夕張社光・高松地区の冬



石炭の歴史村がある一角はかつて夕張で最も炭鉱が多くあった場所でした。また夕張の中でももっもと早く明治20年代に開発が行われた場所でもあります。開発は北炭の前身、北海道炭鉱鉄道北炭の手により行われました。

北炭の主力炭鉱として石炭の採掘が続けられる中、夕張市内には北炭の炭鉱がいくつも林立しました。昭和40年代に入ると炭鉱のスクラップアンドビルド政策が推し進められ、長期間採掘が続けられてきたこの地区の炭鉱は昭和52年をもって閉山となりました。そのような中ビルド鉱として期待された夕張新鉱は昭和50年に営業出炭が開始されたものの、昭和56年にガス突出事故を起こし、93人の犠牲者を出し、翌年に閉山となったのは残念でなりません。

石炭歴史の村の周囲には夕張の歴史ともいうべき景観が最近まで残っていました。それがこの社光、高松地区です。現在この地区の建物はすべて解体され、郷愁の丘ミュージアムという施設ができました。映画をテーマとしたシネマのバラード、炭鉱の歴史を伝える生活歴史館、センターハウスなどがあります。そしてその代替として本町に新しい高層市営住宅ができています。



■社光炭鉱住宅

炭鉱住宅の風景を眺めるために谷を挟んで反対側の福住の炭鉱住宅の脇の雪原を登っていき、社光を正面に見ることができる高さまであがってみました。傾斜地にはかつては炭鉱住宅がびっしり立ち並んでいたはずですが、平成7年の時点の上の写真ではわずかに残るばかりでした。雪が段々になっている陰影が過去の風景を思い起こさせます。郷愁の丘はこの写真のちょうど中央の社光の中心街に新たにできました。


■高松炭鉱住宅

高松炭鉱住宅は最終期には社光の半分程度の人口を抱えた町でした。そんな地も今では炭鉱住宅はすべて撤去され斜面にはただ荒地が広がるのみ。社光よりも若干奥に位置する高松地区が日の目をみることはなさそうな気がします。(写真左平成7年2月、写真右平成15年8月)




(平成7年2月高松炭鉱住宅拡大写真)


(地域別情報4-8-1.夕張・鹿ノ谷に地図と周辺案内があります。)


北海道旅情報巻頭  3-1.炭鉱町を旅する
夕張社光・高松地区の冬