98年 ポルトガル滞在日記


マリオネットは98年7月、リスボン万博出演のため、
2年ぶりにポルトガルへと旅立ちました。
その折の模様を日記にまとめました。


7月17日(金) 晴れ

 午前7時20分、家を出て、伊丹空港へ向かう。伊丹からはバスで関西空港へ向かう。伊丹空港のバス乗り場で湯淺と会う。朝のラッシュ時間で阪神高速が込んだため、約1時間40分かかって関西空港に到着。全日空のカウンター前で、吉田と待ち合わせ。偶然にも、京都外大のロドリゲス先生と出会う。聞けば、先生もこの日帰国。ただし、航空会社が違うため、便は別々。リスボンでの再会を約して別れ、チェックイン。午前11時50分、ほぼ定刻通り、全日空便出発。リスボンへは直行便がなく、とりあえずはイギリスへ向かう便である。
 機内で寝て食べて、退屈をもてあますこと約12時間、現地時間の午後4時20分、ロンドン・ヒースロー空港に到着。ここでトランジットして、リスボン行きの飛行機に乗り換えである。空港内ではあまり大したチェックはない。チェックインを済ませてロビーで待機。この空港では、搭乗ゲートが決まるのが、出発の30分ほど前。ずいぶんのんびりしている。やっとゲートが確定して搭乗口に移動しても、そこでまた30分ほど待たされた。本来なら出発の時間になってようやく搭乗開始。それから約1時間かかって、午後7時半、ようやくリスボンへ向かって離陸した。
 約2時間強の時間をかけて、ようやくリスボンへ。リスボンに着いたのは午後9時半頃、西に夕日が沈み、空は赤く染まり、東は暮れゆき、ナトリウム灯の明かりが煌くという、最も美しい夜景を見ながらの着陸。リスボンの醍醐味はここから始まっているという感じだ。
 10時、入国審査を終えて到着ロビーへ出ると、お迎えが2組来ていた。1組は、ジャパンデーのイベントの制作をしている制作会社のスタッフ。このスタッフの方とは、偶然にも以前東京のイベントでも御一緒したことがあり、異国の地で偶然の再会である。もう一組は、湯淺も会員である「ファドの友ポルトガル協会」の会長ご夫妻。2年前の滞在の折には、大変お世話になった恩人である。再会を喜んだ後、ジャパンデーのスタッフの泊っている空港近くのホテルへ向かう。この夜は、出演者と現場スタッフで、親睦を兼ねたパーティーをやっていて、我々も途中からの参加。会長ご夫妻共々、ホテルの中華料理屋へ。演出家の野村氏(こちらも旧知の方)や、共演の鼓童や東京ホットクラブバンドのメンバーやスタッフなどと親交を暖め、12時過ぎにお開き。
 その後、スタッフと会長夫妻の車に分乗して、バイロ・アルト近辺の我々の宿泊ホテルへ。ホテルへチェックインしようとしたところ、リザーブの段階でミスがあり、私と吉田が、ホテルの主人が手配した近くの別のホテルへ移動。2泊だけこちらで宿泊することになる。午前2時頃、ようやく就寝。


