はじめての障害(ジャンプ)レース
'00 障害(ジャンプ)レースをふりかえる |
★ここが変わった! 障害(ジャンプ)レース
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2000年の中央競馬の日程などのあらましは、99年11月18日に日本中央競馬会(JRA)から公式発表されています。そのうち、障害レースに関する「主な」変更点は次のとおりです。いわば「ジャンプ元年」で大改革のあった1999年に比べて、小さな変更となっています。 中山グランドジャンプ、外国馬も参加可能に
阪神スプリングジャンプの距離が変更
新潟ジャンプステークスは、千葉県で
インターナショナルジャンプジョッキーズ競走の廃止
【番外編】00年の制度変更によるものではないのですが・・・ 海外騎手が、日本の障害レースを乗りに・・・
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★ '00JRA賞障害(ジャンプ)部門受賞者
00年最優秀障害馬 ゴーカイ号 |
![]() ゴーカイ号は平地レースで1勝後、障害レースの世界に転向。まだ(障害レースで)未勝利だったころの99年春、インターナショナルジャンプジョッキーズ競走(現存せず)において海外から招待された女性騎手(マドレーヌ騎手)が、馬券的には全く人気のなかったこの馬を2着にもってきたのをきっかけにジャンパーとしての素質が開花しました。得意戦法は、後方一気の追い込み。なお、ゴーカイ号は00年JRA賞のあらゆる部門を通じてただ1頭の関東所属馬であり、障害レースの世界においても関西所属の猛者たちに立ち向かう「東の一匹狼」的存在であります。 父はジャッジアンジェルーチ号、母はユウミロク号。1993(平成5)年5月6日生まれ。性別♂。(写真は00年東京ハイジャンプ時のもの) |
00年最優秀障害騎手 熊沢重文騎手
00年最優秀障害騎手の栄誉は、99年に引き続き熊沢重文(くまざわ・しげふみ)騎手が手にしました。 さて、00年の熊沢騎手は、障害レースだけで17勝を挙げ、「快挙」と言われた99年の16勝を上回りました。これは、障害レースの勝ち数としてはもちろん中央競馬所属騎手の中でトップであります。ただ、00年においては重賞レース(大レース)勝ちがなかったこと、それと、どういうわけか熊沢騎手が騎乗している馬はスピードタイプが多く、スタミナ勝負のJ・G1競走の騎乗機会がなかなかないのが悔やまれるところ。 なお、熊沢騎手は平地レースにおいても活躍しており、かつてコスモドリーム号で「優駿牝馬(オークス)」競走を、ダイユウサク号で「有馬記念」競走を制した騎手、といったほうが、一般には通りがいいかもしれません・・・。1968(昭和43)年1月25日生まれ。 |
★00年障害(ジャンプ)レース記録番外編?
00年障害レース落馬王 林満明騎手・山本康志騎手(五十音順) かなりの高速で馬を操りながら生け垣などを飛び越える障害レースでは、騎手の落馬はつきもので、「落馬は障害の華」とも言われています。それでは00年の障害レースにおいて、どの騎手が一番多く落馬したんでしょう? 調べてみた結果、林満明(はやし・みつあき)騎手・山本康志(やまもと・こうし)騎手が6回の落馬で、記録を分け合っていたことがわかりました。参考までに、最優秀障害騎手・熊沢騎手の00年障害レース落馬回数は「4」でした。 障害レースで(平地レースでもそうであるが・・・)騎手が落馬するとその馬がらみの馬券はパーになってしまい、騎手自身もケガの危険性があるため、やはり落馬はしないに越したことはありません。でも、障害レースでの落馬数自体は決して恥じる記録ではないもの。先発タイプ野球投手の「負け数」と同じく、それなりの「実力の証」でもあるからです。 林満明騎手 00年障害レース10勝。1966(昭和41)年10月31日生まれ。
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