陸別町川上の集落跡





陸別町川上は旧ふるさと銀河線の最も険しい陸別-置戸間にある集落です。川上駅の周辺の人家は残念ながら姿を消し、今では国道を1km程小利別方面に向かった利別川と熊の沢川、トロマイ川の分岐点に民家が3軒あるに過ぎません。かつてはその支流の川沿いにも民家が数軒あり、その現況は陸別町林内・利上・熊ノ沢の谷をご覧下さい。そんなほとんど人の痕跡を探すのも難しいと思われた川上にも実は人の住んだ証として様々なものが残ります。





川上駅は前述の通り周りに人家はなく秘境駅としても有名な存在です。駅舎が味のあるつくりで大正9年の開業当時の木造駅舎に駅員が滞在した部分のみ防寒対策が施されています。駅舎の道路側扉が未だに木製であることも貴重かもしれません。銀河線廃止直前にはイベントも開催され、駅舎内には「川上駅について」の張り紙があり、駅の由来が記されていました。それに依ると大正12年の乗降客数は一日80人程度とあり、その当時の賑わいを感じることができます。昭和58年7月小学館発行の「国鉄全線各駅停車北海道690駅」には「川上は小さな駅舎こそあるが、線路両側に山が迫っていて民家はない。駅のすぐ前を国道二四二号線が通る。」と書かれ、その時にはもう周辺民家が消滅していたことがわかります。

銀河線廃止後の陸別-川上駅間を鉄道施設を活用し、銀河線車両等を動態保存する計画があり今後が注目されます。

秘境駅人気と廃線の話題から訪れる人がかなり増え、私が平成16年5月のGWに訪問した際にも駅にも人影があり、分線-川上-小利別の途中の道路にも500m〜1km間隔位で人が歩いていました。その中で旧道の痕跡などを探していた私はあからさまに異質だったらしく、旧道の写真を撮っている横を遠く避け歩かれてしまったのが少し悲しかったです。



駅から北を遠望。ほとんど何もない荒地の向こうに廃屋が一軒ぽつんと建っていて、これがかつてのブロック造の鉄道官舎、宿舎4号です。昭和45年編集の5万分の1地形図にはこの間にさらに2軒の人家が描かれて、交換設備があり有人駅だった時代には鉄道官舎が立ち並んでいた一角だったのかもしれません。



写真左のように駅から400m程北に行った先に左に折れる道があります。ここで線路を越えさらに利別川を越えることができるのです。そして写真右のように線路を越えた先には南に向かう道がさらに分岐します。この付近に水準点があるはずでこのダートがかつての南北道路の今の国道242号だったのでしょう。今では荒れ地を貫き林に消えていくのみです。またかつての東西の川越えの道はもう少し南側にありました。



踏み切りを越え利別川を渡ると道は南に進む道と北西に進む道に分かれます。北西に進む道は激しく高度を上げていて普通車では難しそうな雰囲気で造林道と判断し南に行くことにしました。その先に写真のような西に伸びるすぐ行き止まりになる道を見つけました。




その道を上ったところには崩れた廃屋が一棟、林の中に佇んでいました。この建物が昭和39年に廃校になった川上小学校です。40年の月日を経て未だに校舎は痕跡を残していたのです。今なお残るのは校舎の入口のほんの一部分だけでした。写真左は平成16年5月、写真右は平成18年5月の状況で少しずつ風化が進んでいます。基礎の部分は大部分苔むしていて大分以前に壊されたか倒壊したのでしょう。今わずかに残る部分はトイレが3基並んでいた場所で柱や壁が多くあり奇跡的に残ったと考えられます。



校舎から少し離れた場所にあった煉瓦の構造物。焼却炉と思われます。



さらに南に進んだところで北を望みます。



その西側には小さな小屋がありました。形状と地形図から判断した結果この建物は神社だということがわかりました。小学校よりもまだ原型を留めていました。



さらにメインの道路は西に折れ、南に行く道が分岐しますが沢を渡る悪路で通行は困難です。



メインの西に向かう道路。神社の脇の並木が立派で牧歌的ですが無人地帯の一風景。



西に向かう道路の果てにあるのがこの民家です。この建物を見たとき私は正直信じられませんでした。帰宅後、昭和45年編集の地形図を見ると確かにこの建物は載っていて周りにわずかながらの畑が描かれていましたが前知識なしに見つけた瞬間は驚きました。建物は住んでいる人はいない雰囲気で林業従事者の休憩施設としての役割を担っているのかもしれません。外壁の模様が独特でたいへん興味深かったのですが人気のない山間ということで不気味さも感じました。また手前の川を渡る橋は木橋で、車で通過する時はかなりどきどきしました。



北海道旅情報巻頭  3-8.農林山村スケッチ
陸別町川上の集落跡