最近発見されたモーツァルトのアリア K.365a (Anh.11a)の自筆譜資料

皆さんは1996年6月24日のサンケイ新聞夕刊に次のような記事が載っていたのを記憶されているだろうか。

「モーツァルトのアリアが競売へ」(ロンドン発)
このほど見つかったモーツァルトの楽譜に書かれていたアリアが19日、オークションに先立ち、クリスティーズで実際に演奏された。見つかったアリアはソプラノと弦楽、ホルンのための曲でドイツ語の歌詞付き。クリスティーズの説明では、楽譜は米国内で見つかったもので、少なくとも今世紀中に演奏された可能性はないという。1枚の紙の表と裏に茶色のインクで書かれており、26日に競売にかけられることになっている。自筆譜と判断されたのは筆跡と紙のすかし模様から。作曲年代は彼が20代の半ばの1778年から80年までの間で、より大規模な作品の一部分とみられ、「後宮からの誘拐」の中に使おうとしていたのではないかという見方が浮上している。

最近のモーツァルト自筆譜の発見情報は真偽の疑わしいものが多く、期待をしないで待つのが賢明との判断から、特にアクションを起こさないでいたところ、1年たったこの程『モーツァルト年鑑』に全貌を明らかにするデクスター・エッジの研究報告と楽譜のコピーが掲載された。曲は《後宮からの誘拐》用ではなく、シカネーダー劇団から依頼された《眠れぬ二夜》のためのアリアの一部であることが今やわかったが、発見当時の新聞の報道がそれ以外の点ではまったく正確であったのは驚くべきことである。 研究報告の注からはクリスティーズの担当者自らがタイソンのすかしカタログや筆跡を調査したことが伺え、これはモーツァルト研究の成果が広く浸透していることの現れであると評価してよいだろう。

曲は《イドメネーオ》の直前に作曲されているが、ミュンヒェン宮廷のための曲と、旅回り劇団のための曲では自ずから曲の作りが異なるため多くを期待するのは無理としても、魅力的な曲であることは間違いない。ロバート・レヴィンはK.119との音型の相似を挙げているが、曲の構造からはK.374が近いのではなかろうか。おそらく、レヴィンは補作のCDを出してくるだろうが、それに染まってしまう前に皆さんには発見された30小節のモーツァルト作の部分を純粋に記憶にとどめておいていただきたいと思う。

以下はデクスター・エッジの研究成果報告の紹介である。

1.発見された楽譜の物理的状況について

発見された楽譜はモーツァルトの筆跡で30小節からなるソプラノのためのドイツ語のアリア手稿譜一葉(リーフ)である。アメリカの民家の屋根裏部屋から見つかった。文化や音楽の興味を持つ裕福な医者がかつてロサンゼルス地区におり,その妻の兄弟が原稿を相続してきたと見られている。それ以前の伝承に関しては不明である。

リーフはおもて面に15小節、うら面に15小節の楽譜を含んでいる。おもて面は音楽・歌詞とも途中から始まり、そしてうら面は歌手のコロラトゥーラ・パッセージの途中でとぎれる。故に、リーフが元来、より長い、ことによると、完全なスコアに属していたことが推定される。

用紙はリーフの下部にあるすかしの位置、五線引きの測定寸法、そして縦線の存在から、アラン・タイソンの「モーツァルト自筆譜すかしカタログ」の50番の12段の譜表タイプと全く同じであると報告されている。モーツァルトは1780年11月の初め以後にこの用紙タイプを使い始めた(彼は11月6日にミュンヒェンに到着した)から,今回見つかった当リーフはそれがほとんど確実に1780年11月以後の日付であるということがいえる。

当アリアのドイツ語歌詞は次のとおりである:

[...] Jungen lent geschmückt
doch willst du sie am stocke brechen
doch willst du sie am stocke brechen,
dich werden ihre dornen stechen
ihre dornen stechen
so laden tausend schmeicheleÿn
der liebe zum genuß dich ein,
und untreu gram und Eifersucht
sind meistens ihre frucht
sind meistens ihre frucht
untreu gram [...]

2.歌詞の出典についての考察

この歌詞はモーツァルトが1780年11月にエマヌエル・シカネーダーのために作曲したアリアに由来する。その戯曲の系譜は以下の通りである。

音楽は、今まで、完全に未知のままであったが,モーツァルトがアリアを作曲し、そしてそれが1780年12月1日にザルツブルクで上演されたことはモーツァルト家族の書簡に書かれていた。従って作品はケッヒェル・カタログ初版の付録で11aとして歌詞も曲首の引用もなしでリストアップされている。ケッヒェル第3版でアルフレート・アインシュタインはアリアを番号365aの下でモーツァルトの作品の主文の年代順配列に挿入していた。

