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ただいま増殖中

浅桐静人

 エンフィールドの街では、「謎の生物」が流行していた。黄色く、愛想がいいのか悪いのかよく分からない表情をした、サッカーボール大のただひたすら丸い物体だ。通称、丸いヤツ。正式名称は誰も知らない。もしかしたら、丸いヤツというのが名前なのかもしれない。
 この生物は成長が著しく速く、しかも最終段階まで育つと変身するという特徴を持っている。戦闘に戦闘を重ねたらグリフォンやドラゴン、のんびりと過ごしていれば猫やウサギ、育て方によっては、ゴミや流れ星なんかにまでその姿を変えるという、すごいヤツだ。
 いつ、誰がこの丸いヤツをこの街に持ってきたのかは知らないが、その登場以降、エンフィールド全体へと急速に広がっていった。
 街角では丸いヤツにトレーニングさせている人や、お互いに戦わせている子供達、それに丸いヤツを引き連れて散歩しているお年寄りがよく見かけられる。
 時々、公園などに野良もいたりするが、すぐに誰かが見つけて連れていった。
 つまるところ、丸いヤツの出現によって問題が起こるということは、実質上存在していなかった。

 近頃、犯罪もほとんどなかったため、公安維持局は暇を持て余していた。このままでは組織の存在意義が薄れてしまうと危惧を抱いた誰かが、ひとつの案を出した。それは、「街中に広がった丸いヤツは成長しきると変身するのに、なぜ丸いヤツそのものの数が減らないのか」を調べるということだった。
 ヴァネッサは当然、却下されるものだと何の疑いもなく信じていた。しかし、仕事という仕事がここ最近無かった公安は、その議案を受理してしまった。
 しかも、その矛先はヴァネッサに向けられた。つまり、ヴァネッサが調査を担当する羽目になった。
 公安の中でさして発言力のないヴァネッサには反論の余地もなく、間もなくして正規の任務が与えられ、丸いヤツ1つが支給された。
「これを私にどうしろって言うのかしらね」
 足下で飛び跳ねている丸いヤツを見下ろしながら、問いかけるように呟いた。丸いヤツはヴァネッサになど目もくれず、休むことなく跳ね続ける。
「これが減らないのは不思議だけど、どうやって原因を探せば……。あ、ちょっと、待ちなさいってば!」
 突如として走り出した丸いヤツ。まだまだ敏捷性の低いそいつは、ヴァネッサが早歩きするだけで追いつかれてしまうほどだ。丸いヤツの自主性に任せて、そのまま後を追っていくと、民家の白い壁に激突して地面にポトリと落ちた。
「★○▼」
 人語ではとても表しようのない鳴き声は、もちろんヴァネッサにも理解できない。たぶん「痛い」とでも言っているのだろうが、そもそも痛いという感覚があるのかどうかも分からない。
 ヴァネッサは、どう考えても丸いヤツのことを知らなすぎる。流行っているとはいえ、街の全員が知り尽くしているというわけでは、決してない。
「ひとまず、これを育ててみるのがいいのかもしれないわね。……それはいいとして、どうやって育てるの?」
 またまた行き詰まってしまったヴァネッサが振り向くと、そこにいるはずの丸いヤツがいない。慌てて四方を見渡すと、サッカーボールのように転がって進む黄色い丸い物体を発見した。
「こらっ、待ちなさい!」
 そう言った途端、言葉が通じたのか、丸いヤツがこちらに向かって一直線に向かってきた。
「え?」
 そのまま勢いよくヴァネッサの顔面――正確には、反射的に顔を覆った腕に激突した。それほどの勢いではなかったが、不意を突かれてしりもちをついた。さらに追い打ちをかけるように、高く跳ね上がった丸いヤツが頭上から落下してきた。
 頭の上で数回跳ねた後、バランスを崩して地面に落ちる。
「う、ヴァネッサさん、ごめん。……大丈夫?」
 覗き込むように、トリーシャが顔を出した。
「一応、大丈夫。事情がよく掴めないけど」
 冷静になってよく考えてみる。トリーシャが謝っているということは、さっきのはトリーシャが関与しているということか。あまり考えはまとまらない。
「あー、えーとね……」
 言いにくそうにしていたが、トリーシャは自分から、正直に事情を説明した。
 それによると、魔法の練習をしていたトリーシャの丸いヤツが、突然転がってきたヴァネッサの丸いヤツに、間違って攻撃系の魔法をぶっ放してしまった、とまあそういうことらしい。
 よく見ると、トリーシャの周りには全く同じ外見――少なくともヴァネッサには違いは見受けられなかった――の丸いヤツが跳ねたり跳んだり弾んだりしている。トリーシャから離れないところをみると、どれもトリーシャのもののようだ。
「3つ? で、どれがさっき私のに魔法撃ったのかな?」
 丸いヤツをひとつずつ睨みつけながらヴァネッサが一応疑問形で話しかける。それに対して丸いヤツ達がとる行動は1つ、そんなこと全く気にしないでそれまでの行動を続けるのみだ。
「ヴァネッサさん、目が本気……」
 むしろその飼い主(?)であるトリーシャが一番危険を感じ取っていた。もっとも、ヴァネッサが丸いヤツ相手に殴りかかるとも思えないが。
「はー、それにしても3つも同時によく育てられるわね」
 険悪なムードを解いて、ヴァネッサが呆れた声を出した。
「慣れたら簡単だよ」
 あっさりとトリーシャは答えたが、その通りかもしれない。この件に関しては、ヴァネッサに慣れなどない。行動パターンも単純そうだし、習性を理解し尽くすのも、言うほど難しくはないのかもしれない。
「それはそうと……」
 こいつが減らない原因が分からないかと、トリーシャの意見を求めようとしたが、そのトリーシャの声に阻まれた。
「ヴァネッサさんの丸いヤツ、あっちのほうに跳ねてってるよ。そんなに忠誠低いってことは、もしかしてすっごく厳しく仕付けようとしてた?」
「そんなわけないでしょうが。まだ何かを教えようとすらしてないわよ。こら、待ちなさい!」
 ヴァネッサから遠ざかるように飛び跳ねていく丸いヤツは、やはりすぐに追いつかれてしまったが、心なしか少しだけ速くなっているように思えた。
 後でトリーシャに話したら、「それはヴァネッサさんが走り疲れてただけじゃないかな」と言われて、ひとまず納得した。

