7.霊媒の考察


「実際に見てこなかった人々はこの事柄について話をするべきではない」
シャルル・リシェー教授

ヴィ:O教授。霊媒というとどんなイメージがありますか。

O:真に受けやすい人や騙されやすい人たちを食い物にする、完全な詐欺師もしくはペテン師、ってところかな。

ヴィ:確かに若干名の能力のない自称「霊媒」が、営利目的のために嘘をついたり騙したりしています。しかし、死後の世界について驚くほど正確な情報をもたらし、世界に衝撃を与えた正真正銘の霊媒もいるのです。

O:正確な情報ったって、あれでしょ。依頼人を抜け目なく観察することによって、はっきりしない示唆をするとか。まれに、当て推量が当たるときもあるだろうな。とにかく霊媒ってのは基本的にいいかげんなもんだと私は思ってるよ。まあ、中には本物の多重人格がからむケースもあるようだが。

ヴィ:今日は教授のその認識を改めてもらいましょう。霊媒とは、しばしばチャネラーとも呼ばれ、他界の存在と交信する才能を持った人を指します。霊媒が引き起こす現象には多くの異なった種類の心霊現象が含まれます。最も多いのは、内面的なヴィジョンや頭に響く声、自動書記、自動口述を通して交信する「心理霊媒」です。中には完全なトランス状態に陥り、一時的に別の実体に体を明け渡す霊媒もいます。また、ラップ音、空中浮揚、物質移動現象を特徴とする「物理霊媒」も存在します。物理霊媒にはまれに、霊媒の声帯を使わないで、亡くなった愛する家族の声が聴衆の心に訴える「直接談話」を引き起こすことが可能なものもいます。物体、人または動物の霊を実際に現わす「物質化霊媒」はもっとまれになります。

 霊媒の残した証拠を調査した尊敬すべきジャーナリスト、ジョン・G・フラーは、このとてつもない量の証拠が生み出す結果についてこう指摘しています;

「調査によれば、証拠類は非常に説得力を持って、生命は死を越えて存続し、他界したものとの交信は明らかに可能だという合理的な結論を指し示している。問題は証拠類があまりにも高く積み上げられていて、それを調査するのは退屈で飽き飽きする仕事だということだ。数学や化学の研究のように、それを評価するには念入りな骨の折れる作業が必要とされる。」


 彼は英国国教会の委員会が、霊媒の膨大な証拠類を吟味するのに2年を要したことを指摘しています。この委員会は1937年に大司教ラングと大司教テンプルによって、スピリチュアリズムを調査するように特別に指名されました。調査にはイギリスでも有数の、極めて優秀な霊媒を迎えて行った交霊会も含まれています。最終的に10人の委員中7人が、巨大な圧力にも屈せず、下記の結論に達したのです;

「肉体を脱ぎ捨てた霊との交信がしばしば行われているという仮説は立証された。」


 この報告は教会の保守派によって危険なものと判断され、機密扱いの判が押された後、1979年にマスコミに情報が漏れるまで40年間ランベス宮殿にしまい込まれていました。

O:それは宗教的戦略といったものじゃないのか。当時は霊媒がすごく流行っていたそうじゃないの。そんな巷にあふれる霊媒たちをすべて全く無視するとなると、教会の立場が悪くなるのは道理だろう。そこで、霊媒たちの言っていることが教会の教えに反するかどうか、それを調べたのがこの委員会だ。結局、偽の霊媒とはいえ、言っていることはまともだったので、教会としてそれを排除するよりは、認めて共存していこうという結論になった。そんなところだろう。

