青葉・菊水炭鉱住宅定点撮影


三菱南大夕張鉱の炭鉱住宅街はほとんどがこのシューパロ川畔の青葉町、菊水町にありました。 木造平屋の炭鉱住宅とその入り口にあった商店と生協などが平地を埋め尽くしていたのです。 近年の炭鉱住宅は鉄筋コンクリート造のものが主流でしたが、 ビルド鉱でもあった南大夕張鉱の炭鉱住宅はなぜか木造でした。

そんな青葉町・菊水町の風景を下っていく道の上から定点撮影をしてきました。約30年に渡る変化してきた風景は劇的な時期もあり、逆にあまり変わらない時期もあり様々です。



平成2年3月

閉山直前の風景です。 冬の空に無数の蒸気が立ち上り、生活感が溢れています。 緑の屋根が一面に続く炭鉱住宅は壮観でした。



平成2年8月

閉山後菊水町の炭鉱住宅街は1年の期限を持って使用することができました。 その猶予期間に撮影した写真です。 緑の屋根と周囲の緑が溶け込んでいる不思議な風景でした。



平成5年10月

菊水町の炭鉱住宅がすべて撤去された後の風景です。 忽然と姿を消した炭鉱住宅街は訪れた時はかなりショックでした。 炭鉱住宅街前にある商店街が営業している店舗はないものの建物だけは残っていました。住宅街の一部にビニールハウスが確認できました。



平成12年5月

商店街も住む人のない商店はかなり倒壊が進み無残な姿をさらしていました。 そんな中にもわずかな人は住み続けていました。 炭鉱住宅のあった地は舗装道路だけが残り、その周りは荒れ地になっていました。ビニールハウスは消失。



平成15年8月

商店街は半数程度の建物が自然に崩れ無残な姿を晒していました。残る建物も住人がいる建物以外では劣化が進み今後数年の間にはその姿をとどめるのはわずかになってしまうことでしょう。閉山直後に炭鉱住宅があった場所にできたビニールハウスも今では緑に埋もれてしまっていますが奥の農家は健在な模様。商店街のすぐ近くにゲートボール場があり昼間は老人で賑わいます。



平成16年10月

秋の風景、1年前と大きな変化はないようでした。



平成19年5月

2年半ぶりの定点撮影地点からの風景は写真では大きな変化はないように見えます。しかしながらそのダム側は衝撃的な状況になっていました。付替道道夕張新得線がトンネルから商店街間近まで盛土され整備されてきていたのです。確認したわけではありませんが商店街はどう考えても拡幅された道道の用地補償で取り壊されそうな気配でした。次の訪問時にシューパロ川の畔のこの風景は見ることができないような予感がしました。



平成20年2月

冬に久しぶりの訪問。商店街の多くは雪に埋もれていましたが、それでも逆に除雪してある道路と家を見かけると嬉しくなります。工事現場の新設の道路も雪の下でした。



平成20年10月

青葉水泳プールが解体され更地になっていました。夕張いいとこ発見ウォーキングの時に伺った話によると青葉町に住む方は現在農家も含めて11軒とのこと。青葉町は打ち捨てられた商店街として取り上げられることも多いのですが実際はそうではなく暖かい息遣いが聞こえる町なのです。パークゴルフ場も高台に移りましたが青葉町はまだまだ生きています。



平成25年4月

青葉町の商店街は少しずつ建物が倒壊して減っていました。今ある建物も歪んでいたりして何時までもつのか不安になります。久しく訪れていなかったので菊水町が完全な更地になっていたことにも驚かされました。



平成25年10月

試験湛水前の最後の訪問。ここの風景だけは何も変わっていませんでした。



平成26年5月

試験湛水が始まり三弦橋も沈んだ後の訪問です。青葉町の商店街をたくさんの車が駆け抜けて管理事務所に向かう光景が不思議でした。



平成27年2月

試験湛水のサーチャージが終わり水位が下がり、三弦橋が再び姿を現した際に訪問しました。



平成27年5月

新緑が目立ってくると商店がわずかに残っていることさえも分からなくなります。



平成28年5月

商店で残っているのは数軒程度。



北海道旅情報巻頭  3-1.炭鉱町を旅する
青葉・菊水炭鉱住宅定点撮影