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ギター復活の歴史

1986年 右手フォームを変えようとして指を壊し(iの指が曲がって戻らなくなる)、その後治らず、1990年ついにギター演奏を断念する。

1999年~2000年 バンド「Blank-Misc」でベースを担当。アポヤンドだけなら問題ないようだ。

2001年12月 清田益章氏の「バースデー」という曲に感動し、その伴奏をしたくてギター練習を再開する。ベースをやっていたおかげでiとmはそれなりに力が入るが、p、aはまったくだめだった。
プロ・アクティブのセミナーで、食物とビタミン、ミネラルの関係を知る。これ以降、新陳代謝を活発にすることに心を砕き、ビタミン・ミネラルの摂取に対して前向きになる。


2002年3月 清田氏の影響でスプーンを曲げ、こんなことができるなら自分の指の障害も治せると確信する。

7月 心と体を調整するHemi-syncシステムのおかげで、指がとても早く動くようになりびっくりする。そして無謀にも東京国際ギターコンクールに応募。一次予選で敗退した。

10月 スペインギターコンクール第二次予選で久しぶりにステージを体験し、完全に舞い上がってだめになってしまう。久しぶりの高台は、予想以上の緊張だった。

11月 旧友の東昭年氏と出会い、スペインギターコンクールの失態を述べたところ、人前で弾く練習をさせてやる、とのことで、月に一回程度ギターを聞いてもらうことになる。

12月 東氏の助言でpのタッチを矯正。この頃から、緊張したり疲れたりすると、iの指の巻き込みがひどくなることを感じる。


2003年3月~12月 ステージ感を取り戻すために、バー「セルベッサ」で定期的に演奏

5月 クラシカルギターコンクールに初めて挑戦し、本選出場。結果は6人中の最下位だった。

10月 知り合いの薦めで、自然にできたミネラルが異常に豊富な水を入手。それを試したところ、好転反応で風邪と喘息のような症状となる。しかしそれが過ぎると、かなり体調がよくなってきた。
好転反応で鼻水を垂らしながらスペインギターコンクール第二次予選を受け、当然のことながら敗退

12月 とりあえずフォームを矯正しようとして指を壊す前のフォームであれば、それなりに人前で弾いても良い品質に達する。


2004年1月 人前での演奏を一旦辞めてフォーム矯正を始める。それまでの第二関節を曲げて小さくまとまった右手では、どうしても対応できない、つまり弾けないパッセージがあるので、この判断を下した。実はこれをやろうとして昔指を壊したのだが、今回はやれる自信があった。

4月 東氏の基で続く勉強会のメンバーが増え、恵比寿会の名前でコンサートを開く。15年ぶりくらいのフォーマルなコンサートだった。

5月 新フォームは間に合わず、一部だけ旧フォームで弾くつもりでクラシカルギターコンクールに挑戦。二次予選で緊張のためかいつもより全然指に力が入らず、新フォームで弾こうとした易しい部分をたくさん間違ってしまった。

10月 スペインギターコンクール第二次予選敗退。また指が動かないのではという不安から消極的な演奏となり、本選に行けなかった。しかし実際には指は動き、このときが実はギターを再開して初めて、ステージでも練習と同じように指の力が入った記念碑的な日だった。

11月 新フォームが安定してくる。清田益章氏のデビュー30周年記念パーティで自作曲を弾く。先月のスペインギターコンクールで指の不安がなくなったおかげで、初めて自分らしさを表現できた。


2005年2月 久々に指の不安を覚える。恵比寿会で弾こうとしたら、mの第一関節にほとんど力がはいらなかった。しかし、力が入るはずだと信じて弾いた結果、恵比寿会を終えて自宅に戻ったときは何とか力が入っていた。

4月 友人の前で5月のクラシカルギターコンクール予選曲を弾こうとしたら、信じられないほどmに力が入らない。最初はやはりプレッシャーによってだめになるのかと思ったら、どうも違うようだ。その後何日か指を観察すると、どうやらiの指が突然独立し始めたように見える。つまり、昨日までiの力も借りて動いていたmが、その日から単独で力を入れなければならなくなったわけだ。このmの問題は、一週間でだいぶよくなっている。