エッジによれば、カルデロンの原作はアラゴンの国王ドン・ペドロ2世(1196年から統治)とその女王ドーニャ・マリアの歴史像に基づいている。しかしレチタティーヴォとアリアに対応する部分は無かった。ゴッツィはカルデロンのプロットを大部分維持し、ほんのわずか改められた名前を持っている。 ドーニャ・マリアはメティルデ と命名し直され、そして主役の使用人と腹心の友がコメディア・デラルテの登場人物に変えられている。レチタティーヴォとアリアは第4幕第5場の終りにかけて見出される。メティルデははなやかなパーティとコンサートの主人役を務めている。お膳立ては彼女の老齢の腹心の友パンタローネが行った。彼は、彼女が国王の嫉妬を喚起することによって国王の愛情を取り戻すことが可能であるかも知れないと信じている。この目的を心に、パンタローネは可能な限り多くの若者をパーティに招待した。一方、ペドゥロス王は腹心の友タルタリアとその他男たちと一緒に宮殿の外に潜んでいる。彼の欲望の対象として彼のかつての協力者であったモンフォルテ伯爵の娘ドンナ・ヴィオランテを誘拐しようとしている。コンサートの間に、匿名の歌手が桟敷に現われてアリアを歌う。国王は、アリアをふと耳にして、それが彼の妻への行為の暗黙の批判となっていることに気づいて怒る。

ヴェルテスの版は、ゴッツィのレチタティーヴォとアリアのかなり文字通りの翻訳を含み、その歌詞の冒頭はそれぞれ、"Warum, o Liebe, treibst du jenen grausamen Kurzweil"(「おお、愛よ、そなたはなぜそんなに恐ろしい冗談を言うのか」)そして"Zittre, töricht Herz und leide!"(「おののけ、おろかな心よ、そして苦しめ!」)となっている。ケッヒェル第3版以来第6版までゴッツィ、ヴェルテス、ディクの歌詞を引用しながら、ヴェルテスの歌詞を本命としていた。

しかしモーツァルトのテキストは、実際にはディクによる改作から引き出されたものであることが今回明らかになった。ディクの版は1780年にライプツィヒで出版され、初演はボンディーニ劇団により1780年7月12日にライプツィヒで行われている(モーツァルトは12月13日の手紙でディク版のタイトルを正確に記述している)。ディクの改作はヴェルテスの台本に注意深く基づいているけれども、レチタティーヴォとアリアは新しい歌詞となっている(ディクの版では第4幕第6場終わりに置かれている)。ディクのレチタティーヴォとアリアは次のとおり:  

レチタティーヴォ
Wie grausam ist, o Liebe, nicht dein Spiel!
Von ferne zeigst du unserm Herzen
Ein süßes Wonn- und Glücksgefühl:
Und ach! wie oft wird es Gefühl der Schmerzen!
Wir freuen uns der süßen Wunden,
Die uns dein Pfeil jezt schlägt;
Allein das Gift, das er uns in den Busen trägt,
Wird bald zu unsrer Qual empfunden.
おお愛よ、残忍ではないだろうか、そなたの遊びは!   
遠くからそなたはわれらの心を刺す。
甘い歓喜の感情、そして幸運の感情:
そしてああ、なんてしばしば苦痛の感情がくることか!
われらは甘く傷ついた自分を喜ぶ。
そなたの矢が今やわれらを打ったからだ:
しかしながらその毒は、われらの胸に運ばれ、
まもなくわれらに苦痛を感じさせる。
アリア
Die neugeborne Ros' entzückt,
Mit Reiz vom jungen Lenz geschmückt:
Doch willst du sie am Stocke brechen,
Dich werden ihre Dornen stechen.
So laden tausend Schmeicheleyn
Der Liebe zum Genuß dich ein,
Und Untreu, Gram und Eifersucht
Sind meistens ihre Frucht.
咲いたばかりの魅惑のばらは
誘惑をもって瑞々しい春で着飾る:
しかしあなたがバラの茂みを壊すならば、
彼女のとげはあなたを刺すだろう。
その通り、数多の甘言が
あなたを愛の楽しみに誘う。
そして不誠実、深い悲しみ、嫉妬が
たいていその産物である。

アリアの最初の7つの単語以外のすべてが今回見つかったアリア・リーフ上に出てきている。モーツァルトがレチタティーヴォのためにも音楽を作曲したのは極めてあり得ることと思われる。

3.作曲時期について

我々がシカネーダーのためのアリアについて最初に知るのは、モーツァルトが《イドメネーオ》の準備のために1780年11月6日にミュンヒェンに到着して最初に家あてに出した手紙によってである。 この11月8日の手紙の最後で、彼は書いている:

シカネーダーさんによろしく。アリアをまだ送れないことをどうぞ許してもらってください。まだ、うまく仕上がっていないものですから―(以下海老沢敏、高橋英郎編訳「モーツァルト書簡全集IV」白水社より)

エッジの指摘の通り,レーオポルトの11月18日の督促の手紙にはヴォルフガングが既にザルツブルクを去る前にアリアを作曲し始めていたと信じていたことを意味するような言い回しがある。

