雄武町上幌内と上雄武





上幌内の農家の廃屋









雄武町はオホーツク海に面する町で東京23区とほぼ同じ面積に平成16年度の住民基本台帳に拠ると5,583人が住みます。昭和50年には人口が7,490人だったことから考えると人口は約30年で2,000人減となります。世帯数は約2,200世帯と変わっていないので核家族化、高齢化が進んでいるのでしょう。一見漁業が卓越した地域とも感じられますが農業も海沿いの丘陵地を中心に盛んで平成13年度の役場の調査では漁家数200戸、漁獲額39億4000万円に対し、農家数106戸、生乳生産額と肉牛生産額計31億9000万となっています。そして雄武町の中でも内陸部の農村地帯はそれ以上に深刻な過疎化が進んでいるのです。



上雄武市街。今では農家が数軒と公民館、旧小学校、神社あるだけですが大分前からこの状態は変わっていないようでした。学校前はわずかに道路改良が行われていてカーブがゆるやかになっていたのですがこの様な工事がどれだけ意味があるものなのか少々疑問に感じました。



旧上雄武小学校。木造の校舎が魅力的ながらも一部屋根が倒壊していました。建築は昭和10年代頃のものと思われます。昭和62年上雄武小学校は中雄武小学校とともに廃校になり、共栄小学校に統合されました。そして同時に共栄小学校は校舎が新築されています。上幌内小学校も平成2年に廃校になり共栄小学校に統合されていますがそれでも共栄小学校の生徒数は20人弱と小規模校に変わりがありません。上幌内小学校の統合が上雄武小学校より後になったのはやはり上幌内が遠隔地であったことが理由なのでしょう。



上雄武の離農農家。最初まだ人が住んでいるのかと思う程しっかりした建物でしたが近づいてみると雪で入口がふさがれていました。



上幌内市街。写真の正面道路が道道下川雄武線で右折して入っていく道路が上雄武への道道です。



旧上幌内小学校は残念ながら現在更地になっています。門柱がわずかにここに学校があったことを知らせてくれるのですが平成15年頃まで昭和13年建築の校舎もあったとのことです。写真右の昭和45年に建立された開拓の記念碑が近くにありました。

そして校庭のあったと思われる場所の一部はパーキングになっています。駐車場の案内には以下の内容が記されていて開拓に入った人々が去っていく様が文面から読み取れとても寂しく感じました。

「上幌内山の里パーキング  上幌内はピヤシリの霊峰を仰ぐ幌内川の清流のもとにあって、豊かな森林と自然に恵まれた所である。遠く明治四十年に開拓が始まって以来、今尚、天をおおうばかりの樹木に囲まれ、厳冬期には零下30度、積雪2m、真夏ともなれば30度も越す。融雪と共に水仙・サフラン・コブシ・ツツジ・桜等が咲き、さまざまな山菜も豊富である。鳥類や魚類がにぎやかで、狐や狸、鹿、更には熊等が山野をかけめぐるこの上幌内は四季おりおりの風物を美しく保っている。」



パーキングから上幌内郵便局を遠望。平成10年9月廃局。私が行き来している間に車が停まっていたので建物は集配の車の休憩所などで利用されているのかもしれません。





農地は自然にもしくは植林され消えていきます。



準公的な施設かもしれない建物。









道道沿いには農家が立ち並びますがそのほとんどすべてが廃屋です。かなり以前に人がいなくなりつぶれたもの、まだ最近まで人がいたかのような建物。さながら廃屋銀座の様相です。



北海道旅情報巻頭  3-8.農林山村スケッチ
雄武町上幌内と上雄武