1991年にニューヨークのミユージシャン、デイック・オーツ(as)、ピータ・マドソン(p)、エリオット・ジグモンド(ds)を
メンバーに従え、中山英二ニューヨーク・カルテットを結成,5年間に渡って6回の日本ツアー、
アルバム3作、ビデオと製作,不動のメンバーにて活動を行う。



このカルテットのメンバー、本当にスゴーイ、ミユージシャン達だった・・・強者達
音楽的にも幅のある、数少ないタイプと思う。


  

右・・New York Quartetの第1作目「THE DAYS OF DREAM」の
アルバムジャケットと同じデザインのポスター

    


ニューヨーク・カルテットの第2作目・・ニューヨークでレコーディング
「Romantic Blue」とタイトルされ、1993年に発売される。(2009年再発売)

1993年1月1日に日本を出発・・・ニューヨークに着いても1月1日・・・?
元旦を2度迎えてしまった。約半月滞在、お正月休みを・・・



    

    

            



           ニューヨーク・カルテットの第3作目・・
山中湖のスタジオにて、第3弾目にあたるアルバム
「シンクロニシティ」のレコーディング時のスナップ。
山中湖には3日間滞在、1日目は富士山を眺めながら
バドミントン野球を(私が考案した、バドミントンの羽の下に
ビニールテープを巻いて重くして、バットで打つ・・・)
皆うまいんだよな〜途中で雨が降ってきたけど、一人として
やめると言わない・・・さすが野球の国


        中山英二ニューヨーク・カルテットは、私の音楽人生の中で、最も有意義な活動を行えたと確信しています。
    また本当に素晴らしいミユージシャンに出会えた事に感謝、そしてこのグループのコンサートを
   主催してくれた方々、コンサートに足を運んでくれた多くさんの人達に感謝いたします。