7月18日(土) 晴れ

 10時頃、吉田と共にホテルを出て、現地通貨への両替のため、バイシャ地区へ出る。前夜は空港の銀行が閉まっていて、両替できず、スタッフからお金を借りているのだ。加えて、2年前に来たときに持って帰っていた紙幣の一部が、モデルチェンジで使えなくなっていた。こちらは銀行で新しいものに換えてくれるそうである。これはホテルの主人がやっておいてくれるとのことなので、任せることにする。
RTPの取材を受けるマリオネット 両替を済ませてカフェでコーヒーを飲んで一休み。こちらではヴィッカと呼ばれるエスプレッソが一般的で、すごく濃いのだけれども大変美味しい。休憩後、バイシャ地区にあるいろいろな店を見て回った後、ホテルへ引き上げる。途中、ホテル近くのCDショップによろうと思っていたら、以前2軒あったうちの1軒(メロディア)は、改装中なのか、それともつぶれたのか、店の看板はあるが中は何もなくなっていた。もう1軒の名物CDショップ(ファドの専門店/店のオリジナルCDなども出している)も、以前は店舗で営業していたのだが、店舗はなくなっていて、トラックを改造したような屋台で営業していた。2年間で随分変わっている。
 ホテルへ一旦戻った後、12時、湯淺の泊っているホテルへ。落ち合った後、ホテル近くのレストランにて昼食。昼食後、メトロ(地下鉄)で万博会場へ向かう。メトロはまとめてチケットを買うと1回乗車して60エスクード(約50円)、たいへん安い。
 ところで、今日は、テレビの取材と打ち合せ。取材のほうは日本を出る前から聞いていたが、RTPという国営放送である。日本でいうNHKのようなものか。日本館でスタッフと待ち合わせて、取材クルーの到着を待つ。しばらくすると、取材クルーが到着。ディレクターとカメラマン2人だけである。国営放送とはい帆船をバックに演奏するシーンえ、お国柄か、日本とはずいぶんと事情が違う。しかもディレクターは、どういう絵を撮るかなど細かなことは何も決めていないようで、カメラマンや通訳(Tさんという女性。彼女には2年前にも新聞の取材の折りに通訳をして頂いた。当時はリスボン大学に留学しておられた学生だったのだが、卒業後一旦日本に帰られ、今回の万博の日本館スタッフとして、再び渡ポしていた。嬉しい再会である)と相談。結局、マリオネットの2人がカートに乗ってやってきて、カートから降りて海を見るという、ちょっと恥ずかしい絵を撮ることとなり、2人ともおおいに恥ずかしがる。その後、場所を移して、2人のインタビューと演奏シーンの撮影。多分、編 集されて3分くらいの長さになるのだろうが、翌日の夜11時頃からのニュース番組での特集コーナーで取り上げられるようだ。
 取材終了後、日本館事務所で、スタッフと翌日以降の打ち合せ。主に時間の段取りと、ステージでのポルトガル語の挨拶の確認。特に挨拶については、今回、日本代表としての出演のため、細部にわたって、言い回しや発音などについて、気をつけなければならない。日本人の通訳スタッフを交えて、細部を検討、6時半頃ようやく終了する。
 打ち合せ後、演出家の野村氏と共に食事に出る。野村氏は、ポルトガル入りして1週間ほどになるが、ほとんどホテルと会場の往復だけで、ポルトガルらしい体験をしていないとのこと。とりあえず、我々のホテルまで行き荷物を置いた後、「ブラジレイラ」という名物カフェでビールを1杯。その後、バイロ・アルトを散策して、アルカンタラ展望台へ。展望台といっても高台の公園なのだが、リスボン市内とサン・ジョルジュ城が一望できる最高の眺望である。展望台のすぐ側には国営のポートワイン・バーがある。ついでということで、こちらによって、10年ものくらいのポートワインを適当に頼んで1杯。バーを出た後は、展望台横のケーブルカーでロシオ広場へ。広場近くの「アレンテージョ」というレストランで夕食。豪華な内装といかにもポルトガルらしい料理で、野村氏も喜んでくれたようだ。
 夕食後、野村氏・湯淺と別れ、ホテルへ戻って、午前1時、就寝。