ヴィ:よくもそれだけ、根拠のない邪推をできますね。もしそうなら、なぜすぐに情報を公開しなかったのですか。教授は偽霊媒にばかり関わりすぎてきたのではありませんか。

O:ああ、本物の霊媒なんて会ったことはないな。

ヴィ:まあ確かに、非常に卓越し能力に恵まれた霊媒を見つけることは、極端にまれなことです。アメリカの心霊研究家ジョージ・ミーク(George W. Meek) は、1971から1987まで16年間、各国を渡り歩き、世界中で最も有能な霊媒を見いだそうとしました。その時に彼が見つけた素晴らしい能力を持つ霊媒はたった6人しかいなく、この6人は自身の心霊的な能力を広告したことも、その能力を使うことに対してお金を請求したこともありませんでした。

 我々は死後の世界から、霊媒がよりよい能力を維持し管理していくためには、その動機が非常に重要であると言われています− つまり霊媒がうぬぼれたり欲望を抱いたりすると、能力が実際に弱くなったり、あまり発達を遂げていない霊的存在と接触するようになるのです。

O:ちょっと待ちなさいよ。死後の世界なんてないのに、そこから言われたなんて言葉を使われても困るよ。

ヴィ:わかりました。それでは、死後の世界からと思われる情報によれば、と言い直しましょう。えー、その情報によれば、霊媒行為を商売にすると、求めるべき他界の存在が来ずに低次のものが呼び寄せられて、その影響で不正行為をしたり結果を偽造したりする誘惑に駆られてしまうことがあり得るようです。結局、物質主義と霊性は水と油のように混じり合わないものなのです。西洋では、本当に恵まれた能力を持った霊媒の大多数は常に宣伝を避け、わざと評判を抑えて、わずかしか、あるいは全くお金をとらずに、定期的に交霊会に出席してくるごく一部の人たちだけを相手に活動しています。様々な歴史を経た後、最近の本当に力を持った霊媒たちは、心霊研究家を名乗る人たちから遠ざかり、非常に個人的なことしかしないようになっているのです。

 霊的な奉仕としての霊媒行為の理想を実証した霊媒が、ブラジルのシコ・シャビエル(Chico Xavier)です。教養があまりなくほとんど盲目でしたが、彼には心霊筆記によって書かれた400冊近い著作があり、それらは非常に専門的で技術的な各分野にまたがり、かなり良い売れ行きを示しています。しかしながら、彼は提供された富と名誉を放棄して、死後生存を証明し、貧しい人たちに食物・衣類・医療補助を提供することにその人生と霊媒行為を捧げました。彼は多くの人によって革命的なキリスト教徒の聖人−「福祉の男」−「ほとんど病的なほど控えめでへりくだった男」−などと称されています。

 スピリチュアリズムの文献は、このような献身的な霊媒の働きを通して起きてきた、そして、今でも起き続けている素晴らしい出来事を証言する自費出版の本でいっぱいです。このタイプの最近の本としては「Russel(ラッセル)- 1994」 が挙げられます。この中で著者グワイン・バーン(Gwen Byrne)は、彼女と彼女の夫アルフが、イギリス中部地方の霊媒リタ・グールドによって物質化した9才の息子と100度以上に渡って再会した経験について詳しく話しています。グワインは他の、彼らと同じように子供を失った親たちを慰めるために「ラッセルのピンク・パンサー協会」という団体を始めています。

O:子供をなくした親を慰めるのはいいが、それをこんなまやかしでやるのは感心しないな。完全な物質化とか言っても催眠術に決まってるだろう。それを信じた親たちが団体まで作ってしまうとは、泣けてくるね。

ヴィ:それではシコ・シャビエルの話はどう思いますか。

O:教養があまりなくほとんど盲目とかいうが、本当はかなりの教養があったのを隠していただけで、目も見えていたんじゃないの。だいたい心霊筆記って何?