5月3 クラシカルギターコンクールの本選に行けず。ギターに復帰してから最高にやりにくい右手の運指がある。miまたはimの連続にpを合わせるのがどんなにゆっくりやってもだめで、その動きばかりのDanza Moraが予選課題曲になったのがすでに敗因だと言える。

5月4 コンクールの後で練習していたら突然分かったことがある。どんなゆっくりした曲を弾いても感じていた弾きにくさは、すべてpの指に原因があったようだ。この指には、自分が今まで思っていた以上に力を入れないとならないことに気づいたのだ。さらに、緊張していると力を入れたつもりでもなかなか入らないという事実も発覚した。そんなときはpの指に渾身の力を入れないと、i,m,aのすべてがそのpの音を出すために力を奪われて引きずられる。つまり巻き込みの症状が起きる。これが起きないようにpにしっかりと力を入れて、固定して弾くようにするのがコツなのだろう。それにしても、一週間前にこれに気づいていたら、Danza Moraはもっとずっと楽に弾けたのだが・・・。

7月 東京国際の第一次予選課題曲の録音を始めようとした日、pimの動きが突然だめになってしまった。5月に起きたのと似た症状だ。前回と同様に、最終的にmiとpのコンビネーションはパワーアップしたのだが、その前に録音を出さなければならず、さんざん替え指をして不満足な録音を送ることになってしまった。当然結果は落選。しかも翌年から突然年齢制限ができて、このコンクールはもう受けられなくなってしまった。

10月 スペインギターコンクール二次予選敗退。コンクールとしては珍しくいつも通りに指の力が入ったが、ちょっとしたミスから雑念が成長し、最後には指がもつれてしまった。技巧もそうだが、心ももっともっと鍛えなければならないのだと悟った。


2006年2月 モイスィコス国際ギターコンクールという始まったばかりのコンクールに出てみた。告示が遅く、課題曲が異常に多かったので、受けに来たのは5人だけ、しかも日本人だけだった。予選の30分間は割とまともに弾けて、結局本選の3人に残ってしまった。しかし本選の曲の準備は不満足で、前半は指が震えていて惨憺たる演奏だった。結果は1人が3位になり、私ともう1人は選外となった。

5月 クラシカルギターコンクールで首尾よく本選の6人に残ったものの、本選ではミスタッチの連続。aの指が自分のものではないと思えるくらい昨日までと違い、「あれっ、なんでこれが弾けない?」「これも弾けないの?」と言わんばかりに指が言うことを聞いてくれない。弾き終わったときから最下位だというのは覚悟していた。6人中の6位になったことよりも、相変わらずプレッシャーに負けて指が動かなかったことがくやしい。筋トレももちろんまだまだ必要だが、メントレが本気で必要だ。

5月 知人が私の右手フォームを見て「壊したのはiでしょう」と言って来た。なぜ分かったのかと思い、改めてiの動きを見ているとかなり挙動不審だ。芯がしっかりしていない動きとでも言おうか。このときからiの芯をしっかりさせるためタッチを変え、またいろいろな曲が弾けなくなった。そしてこの矯正は意外に長く、数ヶ月かかることになる。

8月 大阪の日本ギターコンクールを初めて受けた。しかしiの矯正はまだまだダメで、モイスィコスのときからずっと弾いて来たバッハのリュート組曲第一番のプレリュードを、このときはほとんどiを使わずに弾かなければならなかった。そして本選には行けなかった。

10月 スペインギターコンクールに出て本選に行けなかった。しかし本選に進出した人の何人かは、自分と同じように微妙だったと思う。ただ、彼らの場合は自信を持ってミスしているように見える。つまり印象的に、日頃は十分弾けているがたまたま間違ったという感じを与えるのだ。また自分は負の遺産を持っているということに気づいた。今のように指が安定してきたのはここ一ヶ月くらいで、それまでにあちこちでさんざん指が動かないことを見せてしまっている。そんな人がちょっとミスると、当然「こいつ、また弾けねーな」と思うのではないだろうか。