 なんだかんだ言いながら、ヴァネッサは丸いヤツを育てていた。今では言うことも半分ぐらいは聞くようになった。けれども、なぜか常にヴァネッサと適度な距離を保ちながら行動している。
「うーん、ちょっと能力に偏りがあるね。ま、それはそれで個性があっていいんだけど」
 トリーシャがヴァネッサの丸いヤツを分析する。トリーシャは親切心か興味本位か、丸いヤツを育てるのに協力してくれている。
「成長の中途段階だから、まだまだ補正はかけられるけど、どうする?」
「それはそれでいいんだけど……」
 ヴァネッサが不可解な面持ちで呟くと、
「そう? だったらもっと走らせて素早さを磨いて……」
「そうじゃなくって」
「えっ? それなら戦闘繰り返して耐久力と抵抗力を……」
「いや、私が言いたいのは……」
 話題の転換をしようとするヴァネッサだが、トリーシャは丸いヤツを育てることしか頭にないといった感じだった。
「だったら、やっぱり苦手なところをカバーし……」
「少しは私の話も聞きなさい!」
 瞬時にトリーシャの動きがぴたっと止まった。
「どうして見てるだけで能力とかそういうのが分かるわけ?」
 やっと疑問をぶつけることのできたヴァネッサだったが、その矛先の向けられたトリーシャは未だ硬直していた。返事はおろか、視線さえ帰ってこない。
「ほら、固まってないで何とか言いなさいよ」
「……何とか」
 なんとか口に出したお決まりのセリフだったが、言ったトリーシャ自身が後悔した。今の状況は、苦笑いを浮かべることさえ許してはくれなかった。
 渾身の、とまではいかないが、ヴァネッサの一撃が命中する。トリーシャ風に名付けたら、“ヴァネッサチョップ”だが、トリーシャのそれより威力があるのは間違いないだろう。
 上目づかいで表情を窺って、とっととさっきの質問に答えてしまうことにした。黙っていたらさらに気まずくなってしまいそうだ。
「慣れてきたら分かるようになるよ。だいたい50個ぐらい育てた頃からなんとなく分かるようになったかな」
「結局、そーゆーものなのね。……私にはどう見たってどれもみんな同じに見えるんだけど」
 ヴァネッサは自分のとトリーシャのを、ひとつずつじーっと見つめてみた。4つあるが、どこにも相違点は見あたらない。混ざったら自分の丸いヤツを選ぶことはできそうにない。
 育てていれば慣れて、慣れてきたら分かるようになる。トリーシャが嘘をついているとは思わないが、どうも慣れるのは無理な気がしてならない。が、トリーシャが慣れるのに要した丸いヤツの数は50なのだ。確かに、それだけやれば嫌でも分かってくるのかもしれない。
 しかし、そこまで飽きずに育てられるトリーシャとはいったい何者なんだ。その答えを言ってしまうのは簡単だ。――さすがは“流行の道先案内人”と呼ばれるだけのことはある。
「じゃあ、そんな大量にどこから仕入れてくるの?」
 これはヴァネッサの任務に直結する問いだ。1個の丸いヤツを育てることより遥かに重要なはずの問いかけなのだ。
「落ちてるし、もらえるし、売ってるし、降ってくるし、転がってくるし、釣れるし……」
 売ってるまではともかく、それ以降は常識の域を脱している。それでもトリーシャはさらにめちゃくちゃなことを言い続ける。
 頃合いを見計らって、ヴァネッサは2発目の“ヴァネッサチョップ”を繰り出した。
「ホントなんだってばぁ。うぅ、なにも全体重乗せなくたって……」
「確かに、やりすぎだったかしら」
 ヴァネッサはトリーシャの頭にぶつけた手をさすった。威力が高ければ、それだけ反作用も大きい。つまり、ヴァネッサも相当に痛かった。
「非常識にも程があるわよ」
「ホントなのに……」

