モーツァルト 音楽の遊び ハ長調 K.516f 注

[1]土田英三郎「骰子音楽と結合術の伝統」、《音楽と音楽学》―服部幸三先生還暦記念論文集―(音楽之友社、1986年〉421-466ページ。

[2]現在でも入手出来る版としてW.A.Mozart 'Melody Dicer' Carousel Publishing Corp., 1983がある。この版のケッヒェル番号はK.516F(ママ)とあるが、K.Anh.C30.01と訂正されるべきである。そのほかにも出典不明のものがフィリップスのモーツァルト全集で入手可能であり、ウェブサイトでのアクセスも可能である。

[3]土田英三郎、前掲書438-441ページ。

[4]この断片の印刷譜はNMA(新モーツァルト全集)[/19/1、184ページにある。

[5]モーツァルトからの要求に応じた父親レーオポルトは、1778年4月20日の手紙の中で習字用のアルファベット―大文字、小文字をそれぞれ26文字ずつ―をモーツァルトに書き送っている。 Emily Anderson, ed.: Letters of Mozart and his Family (London, 1938; rev.3/1985), 530ページ参照。

[6]O.E.Deutsch and J.H.Eibl: Mozart Dokumente seines Lebens, dtv dokumente (1963; rev.2/1981), 145参照。

[7]Marion M.Scott: Haydn; Fresh Facts and Old Fancies, PMA LX [(1941-42), 87ページ以降参照。

[8]NMA [/19/1, 序文Xページ参照。

[9]Carola Groag Belmonte: Die Freuen im Leben Mozarts(1905;rev.2/1924), 132ページ。邦訳カローラ・ベルモンテ著・海老沢敏・栗原雪代共訳「モーツァルトと女性」(音楽之友社、1974年)、210ページ参照。

[10]彼はバルバラ・プロイヤーの父親である。かつてバルバラの父親であると思われていたゴットフリート・イグナーツ・フォン・プロイヤーは、彼女の伯父であることが判明した。Walter Senn: Abbé Maximilian Stadler: Mozarts Nachlaß und das "Unterrichtsheft" K.435b, MJb 1980-83, 287-298ページ、特に297ページ。及びO.E.Deutsch and J.H.Eibl前掲書145ページ参照。

[11]現代ドイツ語の正書法ではFranciscaではなくFranziskaと綴る。

[12]E.Andersonの前掲書902ページ注5を参照。なおO.E.Deutsch and J.H.Eibl前掲書145ページではフランチスカは(1769-1850)となっている。

[13]NMAV/9、序文VIIページ参照。

[14]NMA[/22/2、序文XIページ参照。

[15]NMA[/20/2、序文VIII、XIIページ参照。

[16]NMAU/7/4、序文VIIIページ参照。

[17]ケッヒェル第6版、576ページ参照。ヨーゼフ・フランツ・フォン・ジャカン(1766-1839)はゴットフリート及びフランチスカの兄である。O.E.Deutsch and J.H.Eibl前掲書147ページ参照。

[18]ケッヒェル第6版、583、602ページ参照。

[19]ケッヒェル第6版、585ページ及びE.Anderson前掲書908ページ参照。

[20]NMAU/7/4、序文XIIページ参照。

[21]ケッヒェル第6版、517ページ参照。

[22]アラン・タイソン博士はこの方法(ラストロロジー;rastrology)を次のように紹介している。「このような平凡な観察でも、写真から紙のタイプをかなりの正確さで同定できる、というところに価値がある」 Alan Tyson: 'Le Nozze di Figaro' Lessons from the autograph scores, MT, cxxii (1981), 456-461,特に458-459ページを参照。

[23]K.487=496aのファクシミリはHans Pizka: Das Horn bei Mozart(1980),217-220または、NMA[/21、XII-XVページ参照。

[24]アラン・タイソン博士より私信にて以下の貴重な情報を頂き感謝する。「モーツァルトが常用していた12段の五線紙はその線引きが異なることで区別される。1781年と1782年には12段はトータルスパン(第1段目の一番上の線と12段目の一番下の線との間の距離)が182.5-183mmである。たとえば後の1785年には12段のトータルスパンは189mmである。しかし、1787年にはトータルスパンは187.5mmである」そして、「K.516fの自筆譜は今日8段しかないが、12段のトータルスパンとして自分が測定したところによれば、元187.5mmであったことが判った」

[25]「4段の楽譜と手書き譜」がケッヒェル第6版においてK.626b/13の番号で参照されているが、今日紛失したとされている(本コメントもタイソン博士から入手)ため、K.516fとK.626b/13との関連は不明。

[26]E.Anderson前掲書904ページ参照。

[27]NMAV/10、序文XIIページ参照。

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作者:野口 秀夫 Hideo Noguchi
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(作成:1997/9/24、改訂:1997/10/25)