ヴィ:いわゆる手が勝手に動くのは自動書記ですが、シコの場合は、潜在意識ではなく確かに霊が書いているのだということを強調するために心霊筆記の語を使います。彼は通常、書く際には顔を用紙からそむけ、左手で両目を被い、右手で鉛筆を走らせます。猛スピードで書きあがった原稿は完全なもので、出版前に訂正されることはありませんでした。

O:しかしそれだけなら、単に特殊技能を持つ人に過ぎないだろう。見ないで素早く書くという特殊技能を持っていたと。

ヴィ:彼は広範囲の著書に加えて、死亡して間もない人のメッセージを随時、近親者に伝えています。それはいずれも、故人の具体的細部に満ちた内容でした。シコの異常な著述活動に対して納得のいく説明をするには、死後の存在を認める以外にないでしょう。

O:どうも君は短絡的だな。もし仮にそんな人間がいたとしても、人間の脳の可能性からもっと吟味するべきだ。

ヴィ:脳の電気信号が、故人と同じ人格を生み出して、その人が生前に書いたものと同レベルの作品をあっという間に生み出すのですか。しかもその人格はしょっちゅう変わり、それぞれの人格が、すでに亡くなった当人しか知らないようなことまで言い出すのでしょうか?

O:まっ、そこらへんの故人と同じという主張は、チコの作品を読んでいない私としては何ともわからないところだ。

ヴィ:教授は結局、本物の霊媒の歴史を知らないから、そういう考えになるんですよ。

O:ああ、もちろん、そんなものは知らんよ。また、そんな歴史があるとも思えないね。

ヴィ:多くの、教授のように有名で頑固な人々が、定期的に何年間も交霊会に出席し、彼らが直接に経験したことが確かだという個人的な証言を出版しています。

 英国戦争でイギリス空軍を指揮したドーディング卿空軍大将によって書かれ、1943年11月に初版が出た「Many Mansions(死後に待ち受けるたくさんの住まい)」はとても素晴らしい本です。1916年に、時代の先を行くイギリスの科学者オリバー・ロッジ卿によって書かれた、亡き息子との対話の記録を収めた「Raymond(レイモンド)」も有名です。

 アブラハム・リンカーンがアメリカ南北戦争の間にホワイトハウスで交霊会に出席し、トランス状態になったネティ・コルバーン(Nettie Colburn)という若い霊媒を通して霊から、奴隷解放の必要性を説かれたことはよく知られています。

 ビクトリア女王は、夫が亡くなった後、使用人であるジョン・ブラウンとなぜか非常に仲が良い状態を続けました。その理由は、ジョンを通じて亡き夫と交信していたからだと言われています。彼女は自身のすべての子供たちをスピリチュアリストとして育てています。

 皇太后エリザベス王妃は、他界した夫ジョージ6世国王と交信するために、しばしば霊媒リリアン・ベイリー(Lilian Bailey)を使いました。

 ウィンストン・チャーチル卿は第二次世界大戦中、霊媒バーサ・ハリスの親密な友人でした。バーサ・ハリスは戦時中、日曜日の夜はほとんどダウニングの10番街を訪問し、6カ月前に真珠湾の奇襲を予言しています。第二次世界大戦では、シャルル・ド・ゴール将軍もまた、チャーチルに彼女を紹介されると、イギリスにいる間、定期的に彼女に相談していました。

 またアーサー・フィンドレイによれば、ヴァチカンで交霊会が持たれています。「Looking Back(回顧録)- 1955」において、彼は1934年にローマで、数人の教会の高位僧を含んだたくさんの聴衆の前で、どのように講演したかを詳しく述べています。会合の後に彼はある枢機卿に、ヴァチカンで交霊会が行われたが、ピオ11世は出席者としては不適当だったため、より良い結果が得られたのは教皇が不在の時だった、と言われたと主張しています。

O:そんな風に著名人たちが霊媒と関わってきたとか言われても、何の意味もないな。単にみんな騙されてきただけでしょ。リンカーンの話だって、当時の勇気ある人間が霊媒を装って奴隷開放を告げただけじゃないか。

ヴィ:まだまだこれからです。次章から実在した第一級品の霊媒たちを紹介していきますから。

弁護士の論じる死後の世界


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