7月19日(日) 晴れ

 午前10時頃、湯淺がホテルを訪ねてくる。今日、ホテルを移動しなければならないため、その打ち合せ。別れた後、吉田と共に12時前にホテルをチェックアウトして、湯淺の泊っているホテルに移動。まだ部屋が空いていなかったので、フロントに荷物を預けて、吉田と共に食事に出る。ポルトガルでは、日曜日はかなり閉まっている店が多い。幸い近くの鶏料理のうまい店(バイロ・アルト地図参照)が開いていたので、そこに決める。しばらくすると湯淺もやってきて、皆で昼食。スープ(鳥のモツと野菜のスープ)と腿肉のグリルがうまかった。
岸壁ステージ(アンフィテアトロ・ダ・ドカ) 昼食後しばらくホテルで休憩して、万博会場へ向かう。今日は楽器や着替えなどの荷物が多いため、タクシーを利用。リスボンはタクシーも我々の感覚としてはかなり安く、便利である。ただし、運転はかなり荒っぽくて恐い。3時に、ゲートでスタッフと待ち合わせて、イベントが行われる海岸沿のアンフィテアトロ・ダ・ドカという野外ステージへ向かう。
 会場内には大小様々な野外ステージがあり、常に何か催しが行われている。この日は、翌日のジャパンデーの前夜祭でもあり、アンフィテアトロ・ダ・ドカは入場にチケットが必要な最も大きなステージである。海(正確にはテージョ川)に面した広い会場の一角に湾が作ってあり、その湾内にステージが浮かんでいて、海岸べりに客席がしつらえてあるという、なかなかお洒落な会場である。楽屋はステージ裏にコンテナを改造したものがいくつもあり、狭いが、一応クーラーも効いている。ただし、外にいても結構涼しい風が通るので、外のほうが快適である。
リハーサル中のマリオネット しばらくすると、マリオネットのリハーサルが始まった。今日はイベントのオープニングに2曲だけの演奏のため、リハーサルもさほど時間がかからずに終了。今回のジャパンデー関係の日本館のイベントは、舞台スタッフがほとんど日本から来ているため、コミュニケーションも不安がない。最期に、ポルトガル語の挨拶のリハーサルをして、終了。この後、取材の申し込みがあり、しばらくその取材を受ける。
 今日の本番は午後9時半から。かなり時間に余裕があるため、万博会場を散策。レストランで、ビールやワインとピザで簡単な夕食にする。夕食後、楽屋へ戻る途中、パレードに出くわす。奇抜なメイクや、スプラッター的な装置など、世紀末的なおどろおどろしいパレードで、いかにもヨーロピアンセンス。ある意味で面白い。
 8時半頃から徐々に会場の周りに人が集まりだした。9時開場。すぐに満席となる。客席だけでなく、周りから結構自由にステージを見れることもあり、黒山の人だかりという感じだ。
 だんだん周りが暗くなり始めた午後9時半、開演。ポルトガル人の女性司会者バルバラ・ギマランエス女史(ポルトガルで大人気の女性キャスター/翌日の「ジャパンデー・スペシャルイベントの司会も務める」)の挨拶の後、マリオネットの紹介でステージへ。国を代表してのイベントのオープニングアクトはさすがに緊張する。1曲目は「海」。会場も引き込まれている。曲が終わると万雷の拍手。立ち上がって拍手に応えた後、課題のポルトガル語の挨拶。当然担当は湯淺だが、紙に書いたものを見ながら何とかうまく言えたようだ。2曲目は「南蛮渡来」。無事に終えて、東京ホットクラブバンドと交代。客席の反応も好意的で、無事にステージは進み、最後の鼓童のステージが終わり、11時半終演。大好評だった様だ。
 終演後、ステージ裏の楽屋(ここはまさに特等席である)から、花火を中心としたアトラクションを鑑賞。前記の湾内いっぱいを使って行われる大掛かりなもので、万博の呼び物の一つで、毎晩11時45分から15分ほど行われる。なかなかの見物であった。
 終了後はスタッフや日本館関係者と挨拶を交わして、スタッフの運転でホテルへ引き上げ。午後1時就寝。


