北炭夕張新鉱と清陵町の炭鉱住宅街




平成18年10月の北炭夕張新鉱の看板と通洞口



北炭夕張新鉱は昭和50年に出炭を開始した北炭最後のビルド鉱です。北炭夕張新炭鉱は深部の夕張層の石炭を採掘するために第一立坑、第二立坑は深さ800〜900mに達し、沼ノ沢からの材料斜坑、ベルト斜坑にて出炭していました。昭和56年にガス突出事故が起こり93人が犠牲となり翌年閉山しました。



清水沢清陵町には新鉱の立坑へと向かう通洞の入口が今も残ります。通洞口は入口に鉄格子こそあるものの創業当時の面影を今に伝える貴重な存在です。丘の上には事故の慰霊碑が建立されています。



清水沢の南東に位置する清陵町の炭鉱住宅街。北炭夕張新鉱の炭鉱住宅街として近代的な都市計画がされていました。今は市営住宅として活用されていて夕張の中でも最も人口の集中した地区になっていますが半数以上の住宅は空家となっています。


通洞口から清陵町を望む。



平成元年閉校の清陵小学校は遠くから見ても風格のある建物でした。



立坑側の通洞入口。総合事務所がここには広がっていたのです。建物内にあった浴槽が並んでいました。



そしてここには第一立坑坑口と第一立坑扇風機風洞坑口がありました。昭和58年9月密閉。第一立坑と斜坑が入気で第二立坑が排気を担当していました。



第二立坑坑口、ここにも扇風機が設置されていました。



北炭夕張新鉱の選炭場があった場所は沼ノ沢の工業団地となりましたが立地する企業も少なく原野が広がります。



そしてその一角には材料斜坑坑口、斜坑扇風機風洞坑口、ベルト斜坑坑口の密閉が残ります。



北炭夕張新鉱のズリ山は目立たない山奥にひっそりとあるのです。



参考文献 昭和52年 平和よ永遠に 平和炭鉱労働組合



北海道旅情報巻頭  3-1.炭鉱町を旅する
北炭夕張新鉱と清陵町の炭鉱住宅街