北炭遠幌炭鉱と遠幌保育園





遠幌保育園



北炭遠幌炭鉱は太平洋戦争末期の昭和19年12月に遠幌鉱区開発計画の中で遠幌斜坑がまず開発されました。三菱鉱業大夕張鉄道の遠幌駅舎は北炭の寄贈により昭和23年建設され、駅前には遠幌炭鉱の事務所、診療所などがありました。その後、昭和26年8月に清水沢から通洞が貫通、翌年に清水沢炭鉱に統合され遠幌炭鉱としての歴史は終焉を迎えますが、清水沢炭鉱本坑として昭和44年迄採掘は続けられました。

清水沢から夕張川沿いに東に大夕張へ向かう途中に遠幌の集落はあります。国道沿いには閉鎖された商店が点在し、周囲にはわずかに炭鉱住宅が立ち並んでいる地区があったり、自然な流れの中で集落の縮小が進んでいる場所といえるでしょう。国道沿いにあるのがこの遠幌保育園の跡で、この建物は北炭遠幌炭鉱のかつての事務所です。後に夕張保育協会運営の遠幌保育園として利用されました。現在建物には賃借を募る案内看板が前に立てられています。



遠幌斜坑は山の中に二つの坑口がありました。



両者とも鉄板で密閉されています。清水沢炭鉱本坑時代も風洞として利用されました。



遠幌斜坑に向かう途中には煉瓦造の謎の構造物もありました。そして小さいながらもズリ山が捨て線の跡も明瞭に残っていました。



斜坑方向に向かって口をあけたコンクリートがあり、石炭が輸送されたルートと思われます。



そして川沿いには石炭の積み込み施設らしきコンクリート構造物もありました。



遠幌保育園の園庭と遊具は草に覆われ、建物の入口はシャッターが下りていました。

平成5年のNTT発行の最後の夕張市のみをエリアとするハローページに依ると夕張市内に保育園は8校、幼稚園は1校ありました。

保育園は夕張保育協会の運営の施設が遠幌、新夕張、清陵、沼ノ沢、紅葉山の5校、それに小鳩、緑ヶ丘、富野季節の3校です。この遠幌保育園と平成11年に社光にあった小鳩保育園が閉鎖となり、現在では6校が夕張市内にあります。夕張保育協会の各保育園の設置時期は市の中心部にある末広保育園を除き昭和50年以降でそれ以前は地域における児童保育機能は炭鉱会社もしくは学校法人、宗教法人の保育園が担い、それ以後公共に肩代わりしてきた歴史が読み取れます。子育て支援センターは沼ノ沢保育園に併設。

幼稚園は平成5年には市の中心部の本町に夕張大谷幼稚園がありましたが現在市内には平成6年に開設された南清水沢の夕張市立のユーパロ保育園1校となっています。推測するに大谷幼稚園閉鎖の代替として夕張市立の幼稚園が設置されたということなのでしょう。ユーパロ幼稚園は夕張教会の夕張天使園保育所の施設を利用したもの。



参考文献 昭和33年 北海道炭鉱汽船七十年史 七十年史編纂委員会
平成5年 ハローページ(夕張市) NTT



北海道旅情報巻頭  3-1.炭鉱町を旅する
北炭遠幌炭鉱と遠幌保育園