7月20日(月) 曇り時々雨

 午前11時、ホテルにR君が訪ねてくる。彼は大阪でブルースなどを歌っているギタリストだが、プロのポルトガルギター奏者になりたいということで、今月から10月頃までの予定でリスボンに滞在している。以前から、湯淺にもいろいろとアドバイスを求めて、ポルトガルギターも手に入れ、意を決してリスボンまでやってきた。再会を喜んで、昼食を共にする。
 2時頃ホテルに戻り、しばし休憩。4時過ぎ頃から、マリオネットの両名は練習を始める。
 午後5時、ホテルを出てタクシーで万博開場へ向かう。ホテルを出る頃から、リスボンのこの時期には珍しく雨が降り始めたが、会場入りする頃目には雨も上がって安心する。
 今日は、今回の万博で、日本にとって最も大切なジャパンデーである。万博のテーマが海ということで、日本の海の日にちなんで、この日がジャパンデーとなった。イベント会場は、メインのイベント会場であるジュリオ・ベルネ・ホール。800人ほど入る大きな会場だ。スタッフの出迎えを受けると、開口一番、準備が遅れている旨の報告を受けた。ポルトガルのPA業者が、午前9時に機材を搬入する約束であるのに、実際には午後3時になってしまったとのこと。このあたりは、全くポルトガル人は信用できない。
 とりあえず楽屋に入ったが、スケジュールがどんどん押していて、なかなかリハーサルの順番が回ってきそうにない。そうこうしている内に、夕食の準備が出来たとのことで、ケータリングの部屋で、簡単な立食バイキング形式で食事をつまみ始めた。食べている最中にリハーサル開始の連絡。皿に取ったものを慌てて口に詰め込んでステージへ。セッティング時間が少なかったにもかかわらず、リハーサルをしてみたら音がいい。日本人のスタッフは本当に勤勉で優秀である。
 午後9時開場。控え室でモニターを観ていると、お客さんが少しずつしか入ってこない。大丈夫かと思っていたら、定時の9時半になっても半分ほど。この状態で1ベルが鳴り、スタッフがスタンバイを知らせに来る。舞台袖にスタンバイするが、なかなか本ベルが鳴らない。スタッフに事情を聞いたところ、ポルトガル人のお客さんたちが、夜景を見ていて、ロビーから動かないとのこと。全くのんびりしている。まあ、これもある意味ではポルトガルの愛すべき一面ではある。結局は満席となり、15分後れでスタート。
 まずは、今回の万博での日本館のスポンサーである日本財団の会長で、作家でもある曽野綾子さんのご挨拶から。約10分のスピーチは英語、その後、司会者からポルトガル語の要約が入る。半数を占める日本人客は、内容が分かっただろうか。
 曽野さんのご挨拶の後は、司会者の紹介でいよいよマリオネット登場。1曲目は昨日と同じ「海」。終わると万雷の拍手だ。立礼の後、まずは日本語の挨拶から。その後おもむろに上着の内ポケットからスピーチ用の紙を取り出す。ここで会場が爆笑、緊張が解けて2人ともほっとする。このあたりは、さすがに大阪人だ。2曲目はリスボンファドの名曲「アイ・モラリーア」。気持ちが入って、なかなかいい演奏。続いて「南蛮渡来」でフィニッシュ。万雷の拍手の中、歓声に応えて袖へはける際、出口を間違えたのが御愛敬。この後は、前日と変わって、いきなりメインの鼓童のコーナーとなる。スタッフと挨拶して楽屋に引き上げ、しばらく待機。鼓童の演奏の間にテレビの取材が入ることになっている。しばらくして、結局、館内でインタビューを受けることになる。午後11時、無事終了。
 終演後、知人を探しに表に回ると、結構多く知り合いなども来ていた。2年前のレコーディングで世話になった、エンジニアのルイとも再会。日を改めて飲みに行こうと約束する。
 ところで今日は、東京ホットクラブバンドはオープンスペースのミニステージに出演している。スタッフたちと、演奏を聴きに行ってビールでも飲もうということになり、片づけをして移動。ステージは、ケンタッキーフライドチキンやピザの店の隣にあり、客席の周りには、オープンテラスもあり、テーブルなどが出ている。皆で適当にそちらのほうへ陣取り、ビールなどで乾杯。客席には、ジュリオ・ベルネ・ホールから流れてきた客もちらほらおり、いろいろと声をかけられたりする。日本人の中には、「ワイン・玉ねぎ・ポルトガル」という本を出版されている是月次郎さんなどもいた。ご一緒しながら、しばし歓談。そのうち、いつもお世話になっている京都外大のロドリゲス先生ご夫妻と次女のチホさんも顔を見せる。奥様とお嬢さんとは2年ぶりの再会。日本館の通訳スタッフのTさんとFさん(京都外大を卒業後、しばらくOLをしてお金を貯め、現在リスボン大学に留学中。日本館では、ジャパンデー期間中だけのアルバイトとして働いている)は共に京都外大での先生の教え子で、再会を喜んでいた。
 午前1時頃、ステージもはね、タクシーでホテルへ引き上げる。


