三菱美唄炭鉱と三井美唄炭鉱第2坑






三井美唄炭鉱第2坑の原炭ポケット







三菱美唄炭鉱は大正2年に飯田美唄炭鉱が開鉱したことに遡ります。その後、大正4年に買収され三菱美唄炭鉱となりました。同じく美唄-美唄炭山間の鉄道が大正3年開業し、大正4年に買収され三菱鉱業美唄鉄道となりました。昭和20年には170万トンを採掘し、戦後すぐには大幅な減産はあったものの100万-150万トンを採掘する三菱の主力炭鉱でした。谷の傾斜地には常盤台、清水台などの炭鉱住宅がかつては立ち並んでいましたが今は無住地帯になっています。閉山は昭和48年3月、昭和48年8月には北菱我路炭鉱が閉山し、美唄市の坑内掘りの炭鉱は消滅しました。

三井美唄炭鉱第2坑はその起源を明治時代に徳田炭鉱として開鉱したことに遡ります。その後、大正4年に新美唄炭鉱となり、昭和16年に三井鉱山に買収され、昭和26年三井美唄炭鉱第2坑となりました。昭和38年閉山。現在美唄浄水場脇に原炭ポケットと選炭機の一部が残ります。



三菱鉱業美唄鉄道の東明駅は保存され、SLも展示されています。 そしてその脇に小さなサイクリングターミナルがあります。 三菱鉱業美唄鉄道の廃線跡の東明〜我路間がサイクリングロードとなっていて途中にはアルテピアッツァ美唄や三井美唄炭鉱第2坑の原炭ポケットなどに立ち寄ることができます。自転車専用ですがまれに車が侵入してくることもあるので注意しましょう。



映画館跡は立入禁止ですがそのまま残ります。昭和30年代後半に建設されましたが三菱美唄炭鉱滝ノ沢坑の廃止に伴い閉鎖されました。



アルテピアッツァ美唄の建物は元の小学校の木造校舎です。栄小学校として昭和25年に建設され、昭和56年に閉校になりました。その後、一部が取り壊されたものの保存され、敷地一帯を公園化し、安田侃の彫刻を展示した施設になっています。また校舎は栄幼稚園としても使用されています。芝生が広がる空間に点在する彫刻と木造校舎は大変美しく、この周辺の観光拠点にもなっています。写真右は作品のひとつ「帰門」。




写真左は「天翔」という作品。窪地になっていて、歩いて降りていくと周りの音が消え、視界さえも空だけになり、不思議な感覚です。



三井美唄第2坑は浄水場の脇に原炭ポケットをはじめとする遺構が残っています。



盤ノ沢への入口。私有地のため基本的には立ち入ることができませんが航空写真からはしっかりシックナーを確認できます。



北菱美唄炭鉱の貯炭場も近くにあります。三菱美唄炭鉱滝ノ沢発電所がこのさらに東にありましたが現在は更地になっています。



その近くの山を見上げると見上げると坑口がぽっかり口を開けていました。



滝の沢川を遡ると橋脚が川に1基とすぐ上に橋台がが確認できました。そこからさらに追っていくと三菱美唄炭鉱滝ノ沢坑の坑口が対岸に見えました。坑門には三菱のマークが記されているとのこと。




道路側にも立派な橋脚とさらに先には隧道がありました。この隧道が選炭場に繋がっていたのでしょう。


北菱美唄炭鉱の露天掘りはしっかり整地されていました。



建物の基礎も発見。



我路市街にある焼き鳥ガロ。




三菱美唄記念館は昭和52年に完成した資料館で我路ファミリー公園内にあります。展示施設は決して広くはありませんが一見の価値はあり。施設は三菱マテリアルが寄贈したもの。



国設スキー場のレストハウスはかつての沼東中学校の体育館で見た限りレストハウスにするにあたり前部を増築した雰囲気でした。



沼東小学校は昭和34年に建設された円形校舎です。かつては円形校舎は2棟あり、渡り廊下でつながり、別棟で間に職員室、校長室がありましたが今も残るのは1棟と体育館の骨組みだけです。閉校後青少年自然の家として活用される計画があったものの実現せず現在に至っています。校舎は完全な円形ではなく実は正14角形でした。



沼東小学校の奥には浄水場の跡もありました。



三菱美唄炭鉱のあった場所は炭鉱メモリアルパークという公園になっていて鮮やかに塗られた立坑櫓が2基残されています。



原炭ポケットは道内最大級のものが残されています。坑口の跡もありました。



三菱美唄炭鉱一坑にある扇風機と坑口。



メモリアルパークから美唄川を清水台に渡り登って行くと放散筒がありました。



清水台に残る浴場。



清水台の商店街があったと思われる場所には「清水台」と記したプレートも見つかりました。また鮮魚と書かれたタイル貼りの水槽もありました。



炭鉱住宅が並んでいた一帯には便所の基礎が一定間隔で並んでいました。また地下倉庫らしきものの入口も見つかりました。



炭鉱住宅街を過ぎてしばらく行くと壁の残された大きな建物の跡がありました。



さらにその奥には水道施設も残されていました。



北海道旅情報巻頭  3-1.炭鉱を旅する
三菱美唄炭鉱と三井美唄炭鉱第2坑