11月 2日に、死期を間近にした友人のディクシャを受けた。ちなみにディクシャというのは、インドの聖者カルキ・バガヴァンが “悟り” を人々に授けるために2003年に始めたエネルギー伝授のこと。すると、次の日から、mを弾いてからすぐiを弾くという連携ができなくなった。それまでに3回ほどディクシャを受けていたが、そういった変化は一度もなかった。ただ、今までにもある日突然何かの動きができなくなるということはあったので、このときもそれと同様に1,2週間で元に戻り、その際、総合的な動きが飛躍的に伸びるのを期待していた。しかし、この11月の動きが実際に復活したのは、翌年5月だった。それまでの間、限られた曲を徹底的に替え指を使って、人前で弾き続けることになる。

12月 11日が初めて受ける名古屋ギターコンクールだったので、何とかその曲だけを弾けるように頑張った。しかし予選自由曲に選んだのが、指がまともなときでも十分難曲なカタルーニャ(アルベニス)だったので、仕上がり不十分で本選には行けなかった。しかし後で聞いたところによると、決選投票で負けた結果本選に残らなかったという、実に微妙な位置だったらしい。

12月27 国分寺のクラスタにてデビューライブを開催。このデビューライブを決めたときは、11月のようなことが起きるとは思っていなかった。それでも替え指を駆使して、なんとかそれなりの内容でできたと思う。


2007年1月 文章を書く仕事が増えたこともあって、両手が疲れ筋が痛くてどうしようもなくなった際、快磁効を紹介された。快磁効というのは血液・リンパ液のスムーズな循環、神経の正常な働きを回復・維持し、自然治癒力を高める世界初の8極複合磁気治療器。快磁効を用いた先生の施術によって痛みはなくなり、その後先生は快磁効を貸してくれた。これを付けると、演奏家は楽器の鳴りが良くなり、歌手は声が良くなるという。だが自分の場合はなんとなく、これを身につけているとiに力が入らなくなるような感じがして、あまり利用していなかった。

2月~4月 miのコンビネーションは少しずつ、本当に少しずつ良くなり、4月頭の時点ではかなり11月前に戻ってきていた。一方ではそれと平行して、過去にできなかった動きが飛躍的に伸びている。やはりディクシャによる11月の変化もまた、今までに例がないほどスパンが長かったものの、指を総合的に良くする為の一時的変化であったと言える。
そしてこの頃、快磁効に関してひとつの考えが頭に浮かんでいた。もしかしたら、快磁効を身につけるとiに力が入らなくなるというのも、「一見悪くなったように見えても、それによって総合的に良くなるように視えない力でサポートしているのではないだろうか。」、そんな風に思えてきたのだ。

5月 借りていた快磁効を返しに行ったら、まだ借り続けていろいろ試して欲しいということになり、5月は初めて本格的に快磁効を使ってみていた。ところが5月25日、今度は突然和音が弾けなくなった。和音を弾くと弦を引っ張ってしまい「バチン」という音がしたり、3和音のはずが2つの音しか弾けなかったり、とにかく全然弾けなくなってしまったのだ。
これも、さらに良くなる為の一時的変化だったとしても、11月の変化から元に戻るのに半年かかっている。となると、この変化から元に戻るのは1年先なのか、2年先なのか。iの第二関節をテーピングして固定すればある程度弾けなくはなかったが、結構絶望感にさいなまされていた。ギターに復帰してから初めて、ギターを止めようかと思ったのはこのときだ。

6月 数日して、中西研二氏の遠隔ワンネス・ディクシャの案内が目に留まった。そのとき私は直感した。「ディクシャで始まった一連の悩みはディクシャで解決できるのではないか」と。家にいながら受けられる4回1セットのディクシャを私は早速申し込み、6月10日から毎週日曜日、7月1日までそれを受けることになった。

6月24 ひとつの大きなきっかけが訪れた。仲間由紀恵さん関連のDVDを「すぐ返すから」という言葉を信用して貸したのに、延々と、何度催促しても2年以上返してくれなかった友人がいる(ひどい!)。その彼がDVDを返しにやってきた。その中にギタリスト、エリオット・フィスクのDVDもあり、「こんなのも貸していたんだ」と思いながら久々にそれを見てみた。驚いたことに、その彼のpは非常に反り返っていて、私が捨て去ってしまったフォームだったのだ。
私はそれを見たとき「このフォームでもこうして世界的に有名になっているんだ」と感心し、「何も弾けないよりは昔のフォームでも弾けた方がいい」と思い、再びpを反り返らせた。これが実はジャストフィットだった。昔のimaのフォームのままでpを反り返らせるのと、矯正したimaと一緒に反り返ったpを使うのとでは全然違う。このpのフォームは「正解」だと確信した。より少ない力で、しっかりした音を出せる。それによって、全く弾けなかった和音が40%くらい弾けるようになってきたのだ。