 トリーシャ曰く、ヴァネッサの丸いヤツは“成長の最終段階に入ったところ”らしい。トリーシャの丸いヤツも同じくらいだそうだ。
「ちょっと、ボクのやつと戦わせてみない?」
 なんとなく育てているだけのヴァネッサと、戦闘能力を最大限に考慮したトリーシャ。勝負は目に見えているじゃないかとヴァネッサは訝りつつも、育て方をいろいろと教えてもらった恩もあるので承諾した。
「どう考えたってそっちのほうが強いに決まってるけどね」
「ま、いいからいいから」
 ヴァネッサは、トリーシャの明るい口調に裏があることを見抜いた。だが、何一つ証拠のない勘を押しつけるわけにもいかず、何も言わないことにした。ちなみにトリーシャは、戦闘に勝利すれば能力が伸びるということをまだ教えていない。
 かくして丸いヤツ対丸いヤツの戦いが始まった。
 トリーシャの丸いヤツは魔法も物理攻撃もなかなかのものだった。状況を全く掴めてないヴァネッサの丸いヤツが意味不明な行動を繰り返している隙に、自分の攻撃力を上げ、相手の防御力を下げ、最強の物理攻撃“ジ・エンド・オブ・スレッド”を放つ。
 速攻で、しかも確実に勝負を決めるトリーシャの作戦を、丸いヤツは完全に理解して自分のものにしていた。さすがは50個以上も育てているだけあって丸いヤツの扱いは人並み外れている。
 トリーシャの丸いヤツの、全力の攻撃を受けたヴァネッサの丸いヤツはというと、相変わらず意味不明な行動を繰り返していた。
「あ、あれ?」
 どう見ても、ヴァネッサの丸いヤツはダメージを被っていない。初心者のヴァネッサが見ても、熟練のトリーシャが見てもそうだ。ダメージポイントに換算して、分かりやすく表現すれば……『1のダメージを与えた(受けた)』といったところか。
 トリーシャの丸いヤツは、以前にトリーシャに教えられた通り、ジ・エンド・オブ・スレッドを繰り返す。ダメージを受けていれば回復、そうでなければさらに攻撃を加える。そんな単純な論理。そして、それは本来ならば間違ってはいない。魔法が切れる前にどんどん攻撃を重ねるのは効果的だ。
 トリーシャの丸いヤツの最大MPは850。使用可能なジ・エンド・オブ・スレッドの数は(最大MP−100−80)÷220(端数切り捨て)で求められるとおり、たった3回。それを使い果たして与えたダメージは、大方の予想通りたったの3だった。
 体力の百分の一も削られていないヴァネッサの丸いヤツは、トリーシャの丸いヤツが繰り出す必死の攻撃にも構わず、何を考えているんだか分からないようなアクションを続けている。
「な、なんで……」
 驚愕するトリーシャ。
「なんか、見てて情けなくなるような戦いね」
 妙に冷静なヴァネッサ。自分の丸いヤツが戦闘の場にいながらにして跳ねて転がって回転するだけであることも、もうどうでもよくなったらしい。
 そんな中、闘志の冷めないトリーシャの丸いヤツはぽかぽかと通常攻撃を繰り返していた。1ずつのダメージも、999回繰り返せばあのマスクマンすらも倒せる。しかし、精霊魔法も錬金魔法も切れた後には、1のダメージすら与えられなくなっていた。
 2分ほどたっても状況は全く変わらず、両者引き分けで落ち着いた。
「こ、今度こそっ!」
 トリーシャは2つ目の丸いヤツを取り出してヴァネッサに差し向けた。
「ま、別にいいけど」
 こうして、2回目の戦いの火蓋が切って落とされた。
 トリーシャには作戦があった。物理攻撃は耐久力の影響をもろに受けるが、魔法攻撃は抵抗力の影響をそれほど極端に受けるわけではないのだ。
 魔法の威力を上げた後、デッドリー・ウェッジを2発叩き込む。そして与えたダメージは……4。正真正銘、2×2で4だ。
 あっけにとられるトリーシャ。またも両者引き分け。
「こ……今度こそ……」
「ま、別にいいんだけどね」
 そして最終ラウンドが始まった。
 トリーシャには一応、秘策があった。フレイム・ジェイルのダメージはほとんど固定だ。しかもMPをほとんど消費しない上、複数ターン効果がある。これに賭けるしかない。
 ちまちまとフレイム・ジェイルを繰り返し、与えたダメージは400弱。4×約5ターン×20回。ヴァネッサの丸いヤツはHPが高いわけではない。もう少しで勝てる、とトリーシャは希望を抱いた。
 そのとき、ヴァネッサの丸いヤツの頭上で何かが光った……ような気がした。すると、丸いヤツの動きが止まった。きらきらっと丸いヤツが淡い光に包まれて……
「これは、いったい?」
 トリーシャとヴァネッサは声を揃えた。そして、トリーシャは悪い予感がした。
「ま、まさか……」
 悪い予感が当たらないよう、トリーシャは祈った。だが、えてしてそういう願いは通じないものである。
 微光がさらに弱くなり、消えたとき、丸いヤツはまた意味不明な行動を取り始めた。トリーシャはがくっと頭を落としうなだれた。ティンクル・キュア、それがさっきの光の正体だ。つまり、ヴァネッサの丸いヤツは回復した。
 こうして、丸いヤツ対丸いヤツの3連戦は全て引き分けで幕を閉じた。