私たちはシカネーダーさんのお宅でひどく恥をかかなくてはなりません。私の霊名の祝日[11月15日]に、射的をしたとき、私は彼にこう言ったのです。『明日にはアリアが確実に着きますよ』―絶対間違いはないものと予想していたのだから、この私がなにかほかのことでも彼に言えただろうか?―その一週間前[11月8日]に、私は彼に言わなくてはならなかったのです。『息子はまだ全部は書き終えてはいないのでしょう』って。
確かに今回発見された部分は用紙がミュンヒェン製であるため、ミュンヒェンで作曲されたものと考えられるが、それ以前の部分についてはザルツブルクを去る前に作曲を開始していた可能性を否定はできない。

2日後の11月20日に更に強烈な催促があった後、ヴォルフガングは彼の11月22日の手紙と一緒に、遅れに対する弁解とともについにアリアを送った。

4.初演歌手について

アリアが次に言及されるのはマリーア・アンナの11月30日付けヴォルフガングへの手紙で、上演の前日に当たる:

シカネーダーさんはあなたのアリアにとっても満足しています。それに歌い手もしっかり勉強することでしょう。彼女はこのアリアを私たちのところで勉強しているからです。でも時間が少なすぎ、明日にはもう芝居が舞台にかけられます。この芝居で彼女がこのアリアを歌うはずです。

この歌手はブリュムル以来、恐らくアーデルハイト嬢であったと言われてきた。エッジもそれを肯定している。マリーア・アンナ・モーツァルトが1780年11月27日の日記記入項目で、「アーデルハイド嬢」と一緒に「タロック」で遊んだと述べているとおりモーツァルト家とは親しい仲であった。しかし、歌手はレーオポルトにより、12月2日のヴォルフガングへの手紙で,より好意的でない言葉で再び言及されている:

おまえのアリアがついた芝居は昨日ありました。―芝居はものすごく立流なものです。劇場は満員でしたし、大司教も臨席していました。アリアは見事に舞台にかけられ、彼女はアリアを立派に歌いました。―短い間に勉強したにしては可能なかぎり立派だったわけです。だって、彼女もバロと同じで、怠け者だからです。芝居が9時半過ぎまで続いたにもかかわらず、みな満足して劇場から出てきました―

彼女の初舞台が10月22日であることが判っており、この日付はモーツァルトがミュンヒェンに向かって出発する前に彼女が歌うのを聞くことができたはずであることを表しているとエッジは指摘している。

5.曲の構成についての考察

ロバート・レヴィンはリーフの上のアリアの部分がほぼ確実に移行部であり、アリアの第2主題の再現であると指摘しているという。主調での第2主題の再現(小節12で開始)がテキストの第2四行連句(のおそらく繰り返し部分)と一致しているので,もしレヴィンが正しいなら、その時モーツァルトは彼のアリアのセッティングにおいて少なくとも四行連句の両方を2度用いた違いないとエッジは述べている。

レヴィンは同じく、K.365aの小節2-11と、同じくイ長調のソプラノアリア"Der Liebe himmlisches Gefühl"(「すばらしい愛の気持は」)K.119(382h)の小節118-128の間のメロディとハーモニーにおける注目に値する一致に気付いた。彼が指摘するように、このパッセージの個々の要素はモーツァルトの作品では比較的ありふれている。しかし、詳細にわたってのこの方法での結合は珍しいという。

もし我々がモーツァルトがディクの"Wie man sich die Sache denkt!"(《いかなるわけか》)のために、アリアと同様、レチタティーヴォをも作曲したと想定するなら、そしてもし我々が今回見つけたリーフ上の音楽が第2主題の再現(換言すれば、どちらかと言うとアリアの後半)であるというレヴィンの仮説を受け入れるなら、オリジナルのスコアが少なくとも2リーフの先行部分と、少なくとも1リーフの後続部分を今回見つけられた部分に加えて持っていたと推測するのが合理的であるとエッジは述べている。所有者が作品を別々に売るためにオリジナルのスコアが解体されたとのであるなら、将来スコアのもっと多くの部分が現れるであろうチャンスが十分にあるように思われる,とエッジは結んでいる。

(Dexter Edge, A newly Discovered Autograph Source for Mozart's Aria K.365a (Anh.11a) in: Mozart-Jahrbuch 1996, pp.177-193より)

Soundソプラノのためのアリア「咲いたばかりの魅惑のばらは」 イ長調 K.365a

CH1: Cor I, II in A
CH2: Violino I
CH3: Violino II
CH4: Viola
CH5: Soprano (Clarinetto)
CH6: Violloncello
CH7: Contrabasso
制作時の音源:Roland SC-88VL
使用楽譜 MJb1996 p.194-6
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作者:野口 秀夫 Hideo Noguchi
Email:ホームページを参照ください。
URL: http://www.asahi-net.or.jp/~rb5h-ngc/j/k365a.htm
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(作成:1997/9/16、改訂:1997/10/19)