骨の折れる話


(マリオネットサークル会報 Vol.7 掲載/95年)

骨の話その1

 9月30日、橿原文化会館小ホールにて常田富士男氏とイベント。打ち上げの席で常田氏が最近気にかかっている文章があるので読んでみないかと…。で、翌日そのコピーを戴く。今年7月4日、某新聞の切り抜きから。筆者は作曲家の三善晃氏、表題は「自分と出会う」。副題に「指の骨に宿る人間の記憶」とある。全文を転写するには長いので常田氏が自らチェックしたポイントだけを転用する。《「せめてすきなうただけは きこえていてはくれぬだろうか わたしのほねのみみに」(注)この10年ほど、ときどき右腕が使えなくなる。細かい5線紙に音符を書き揃える仕事の為か、頸椎が変形か摩耗して、痺れと痛みが何ヶ月か続く。その間、右手はピアノも弾けない。鍵盤の上に指を置いて触れれるだけだ。しかし、そうすると、ピアノの音が指の骨を伝って聴こえてくる。》(注/谷川俊太郎「ポール・クレーの絵による絵本のために」より) 「ほねのみみ」とはなかなか良い。動かない指の骨を伝わってくる音というのも相当なリアリティーがある。無論、指が動かなくなるというのは、プレイヤーたる私にとっては、想像するのもおぞましいのだが…。


骨の話その2

 「エイジアン・ブルー」でご一緒した新井英一さんのルポルタージュが月刊ヴューズ11月号に載っている。堂々11ページにもわたる取材。力作である。新井氏、インタビューに答えて曰く「最近は、俺の骨から音が出ているような感じがするんですよね」と。焦点が定まった発言だ。血と肉からでないところが良い。拠るべきところが筋力ではないという感得は、何か現代に対する批判にも聞こえる。故・中上健次が「あいつの声は絶対に貴重だ」と言い、又「天からいろんなものを降ろしてくれる」とも言い放ったのもうなずける。ちなみに新星堂発刊の「ミュージック タウン」10月号にはマリオネットと新井氏の対談が掲載されている。是非ご一読あれ。


骨の話その3

 実は去年7月、左手の人差し指が故障した。形整外科でレントゲンを撮り骨に異常がないことを確かめると、ケンショウ炎と診断され、副腎皮質ホルモンの塗り薬と湿布をもらった。「本当に治りますか?」という質問に「使わなければね」と担当医。悪気のないその乾いた応答に所在なく「そりゃ、困りましたねェ」などとつぶやくも、カルテの横文字が恨めしく、内心穏やかではない。本番日程の変更は不可。さて、本当に困った。とは言えども、とりたてて妙案などはなく、とりあえずは医者の言う通りに従うしかない。結果、針灸などの東洋医学の処置も併用し、若干の改善はみられたものの、所詮それらは対処療法でしかなく、痛みが引くには日にち薬が特効だった。ところで通常、指の故障はオーバーワークが主な原因だが、厳しく断罪するのならば、酷使に耐えられなかった我が左手のフォームにあると言えなくもない。フォームとは、つまり、あらゆる指の動きの中心となる支点の確定である。故障が起こったのは、いわばその支点の設定が間違っていたという事に他ならない。とするならば、根本治療は、支点を余分な負荷のかからない位置に移動させることとなろう。簡単に言えばフォー ムを変えるということ。しかし、これは大変な作業だ。それは自らの努力で自身の骨格を変えるに等しい。いささか乱暴だが、フォームをスタイル、思考法、文法、人生観等に置き換えて考えてもらえれば、その困難さもご理解いただけるだろう。


骨の話その4

 骨にまつわる事を3つ書いていて思い出したのは「三味線の名手の演奏は棹が鳴る」という話である。この話は私がずいぶん若い頃にある人から聞いたものだ。彼は古典芸能関係に詳しい年配の新聞記者だった。曰く「きっと役に立つだろうから憶えておくと良い」と−。当時の私にはその内容より彼の挑発的且つ意味有りげな眼差しの方が印象深かったのだが、10数年を経てようやくその内容に素直に耳を貸せるようになった。
 ところで“撥弦楽器”において普通“鳴る”とされるのは胴体部であって棹ではない。では何故、鳴るはずの無いところが鳴るのか?(あるいはそう感じられるのか?)この種の訓戒めいた言に有りがちな逆説的表現はさておき、私の壊れた指(それはまさに病的な鋭感さで反応する)から伝わるある実感は、幾つかのイマジネーションを引き寄せる。それは、弾く指の骨と楽器の素材(骨)が出会い響きあっているさまである。胴体から外へ堅く突き出た棹は、主に胴を鳴らす為の情報を伝えるのが役目だが、弾き手が自身の骨格として対峙するとき“鳴り”始める。音はその結果、生まれる。恐らくその時、弾き手は音楽表現以上の何かと交わり、往来している。私が私以外のものやことと本当にコミュニケーションが出来ていると感じられるのは決して悪くはない。怪我の功名とはまさにこの事か。