 いろいろあって、ヴァネッサの丸いヤツも変身間際まで成長した。よく考えれば、とてつもなく成長の速いやつだ。
「あ、変身するよ」
 トリーシャが予兆を感じ取った。が、それはヴァネッサの丸いヤツではなく、トリーシャの丸いヤツだ。
「よし、今だっ!」
 変身の直前、丸いヤツは強い光を放つ。そしてその瞬間に、何を思ったか、トリーシャはその丸いヤツを蹴飛ばして残り2つのうちの片方にぶつけた。そしてビリヤードの球のように弾かれた丸いヤツは、最後の1つにぶつかる。
 同時期に生まれたらしい3つの丸いヤツが、連鎖反応を起こしたかのごとく、光り輝いた。
 後に残ったのは、串に刺さった、特大の丸いヤツ。例えるなら、そう、串団子。
「やった、大成功!」
 どうやらトリーシャはこれがしたかったらしい。それで3つ同時に育てていたわけか。しかし、鍛えていた戦闘能力はいったい何のためだったのだろう。
 串に刺さった丸いヤツ3つは、互いに目を向け合った。端っこ同士は真ん中が邪魔になって無理だったが。それからどうなるか気になってヴァネッサが見ていると、押し合いへし合いを始めた。ついには魔法まで使った兄弟喧嘩(?)に発展し、3つとも消えた。
「……。それがやりたかったってわけ?」
「そうそう」
 トリーシャの機嫌は最高だった。
「あ、そっちもそろそろ変身しそうだよ。はっきり言って、なんかめちゃくちゃな育ち方してたし、何になるか想像もつかないよ」
「私にも、全然」
 会話が途絶えて、数秒。ヴァネッサの丸いヤツがさきほどのように強い光を発しはじめた。
「さ、何になるかなー」
「何でしょうね」
 ヴァネッサの丸いヤツは一際強い光に包まれた。ヴァネッサもトリーシャも、あまりの眩しさに目を覆った。
 光が収り、2人の前に姿を現したのは……
「……」
 2人とも声が出なかった。あまりの大きさに驚愕したわけではなく、想像を絶する美しさに言葉を失ったわけでもなく、そこにはただ、2ついた。何の変哲もない丸いヤツが。
「また、育てろと」
 ヴァネッサはあまりの情けなさに脱力した。
「そういうことになるのかな、やっぱり。がんばってね」
 拍子抜けしたトリーシャが、冷めた声で激励する。
 これから、二回目の丸いヤツ育てが始まる。今度は2つ同時だ。

