北海道札幌出身。
札幌を拠点に道内各地にてジャズ活動を行い、'79年に上京する。

’82年にデビューアルバム「北の大地」で一躍脚光を浴びて以来、
日本を代表するベーシストの一人として、自己のグループを率いて
全国規模の精力的な活動を展開している。透明感溢れる音色で
奏でる独自の歌心には、日本人離れした力強さと最も日本人的な
情感とが同居していると云われ、海外からのラブコールも多い。

’82年12月〜’83年にかけて、エルビン・ジョーンズ(ds)率いるリズムマシーンに参加。

’86年ドン・フリードマン(p)とのデュオツアーを行い、4年間、6回のツアーを行なう。
(2回はエリオット・ジグムンド(ds)が参加しトリオにて)
「カンヴァセイション」「ファー・ア・ウェイ・ランド」「スウィート・ビュウ」
そしてトリオにて「湖の伝説」と発売。

’90年リチャード・デイビス(b)とのベースデュオツアーを行なう。

’90年ローランド・ハナ率いるチャンバージャズトリオに参加する。
ローランド・ハナがチェロとピアノ、ボブ・ジョンソン(fhn)、フランク・ペロウスキー(fl)、
翌年より、ローランド・ハナとのデュオ活動を始める。
(2002年まで7回のツアー「メモワール」「ハッシャバイ」とアルバムを発売。)

’91年にはニューヨークの実力派、エリオット・ジグムンド、そしてディック・オーツ、
ピーター・マドソンをメンバーに迎えて、オリジナルジャズを創造する
パーマネントグループとして「中山英二 ニューヨークカルテット」を結成。
’91年〜’95年、’97年と不動のメンバーにてツアーを行う。
「ザ・デイズ・オブ・ドリーム」「ロマンテイックブルー」「シンクロニシティ」と3作の
アルバムを発売、ライブを収録したビデオも発売している。

’98年秋には、ヨーロッパのミュージシャンを招いて
「中山英二 ヨーロピアンコネクション」と題してツアーを行う。

「ひとり旅ひとり言」と題した、ベース・ソロ活動を開始。
福祉、小・中学校の講演会、また雑誌「かがり火」にエッセイを執筆。

’98年7月、11作目にあたるアルバムはデビューアルバム「北の大地」以来
日本人メンバーとの共演作がなかったが、16年ぶりに日本人ミユージシャンと
「NANGO」を発売。ゲストで大倉正之助(大鼓)を迎え、アルバムタイトルの”NANGO”と
”えんぶりの舞い”でその衝撃的な演奏を聴くことができる。

’99年8月にはベースソロのアルバム「いつか見た瞬間」が発売され大きな話題となる。
ベースソロのツアーも、この’99年の一年間で108ケ所を行う。

2000年11月、ローランド・ハナとのデュオにて6回目の日本ツアーを行う。

2001年初頭より、”ジャズとクラシックの融合”とタイトルしてジャンルにこだわらず、
クラシックのヴァイオリンとのデュオやクラシックのフルートとの活動、また”木と木の対話”と
タイトルして邦楽(琴・尺八等)とのセッションなど様々なアプローチを試みている。

2001年10月、日本人メンバーによる、カルテットでライヴを収録したアルバム
「オールド・カントリー」を発売。
ヴァイオリニスト硲 美穂子の初リーダーアルバム「ハートストリングス」をプロデュース、
アレンジ、ベーシストとしても参加。(2002年6月発売する。)

2002年10月、子供の頃から海外のミュージシャンとのエピソードなどを綴った
自叙伝「北の大地から」を出版。

2002年10月、ローランド・ハナとの7回目のデュオツアーを行なうが、
ローランド・ハナの体調不良のため3ケ所のみの公演となる。
(2002年11月13日にローランド・ハナが亡くなり最後の共演者となる。)

2003年3月、82年に発売したデビューアルバム「北の大地」が24ビット
ダイレクトカッテイングCDにてTBMより復活発売される。

2003年4月、ローランド・ハナの最後のツアーとなった、2002年10月5日の演奏を収録した
音源を「ラストコンサート」とタイトルして発売。

2003年6月、ローランド・ハナの追悼の意をこめてメモリアルコンサートツアーを
子息マイケル・ハナを招いて行う。

2004年3月、中山英二ニューヨーク・カルテットで共に活動してきたピアニスト、
ピーター・マドソンとのデュオアルバム「エイジーズ・ムード」を発売。

2004年12月、ローランド・ハナとのデュオアルバム「メモワール」「ハッシャバイ」の2枚が
同時に再発売される。

2005年3月、ピーター・マドソンとのデュオツアーを行う。

2005年8月、16作目にあたる「ワーリング・オブ・ザ・ウインド」(風の舞い)を発売。

2005年10月〜11月にかけて、ピーター・マドソンを再び招き、「ワーリング・オブ・ザ・ウインド」の
発売記念ツアーを行なう。

2006年9月〜10月、2007年9月、ピーター・マドソンとレギュラーユニットとしてデュオツアーを行う。

2008年11月、ベースソロアルバム「遥かなる想い」を発売。

2009年1月、「中山英二 ニューヨークカルテット」で発売された「ロマンテイックブルー」「シンクロニシティ」の
2作、ドンフロードマン(p)との「カンヴァセイション」が再発売される。

2010年2月、32年前(1978年)の音源「アヤのサンバ」が復刻発売。

2010年4月、「マイ・プレゼント・ソング」が復刻発売。

2011年2月「エゲネト」を発売。

2013年2月、リーダーアルバム22作目にあたる「ワールド・トライアングル」発売

2014年10月、ベースソロアルバム「ビヨンド・マイ・オール」発売

2017年4月、24作目にあたるアルバム「How I Miss You」発売

作曲家としても自分のアルバムや演奏だけでなく、コマーシャル、ヴォーカルや他のアーティストの
ために数多くの作品を提供している。