8月2 ヨーロッパのフェスティバルに行ってきた友人がギタリスト、アルバロ・ピエッリから右手小指にボールペンを挟んで弾く練習方法を教わってきた。変わった練習方法もあるものだと思い、試してみてびっくり。あれだけ弾けなくなっていた和音が嘘のように弾けるのだ。これによって急速な連打以外は問題なく(ボールペンを挟んでいれば)なってしまった。

9月 ボールペン代わりになる秘密兵器を作成し、それをいつも持って弾くようになった。その結果、あっという間に調子が最高潮になり、今までにないほど気持ちのよい演奏ができるようになってきた。

11月 秘密兵器に慣れて来たらスケールがおかしくなってきた。正確に言うと、アルペジオを弾いた後のスケールだ。ゆっくりしたアルペジオ風の動きをした後に、四分音符80程度の16分音符のスケールが弾けなくなってきた。これ以上速く、もしくは遅くなると弾けるのだが、中間くらいの速さだと手が固まってしまう。


2008年1月 昨年暮れから崩れて来たスケールの問題がなぜ起きているのかを分析開始。

3月 スケールの問題がなぜ起きているのかがわかってきた。どうも自分の指は自ら、アルペジオとスケールを同じ感じで弾こうとし始めたようだ。それまではimのスケールだけの独特のフォームがあった。これはimの長さの差を考慮し、さらに今まではアポヤンドが主体であったことを考えると当然だと言える。しかしそれを、アルペジオと同じフォームに直そうと、無意識のうちにしていたのだ。この問題は奥が深い。

4月 フィンガーピッキングコンテストに向けて順調に練習していたら、ある日から突然、昨日までに比べてaに力が入らなくなった。仕方ないのでいろいろと替え指を考えて本番に臨む。もう何度も似たような状態になって慣れているせいか落ち着いて演奏できたが、賞は取れなかった。

5月 アルペジオとスケールの統合が6月のライブに間に合いそうにないので、とりあえずすべてのスケールをaiでやることに変更。これなら指の長さの差がほとんどないので、すぐにアルペジオと同じフォームにできる。またaiだと、pとのコンビネーションも非常に良い。

7月 ライブ終了後、再びアルペジオとmiスケールの統合に取り組んで来た。それぞれの第二関節を結構曲げた形も試してみたが、これはmiだけだと非常に小気味いいくらいに動く。またpmの同時打弦もいい。だが残念なことに、piの同時打弦が非常に苦しいフォームだとわかった。piのコンビネーションを良くするには、やはり第二関節を若干伸び気味にしなければならない。しかしそうすると、私の場合にはiの巻き込みが出やすくなる。それを防ぐにはあらかじめかなり指を伸ばしておくことだが、それでアルペジオとmiスケールの統合を図るのは難しい。ジレンマだ。

8月始め 難しくてもこのフォームで行くしかない、と決めてからしばらくして、和音がおかしくなってきた。今までと全然違う指の当たり方(見た目には同じように見えるのだが)をしているのか、やたらカチャカチャ異音が出る。弾けないわけではないのだが、これでは演奏に使えない!

8月中頃 pimの和音が弾けなくなって来た。今までと同様に弾こうとするとiがどうしても空振りする。また、ひとつわかったことがある。右手だけだとiを巻き込まずにできる動きが、左手と組みにするとiを巻き込むことがある。これは右手だけに集中するとiを巻き込もうとする「誤」指令をブロックすることができるが、左手に意識が分散するとその指令が出てしまうものと考えられる。

8月30 信じられないほどaに力が入らない。昨日まで軽く弾けていたパッセージが、全身の力を込めて弾かないと弾けなくなった。でもこれはもしかしたら、今まで数回起きていた、飛躍的に良くなる前兆ではないか。そう信じたい。

