ええじゃないか、マリオケ!

マリオネット 湯淺 隆(ポルトガルギター)

2007年 7月29日
マリオネット・マンドリンオーケストラ1stコンサート
当日パンフレットに寄稿


◆かつて「マンドリン合奏はゲテモノである」と豪語していた吉田剛士センセー。その本人が100人の合奏の指揮を振る。まさに今日は前代未聞の転向記念コンサートである◆思い起こせば「合奏ゲテ宣言」の頃、センセーはドイツ帰りの洋行「ボケ」状態。自意識過剰のエセ無頼漢は、この国の形にも気づかない途方もなくトホホなお方だった。当時、私などは生活の為にレストラン等々で演奏していたのだが、それを評して曰く「ギャラは、まぁ、迷惑料やね」と涼しくおっしゃる。センセーの生徒募集のコピーなどは「ロココ風にマンドリンで気取ってみませんか?」(オタク、華麗なる一族でっか?)「ボケ」本来に拍車がかかるのは、その後すぐ。「迷惑料もらえる仕事もエエね。もし、あったら紹介してね」(なんや、没落貴族でしたん?)傍若無人、優柔不断、厚顔無恥。すでにこの頃、センセーの「ボケ」キャラ音楽人生は満開花ざかり。以後は周知の通りセンセーの「ボケ」は「マリオネット」でいかんなく発揮され今日に至るのだが、さて本論は、この段に至ってナゼ「転んだか」だ◆ところで私見だが、通常「合奏団」は家元制よろしく、その代表者(合奏団の指揮者が多いように思うが)を頂点とした「システム」である。その「システム」の雛形は大仰に言えば「天皇制」と「資本主義」に見て取れる。代表者は周到な君臨を志向し、「合奏団(オケ)」は消費を加速する装置。また「システム」は「民主主義」という慇懃無礼なルールで実行され、基本単位たる団員は、この危ういトライアングル内で、弾ける順にナンバーリングされたり、高い楽器を買ったり、多数決に甘んじたりしながらも、「漠とした幻想」で結びつき「システム」アイデンティティーを確認しあう◆当然「マリオネット・マンドリン・オーケストラ(通称・マリオケ)」の「漠とした幻想」は「マリオネット」なのだが、昨年のCD「ヱグゾチカ・ドラマチカ」の序文で明言した通り「マリオネット」自体は、ひとことで言えば「今を裏切りつづける動態」である。

〜デビュー当時、「音楽の地図上の空白を埋めるような存在でありたい」と語っていた2人だが、今や「地図上の空白は余白にすぎず、枠外なのかもしれない。自身をも深く突き抜ける音楽をめざしたい」という。この発言から思い起こされるのが、エドワード・サイードがネルーダの詩を引用しつつ述べた「人間は閉じた容(い)れ物でなく、異物が中を通り抜けていく楽器……」だ。氏は「文化はオルタナティブなビジョンを与えてくれるもの」と論じたが、マリオネットがCDに記した序文は、同じ哲学に通ずるところがある。己の解放をもとめ、勝ちを望むのではなく、たえず現実のイメージで思考をうながす音楽だ〜
(音楽ライター・佐藤由美/毎日新聞掲載記事より)

◆従って「漠とした幻想」は、正確には「現実(マリオネット的な今)という幻想」、つまり、攻めぎ合う複数の潮流が擦れ違いざまに力を打ち消しあうことで出来た無風(空白)地帯(しかし、そこは全体としては常に移動し、逆に流れに左右されないことで深さへと至れる)に漂流する「マリオネット」への「幻想」と言うべきもので、その「マリオネット触媒」による結晶化「マリオケ」はさらに進化した『「現実という幻想(あるいは幻想という現実)」の幻想』と言うことになる◆結論を急ごう。まさしくここに、センセー転向の構図がある。センセーはナゼ「転んだか」然り、果たしてまた「ボケ」たのだ(深さへと至ったのだ!)換言すれば、本来「ボケ」た人が単に「ボケ」ることで本物の「ボケ」になったのだ(裏切りつづける動態!)そこでは絶望と希望が同時に体現され、「ダイナミックなビジョンを持つ予言的コードと化すのである。そして、未来が開示されるのだ」(エグ・ドラ序文)◆さて、ゴーシセンセー、今日は周到な「ボケ」で「オケ」に君臨する転向記念日だ。単なる「ボケボケ」ならないように、気合を入れて「ボケ」をかまして下さい(くれぐれも指揮棒落とさんように)◆さしずめ私は「システム」の地下茎を迷走する不埒なイチャモン傀儡師か。今日はエセプロデューサーよろしく、客席でふんぞり返って高みの見物をさせて頂く◆そして「マリオケ」の皆さん、本番では、繊細かつ大胆なダイナミックス、想像力の臨界値の表現、正々堂々只管打奏(?)、重力に意義申し立てればひとつの宇宙・・・、とことん「ボケ」きって下さい。舞台は精神の無礼講の宴です。その荘厳な狂喜を孕む喧騒の中でこそ、私は安心して地下茎の暴走を楽しめるのですから◆最後に…。期せずして今日は第21回参院選投票日。哀れに「ボケ」てしまいそうなこの「美しい国」の片隅で、バリ本気の音を夜露死苦!◆ええじゃないか、マリオケ!


◆追記◆再三「ボケ」を連発しておりますが、あくまでも比喩ですので、ご気分を害されませんことを。一番「ボケ」た輩は私自身と重々承知の上でございます。何卒、ご容赦下さいませ・・・。