある地下鉄駅で群衆が折り重なって亡くなる大きな事故があったことをつい最近知った。 (上段左:2001年1月,その他:2019年9月撮影)





重大事故犠牲者慰霊碑 (ミンスク)



 前ページで触れた1999年5月の地下鉄駅での重大事故の犠牲者を慰霊する碑。  (2019年9月撮影)

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アフガン戦争戦没兵士慰霊碑 (ミンスク)



 スヴィスラチ川のトロエツカヤ旧市街区付近のごく小さな島に立つ慰霊碑。見ていると、ベラルーシの若者がアフガニスタンなどで死ななければならなかったのは何故かと問いかけてくるような気がする。 (2000年12月撮影)

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