平成7年度指定

山の鼻1号古墳

所在地 福岡市西区大字徳永字山ノハナ265番地1、265番地4、265番地8、266番地 合計8,367平米

1)位置と環境
 山の鼻1号古墳は、『魏志倭人伝』に記す「伊都国」の東縁部にあたる今宿平野に所在します。高祖山(標高416m)から北へのぴる丘陵先端部と北麓には、13基の前方後円墳と320基以上の円墳が分布し、一大古墳群を形成している。前方後円墳には平野に面する丘陵先端部に立地するものと丘陵奥部の群集墳に混在して立地するものがあります。前者には東から鋤崎古墳、今宿大塚古墳、山の鼻1号古墳、山の鼻2号古墳、若八幡宮古墳、丸隈山古墳、兜塚古墳、飯氏二塚古墳、後者には本村A‐1号墳、谷上古墳、女原C‐14号墳、下谷古墳、飯氏B-14号墳があります。

今宿の古墳の分布

2)調査の経過
 山の鼻1号古墳の調査は、今宿大塚古墳、鋤崎古墳につづき、今宿平野に分布する前方後円墳群の実態を解明する目的で、重要遺跡確認調査の一環として平成元年度に測量調査、平成2年度に最小限の発掘調査を行い、墳丘の規模や構造および内部主体等の基礎デ一タを収集しました。

3)墳丘の現況と規模、構造
 本古墳は高祖山から北へのびる丘陵尾根の先端に立地し、丘陵の基盤層は赤褐色の花崗岩風化土です。古墳は前方部を丘陵端に配し、後円部を南側に向け、最高所の標高は20mです。本古墳の南側160mの尾根上には若八幡富古墳があります。
 墳丘は開墾による改変を受けており、後円部は明治初期建立の「宮崎安貞顕彰碑」により墳頂部が削られ、さらに戦時中の高射砲陣地構築で東側も削られています。墳頂は少なくとも2mほどが削平されたとみられます。前方部から後円部の西側縁は畑や果樹園で、なだらかな斜面となっています。両側のくびれ部や墳裾に13本のトレンチを設定して確認した墳丘の規模と構造は、全長44m、後円部径27m、くびれ部の幅17m、前方部長20m、前方部幅25mで、前方部が2段築成、後円部が3段築成で葺石をもちます。埴輪は認められません。

山の鼻1号古墳墳丘実測図

4)埋葬施設
 後円部は削平を受けているが、墳丘中央部で小口部等に赤色顔料を塗布した扁平な割石材や、墳丘軸線に沿い旧表土を掘って約2mの間隔で2枚の石を立てた遺構が検出され、竪穴式石室であったと考えられます。

5)出土遺物と古墳の年代
1.鏡
 墳頂部の撹乱土層中より出土した半肉彫獣帯鏡の小破片です。
2・土師器
 鼓型器台1点、小型丸底壷口縁部片1点、壷底部片1点が出土しました。いずれも布留式併行期です。
3.古墳の年代
 埋葬施設が竪穴式石室とみられることや出土遺物などから、古墳の築造年代は4世紀前半代と考えられます。

 今宿平野の前方後円墳群の中で、山の鼻1号古墳の埋葬施設は竪穴式石室、若八幡宮古墳は木棺直葬、鋤崎古墳と丸隈山古墳が竪穴系横口式石室、その他は横穴式石室であることが確認されています。これにより、山の鼻1号古墳→若八幡宮古墳(市史跡)→鋤崎古墳(国史跡指定予定)→丸隈山古墳(国史跡)→兜塚古墳→飯氏二塚古墳→今宿大塚古墳(国史跡)と首長墓の系譜をたどることができます。なかでも山の鼻1号古墳は今宿平野における首長墓の系譜の中で最古に位置づけられます。また、市内に竪穴式石室をもつ前方後円墳は他に発見されておらず、学術的にも極めて価値が高いです。