平成5年度指定

南方録

 実山書写校合奥書

7冊

 福岡市博多区御供所町13番11号 圓覚寺

形態 紙本墨書、袋綴
員数 7巻7冊
法量 竪25.1cm 横17.4cm
墨付 「覚書」25枚 「会」36枚 「棚」24枚 「書院」16枚 「台子」57枚
   「墨引」63枚 「滅後」95枚
その他 「棚」「墨引」以外の各巻見返しに「河村文庫」の蔵書印率り。
    「墨引」見返しのあそびに「謙田」の印あり。

 福岡藩士立花実山によって書写された利休秘伝書。立花実山(晩年3千余石)は福岡藩家老黒田重種(本姓立花、初め7千石、後1万5百石)の次男として生まれ、幼少からその死に至るまで三代藩主光之に47年間仕えた側近であり、また貝原益軒の門人であり、『黒田家譜』『筑前国続風土記』の編纂に当つてはその責任者の立場にあった文人でもあった人です。光之の死の翌年、突然幽閉され、獄中日記『梵字草』を遺して非業の最期を遂げました。福岡藩の元禄文化を代表する人物です。

 本書は昭和31年(1956)、『茶道古典全集』(淡交社)によって初めて公開されました。

 本書は千利休の高弟である南坊宗啓が折にふれて耳にした師利休の茶の湯の教えを整理した茶書と伝えられています。「覚書」(利休の茶の湯精神の集約)、「会」(利休の56の茶会記録〉、「棚」(利休前の四畳半座敷の変遷)、「書院」(書院飾の図示)、「台子」(書院の茶での台子飾の図示)、「墨引」(利休が墨を引いて記録を許さなかった秘事)〔以上利休の校閲を経る〕、「滅後」(利休死後の備忘)の7巻7冊からなります。
 福岡藩士立花実山(明暦元・1655〜宝永5・1708)が、貞享3年(1686)・元禄3年(1690)参勤交代の途次本書の存在を知り書写したものと伝えられ、福岡藩ではこれを茶道の聖典として南方(坊)流が興り、今日に至っています。また、福岡藩外においては参勤交代を通して江戸南方流その他各所の大名茶に影響を与えました。
 実山家断絶後(寛延2年・1749再興)の本書の伝来については不明ですが、後には実山の伯父重興の系統であり、実山関係文書の収集に努めたとみられる茶人立花有徳(武義530石 文化3・1806〜明治26・1893)から津田蘇山(信秀、明治29年『喫茶南方流伝統 全』を著す。)−河村虎山(「棚」「墨引」以外の各巻見返しに「河村文庫」の蔵書印を捺す。)−龍淵猷山(圓覚寺先住)−龍淵環洲(圓覚寺現住)と師弟相伝されたものと考えられます。

 本書は、自らの茶書を残さなかった利休のわび茶の思想と実技を今日に伝える茶道史上最重要の茶書として高く評価されるものです。また江戸その他各所に流布した転写本の原典であり、本市にとって貴重な文化財です。