9月 aの力は完全に戻り、その直前に悩んでいてどうしても弾けなかったパッセージが弾けるようになった。和音はまだ結構弾きにくいが、爪の削り方を変えることによって異音は出なくなった。まだ残っている問題は、一年前から使っている秘密兵器をいつ手放せるかだ。

10月末 パーティでビートルズを何曲か弾く予定で練習していたら異変が起きた。miのスケールはそれまで中途半端な速さがダメで、四分音符120以上とかは問題なかったのだが、それが突然弾けなくなったのだ。これでmiのスケールは速度に関係なく全滅・・・

11月 miのスケール問題はおそらく、アルペジオ系の動きとスケール系の指の動きが完全にマッチした証拠なのではないかと思う。見た目には分からないが、それまでは速いときだけ元のフォームでスケールを弾いていたのだろう。完全に崩れたmiスケールは約一ヶ月ちょっとでそれなりに戻って来た。今や和音を除けば、特に弾けない動きはないと言える。

12月 「ジストニア」という疾患名を初めて知る。自分の障害は物理的なものではなく、脳に関わっているとうすうす気づいてはいたが、「ジストニア」について知れば知るほど、自分の状態が正にそれであることがわかった。これ以降、指よりはむしろ「脳」を治すことに心を砕いて来た。

アルペジオおよびスケールと全く違うフォームで弾けば和音に問題はないことに気づく。しかし、この二種のフォームをつなぐことは、2つの動きの間が空いていないとダメ。

◯和音と同じフォームでアルペジオやスケール=iの巻き込みが起きてしまう。
◯アルペジオやスケールと同じようなフォームで和音=iの指をよく空振りするし、基本的に弾きにくく音が汚い。

ただ、「音が汚い」ということは結局、この和音のフォームはアルペジオを弾いているときとはどこかが違うということを意味している。本当に同じフォームなら同じ音が出るはずだから。miのスケールがかなり戻って来た今、最大の課題は和音のフォームだ。


2009年5月末 スケールが弾けなくなったり、和音が弾きにくくなった背景には、無意識にすべてを新しいフォームで弾こうとしていたことがあるようだ。前のフォームは割と指が伸びていて、aとの相性が悪いし、アルアイレがうまくできなかった。しかし、総合的にいろいろなものを弾けるようにするためには、mの指がある程度曲がったまま弾けなければならない。2009年はずっと、そのフォームで基礎練習ばかりやって来た。その甲斐があって、ここ一週間ほど、やっとレゴンディの「序奏とカプリス」なんかもまた練習できるくらいの状態になって来た。これを練習してもいいと思えるほどの状態になったのは丸3年ぶり。ただし、秘密兵器を持たないとまだまだだが。

8月 秘密兵器を持てばそれなりにバランスがとれて弾けて来たので、久々に曲を仕上げてみる事にする。しかし練習は、秘密兵器を持った状態と持たない状態を半々でするように心がける。

9月 友人から、アルペジオの練習で、弾いた指をまたその弾いた弦に戻す方法を教わった。それをしばらくやったら、指の状態が非常に良くなった。

12月 どうも、pimamiのアルペジオの調子が非常に悪い。久々にそれなりの規模のパーティで弾いたが、このパターンのアルペジオだけは他のパターンに替えざるを得なかった。


2010年1月 友人たちの忠告や、勧められて読んだ指のメカニズムの本によって、右手親指付け根の関節を外に出す必要があると悟った。早速輪ゴムを利用した矯正を開始。

2月17 古くからの友人が、最近ディクシャが出来るようになったと言うので、早速してもらった。後に分かったのだが、この日を境に指の治りが加速度的に良くなっている。

4月 フィンガーピッキングコンテストの本選に出場。一応秘密兵器なしでも弾けるようにはしたが、やはり持たないで弾くのは不安があり、秘密兵器を持ったままの出場。ただこの頃から、秘密兵器を持たない方がやりやすいパターンが出て来た。
ちなみにコンテストの演奏は、やはり指の問題で集中出来なかった。アレンジ曲だけならそれなりに弾けたのだが。