 5日後、ヴァネッサの後ろからは、32個の丸いヤツがぴょこぴょこ跳ねてついてきていた。ヴァネッサが育てる丸いヤツは、順調に毎日2倍に増えていた。
 昨日も昨日で16個の丸いヤツを引き連れている姿は、街を歩く人たちの視線を集めたが、さらにその倍である。視界に入る人全ての注目を浴びることとあいなった。
「人気者だね」
 トリーシャが陽気に声をかける。
「こんなんで注目を浴びたかないわよ!」
「まー、そう怒んないでさあ。……1つ、引き取ろっか?」
「全部持ってってくれたっていいわよ」
「さすがにそれはボクの手に余るよ。いくつかなら引取先を探すことくらいはできると思うけど」
「……お願いするわ」
 ヴァネッサの願いがいくらか通じて、残り31個のうち、7つがエンフィールド学園の学生の手に渡った。
 次の日、ヴァネッサは48個の丸いヤツに囲まれていた。もはやヴァネッサの育てた丸いヤツの個数はトリーシャを凌駕していた。だが、相変わらず考えていることは全く分からない。能力も判別不能。意志の疎通などもってのほかだ。
「なんで毎回毎回分裂ばっかりするのよ!」
 少なくとも、引き渡した8つは無事に変身し、消滅したというのに。
「……14個引き取ろっか? それだけあったら月見団子できるし」
 トリーシャが、串団子の次の野望を打ちあけた。
「4段の月見団子でも赤穂浪士でも何でも作ってちょうだい。もうこんなの見たくもないわよ」
「ちょ、ちょっと……」
 トリーシャの抗議の声も聞かず、ヴァネッサはトリーシャに丸いヤツを押しつけてその場を去った。
「ちょっと待ってよーっ!」
 背を向けたヴァネッサを追おうとするも、大量の丸いヤツに阻まれて身動きがとれない。丸いヤツを押しのけて通路を確保したときには、すでにヴァネッサの後ろ姿はどこにもなかった。
 丸いヤツがヴァネッサを追いかけていってくれればと思ったが、いくつかはトリーシャに真摯な眼差しを向け、いくつかはトリーシャを中心に円軌道で飛び跳ねてまわり、いくつかはトリーシャに寄り添い、残りはトリーシャからつかず離れずの距離を保っている。
 なつかれてしまったらしい。
「どうしよう、これ……」

