開北炭鉱と市営球場



開北炭鉱は明治37年-明治41年頃に開坑、大二神威、横山と称されてきましたが度々経営者が変わり、大正7年から開北の名前を称する様になりました。昭和18年に北炭に買収され空知鉱業所神威鉱開北坑となりましたが、北炭としては昭和38年に閉山、事業は北斗炭鉱に引き継がれましたが昭和45年閉山に至りました。

市営球場の裏に坑口が残されています。また脇の植林されたエリアには基礎が点在していました。



敷地内には木製のシューターと石炭が置かれていました。



昭和33年市制施行記念で造られた市営球場はこけら落としとして、ノンプロ野球大会が開催されました。平成21年度に廃止されました。


 参考文献 平成21年 北海道炭鉱資料総覧 空知地方史研究協議会
平成22年 うたしない炭鉱の記憶写真集 歌志内市郷土館支援組織「ゆめつむぎ通信員」

北海道旅情報巻頭  3-1.炭鉱町を旅する
開北炭鉱と市営球場