5月9 昨年の治る度合いに比べると、ここ2ヶ月は5倍くらいの速さで良くなっているのを実感。だいたい9割くらいのパターンは、ギターを止める前以上に動くようになった。しかも秘密兵器なしで!
残り1割のパターンは例えば、pamiのパターン。これだけならかなり速く出来るが、何か他のことを弾いていてその後にこのパターンが来ると、ものすごくiの指がこわばって速く弾けない。こんな風に、弾けないパターンというのはものすごく限られて来ている。上降スケールなら問題ない。下降でもiaなら大丈夫。mから始めればimでも大丈夫。ところが、iから始めてしまうととたんに、他のパターンの半分くらいの速度でしか弾けなくなる。面白いのは、その前3秒ほど何も弾いていなければ、このパターンにも問題がないこと。しかし、和音を弾いてからそれをやろうとすると、半端なく指がこわばる。それが克服出来て来たのは、iの指をひたすら観察し、それに見合った練習をしたからだろうか。
とは言え昨年も、それほど的を外れた練習をしていたとは思えない。ただ昨年は、いざとなれば秘密兵器を持てば良いという甘えがあった。それが、秘密兵器を持っても弾けなくなって来て、ほどよい危機感が生まれたのだろうか。ここ一週間ほどはついに、よほど限られた動きでなければ秘密兵器を持たない方がちゃんと弾けるようになって来た。

7月21 久々に秘密兵器なしで人前で弾いた。ここ二週間ほど出来て来たこの動きが、きっと右手の最終形なのだと思う。後はこれを、より速く、より正確に動くようにしていくだけ。
ということで、ロードマップを考えてみた。

約2ヶ月後 あちこちの短い時間枠で試し弾き
4ヶ月後 公開レッスン等受講
半年後 国立とか板橋とかの小さなハコでライブ
一年後くらい 再デビューリサイタル

8月 秘密兵器をついに捨てる。それを持たない状態で曲を仕上げる事を始めた。

10月 初めてのマスタークラス受講。ギターを再開してから初めて、ある程度納得のいくレベルまで曲を仕上げることが出来るようになった。ジストニアを治すためにやってきたことを文章としてまとめる。

11月 この頃、特に何でもない、左手を意識する必要がないところで、左手が完全に1フレットずれて押さえてしまうことが何度もあった。もちろん、ちょっとだけ左手を気にすれば何でもないのだが。楽譜を見ながら右手だけに集中して弾いていると、突然違う音が出て来てびっくりすることがある。

おそらくこういうことが起きていたのではないかと思う。

1.今まではいかに右手指に神経を使っても、指令とは違う動きになっていた。
2.これは、脳と右手指との無意識レベルの回路が、壊れていたのだろう。
3.それが治った今、脳は右手指とつながれた回路調整に忙しくて、つい左手のことは忘れてしまう


2011年1月 この頃から半年ほど約一ヶ月に一回の割合で、4,5日間だけ指がおかしくなっていた。しかしそのおかしくなる程度はどんどんましになっていて、例えば6月の調子がおかしい時期は、1月の調子が最高だったときと同じくらいだったと言える。もちろん6月の最高潮のときには1月のそれよりすごく弾けている。とにかく全体的にどんどん底上げして行っている感じがする。

2月 国立音大付属中学校の学内で、久しぶりにソロコンサートをする。若干崩れたとはいえ、ギターに復帰してからは一番良い出来だった。

8月 指はどんどん良くなり、最悪の調子の日でもなんとか人前で弾けそうだ。2012年3月23日にデビューコンサートをやることに決める。

12月 たまに来る、かなり指のコントロールをしにくい日を記録していったところ、バイオリズムの世界で言う要注意日と重なっていることが判明した。 ただ、かなり調子の悪い日でも、「自分の指は動くはずだ」と言い聞かせてしばらく弾いていると、かなりましな状態にできるようになって来た。


2012年3月 デビューコンサートを無事に終え、ジストニアを克服できたことを実感した。


2016年 これまでは注意しながらコントロールしていた指が、意識しなくてもとてもスムーズに動くようになった。


2017年4月 フィンガーピッキングコンテストの全国大会で優秀賞を受賞。

7月 pとiのコンビネーションが壊れていることに気づく。


2018年 pimの連続がだんだん出来なくなる。それでも秘密兵器を持てば普通に弾ける状態だったが、10月に完全に壊れ、ジストニアを再発した。今度は右手親指の巻き込みが起きるようになった。


2019年 人前での演奏を基本的にやめて、リハビリに徹する。


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