『――報告。成長後、複数に分裂する丸いヤツを発見。現在も凄まじい勢いで増殖中。ただ、変身した後に消滅する数との平衡が取れているらしく、全体量はほぼ一定らしい。』
 簡潔ににまとめ上げた文書を提出したヴァネッサは、寄り道もせずに帰途についた。ここ数日でずいぶんと疲れ、とにかく休みたかった。
 途中、学園の方向にトリーシャらしき人物を見つけたが、
「……見なかったことにしよう」
 それは忘れようがないほどすごい光景だった。トリーシャの周りを、異様な数の丸いヤツが取り巻いている。これは全てヴァネッサのせいなのかもしれないが、今やトリーシャは楽しんでいるようだったからもう責任はない。
 はー、と深いため息をついて休息への扉を開ける。
「■?◎△★÷¥!!」
 ヴァネッサは扉を強く閉めた。ドアの反対側にいた何かが吹っ飛ばされ、壁に激突したようだったが、気にする必要はない。かといって家に入らなければ休養もできないわけで、しぶしぶドアを開ける。
 しかし、中にいた例の物体、丸いヤツは元気良くヴァネッサにまとわりついた。
「ええい、うっとおしい!」
 ヴァネッサは丸いヤツをひっつかみ、思いつく限りの攻撃を与えたが、丸いヤツの体力は衰えなかった。しぶとい。
 ぐったりしたヴァネッサは、もうそいつを無視して寝ようと決意した。丸いヤツがどたどたと音をたてるが、気にしなければ気にならない、気にならなければ気にしない。
 自己暗示でもかけたように、ヴァネッサは眠った。再び起きたのは……10秒後。目を覚ましたら、顔の真上に黄色い球体が乗っていた。少なくとも、今までと違ってなついてはいるようだ。
「あーもう、仕方ないわね。今度はちゃんと何かに変身しなさいよ!」
 ヴァネッサは体を起こし、丸いヤツを掲げた。今度こそこれとの関わりを絶つ、と。
 が、ヴァネッサの強い意志も虚しく、悲劇は繰り返されるのだった。

 一方、丸いヤツ達の所有権を強制的に譲られてしまったトリーシャがどうなったかというと……。
 陽のあたる丘公園で大連鎖をやらかし、念願の赤穂浪士(47人)を完成させていた。


あとがき

 今回は「とにかく軽く書き流す」というのがコンセプトでした。固い書き方に慣れつつあったので、早めに軌道修正しておこうと。そのおかげもあって、後半はかなりハイペースで進み、思っていたよりいいものが書けたんじゃないかと思います。
 題材はensemble2のキャラEDIT。キャラも思い切って2名(丸いヤツ除く)と少なくし、伏線もあまり用意せず……と、徹底的にやってみました。結果的にそれがいい方向に向いたかな。


History

2000/06/16 書き始める。
2000/07/04 書き上げる。

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