茶志内炭鉱と茶志内炭山郵便局




茶志内炭鉱は明治43年から試掘が始まり、その後数度一時稼行、大正6年から茶志内炭鉱と称し稼行されました。昭和12年日東美唄炭鉱と改称、大勝坑を開坑しました。昭和19年に三菱鉱業に買収をされ、昭和23年採掘区域を拡大するため茶志内通洞開削に着手しました。鉱区は三菱美唄炭鉱の滝の沢新坑、竪坑、の北に位置する産化美唄川沿いから美唄川に至る東西9km、南北3kmの区域でした。生産量は最盛期で年20万トン程度でした。昭和42年に閉山。



茶志内炭山郵便局は昭和18年竣工。開局当時は茶志内東郵便局でしたが昭和23年に茶志内炭山郵便局として改称されました。閉山の翌年の昭和43年に閉局。平成20年の晴れた日に初めての訪問。



平成26年の訪問では塗装がかなり色褪せてきていました。



平成28年5月の訪問では屋根が崩れ、窓も開き、荒れ果てた状態でしたが10月に解体されました。



墓地の中には殉職者慰霊碑がありました。写真左の殉職者慰霊碑は平成20年に撮影、その後すぐ危険な状態だったため取り壊され、写真右の殉職者慰霊碑が建立されました。



採掘域を本格的に美唄川沿いの延ばすため、索道頼りだった輸送を輸車路に切り替えるために造られた茶志内通洞。写真左は東側坑口ですが意図的に壊されたかのような状態でした。写真右は、その後東に向かう輸車路の明かり区間、築堤になっていました。



明かり区間をさらに進みましたがその先の坑口は残念ながら発見できませんでした。しかしながら小さな構造物が出現しました。



輸車路の何らかの中継のための機械設備が置かれた建物でしょうか。ドーム状になっていてとてもユーモラスでした。


 
参考文献 昭和40年 5萬分の1地質図幅説明書砂川(札幌-第5号) 地質調査研究所
 平成15年 そらち炭鉱遺産散歩 北海道新聞空知「炭鉱」取材班
平成21年 北海道炭鉱資料総覧 内田大和編・著 空知地方史研究協議会
平成26年 石炭産業論 矢田俊文著作集第一巻 原書房

北海道旅情報巻頭  3-1.炭鉱町を旅する
茶志内炭鉱と茶志内炭山郵便局