南大夕張炭鉱の風景


夕張最後の炭鉱として
夕張の南部地区には三菱最後の炭鉱の三菱南大夕張鉱がありました。 南大夕張鉱は開鉱の時期も遅く、最新の設備を完備したビルド鉱です。 ここまでがなくなってしまうのですから日本の炭鉱のほとんどがなくなってしまうのもしかたがないのでしょうか。

私が最初に南大夕張を訪れたのはまだ閉山の話があまり具体化しない頃のことでした。 石勝線(旧夕張線)清水沢の駅から炭鉱鉄道にゆられて行ったのです。 途中眼下に見える北炭の発電所のものすごい形相には心が奪われるものがありました。 終点南大夕張は炭鉱の坑口の手前にあり夕方の日差しが雪を染めていたのが思い出されます。

炭鉱鉄道が廃止になった後、二度目の訪問をしました。 鉄道はなくなりトラック輸送となり、なおかつ人員削減が行われたほんの少し後のことです。 風景もかなり変わったかと思いつつバスを南部で下車。 ほとんど変わらない風景が私を迎えてくれました。 国道沿いから炭住街の青葉町、菊水町を望むと寒さはりつめた空間に無数の蒸気が立ち上っていました。 生活感が街全体に息づいている。 そんな暖かい雰囲気を感じました。

閉山後約一年たち再び南大夕張を訪れました。 昔南大夕張の駅があった所には放置された客車が2台ぽつんと。 ペンキもはがれかかり時の流れを感じさせます。 もう、炭住街もなくなってしまったかもしれないと青葉町、菊水町をみやるとそこには変わらない炭住街がまだありました。 緑の屋根が周りの緑と調和し存在していました。 この頃編集された住宅地図があるのですがそれを見るとかなり空き家が目立ち寂しさをおぼえてしまいます。

そしてその後再訪した時、青葉町、菊水町の炭住街は消え去っていました。 私が訪れなかった空白がこんなに大きかったかと深くため息が漏れました。 菊水町は温室が立ち並ぶ新しい風景になっていました。 青葉町のわずかにシャッターのしまった商店街が昔の面影を感じさせます。 ダム寄りに車を走らせると炭住街のなくなった後に残る張り巡らされた道路と空き地。 荒れ地となったその空間が広がっています。

(交通:清水沢-[バス16分]-南部)


■案内所

南部から青葉町、菊水町の下る手前の右手にあったのがこの案内所です。 閉山後もしばらく残っていましたが現在では撤去されその周辺は荒地になっています。

■青葉町商店街

青葉町、菊水炭鉱住宅街に隣接する形でこの商店街はありました。 この訪れた当時は店舗はすべて閉鎖こそしていたものの荒れてはいませんでした。 しかしながらそれがかえって不気味さを醸し出していたとも言えなくもありません。

■ボタ山

南大夕張鉱の採掘にともなってできたのがこのボタ山です。 ボタ山は建物などがなくなった後もずっと残り続けるであろう象徴的な存在です。 まだそれほど草木に侵食はされていません。


北海道旅情報巻頭  3-1.炭鉱町を旅する
南大夕張炭鉱の風景