7月21日(火) 晴れ

 午前10時半にホテルを出て、フロンティア旅行社の村田さんを訪ねる。フロンティア旅行社はスペインに本社のある会社で、村田さんはリスボンにある小さな支店を取り仕切っている。2年前に滞在していた折りに知人の紹介で知り合い、今回「マリオネットと行くリスボン万博ツアー」の現地手配のすべてをお願いした。今日はその最終打ち合せである。
 さて、事務所へ伺うのにメトロを利用しようとしたのだが、なぜかホームには、珍しく多くの人が待っている。その中でしばらく待っていたのだが、電車がやってこない。メトロは結構本数が出ていて、すぐに来るはずなのに何かおかしい。どうも何かトラブルでストップしているようだ。ポルトガル人はこういう時あまり文句も言わずにじっと待っている。我々は約束の時間もあるので、あきらめて外に出て、タクシーを利用することにする。
 フロンティア旅行社の事務所は、今回のツアー参加の方々が泊るシェラトンホテルの入ったビルの一角にある。事務所を訪ね、約30分ほど、簡単な打ち合せ。打ち合せ後は村田さんと別れて、近所の中華料理屋で昼食。まあまあの味。
 昼食後、タクシーでカイソ・ド・ソドレ駅へ向かい、そこから電車でサン・ジョアンへ向かう。ここは海に面した高級住宅やペンションが多くあり、ここにあるマンションにロドリゲス先生のご自宅がある。先生ご一家は、昨日もステージを見に来てくださったが、今日は、30日のステージの件で、リスボン博の事務局との打ち合せのお手伝いをお願いするための訪問である。平素、先生は日本におられ、先生のご一家(日本人の奥様と2人のお嬢さん)はこちらで暮らしておられる。そのため、普段、我々とポルトガルとの交渉事は、先生のご長女・ユキさんに頼り切っている状況である。今回の「ポルトガルギター・フェスティバル」への出演も、彼女に交渉をお任せしていたが、この時期、たまたま彼女がイタリアに出かけているため、帰省されている先生に、変わって事務局との打ち合せをお願いした次第だ。細かな契約の取り決めや(このあたりは、ポルトガルといえども、かなり細々とした条項があり、ややこしい)、入場パスの発行に関する書類の整備、当日のスケジュールの打ち合せなど、かなり多岐にわたって、先生と先方で、電話やFAXを通してやり取り。いろいろと部署が別れてい て、その度に担当部所と担当者が異なり、面倒なことこの上ない。先生がおられなければ、到底、出演までこぎつけたかどうか怪しいものである。
 午後7時頃、先生のお宅を辞して、一旦ホテルへ戻る。今夜は、ジャパンデーの演出家である野村氏と何人かのスタッフを、ファドハウスへご案内することになっている。連絡を取り合ったところ、日本館の関係者との食事会などで時間を取られているとのことで、9時頃の待ち合わせにして、取りあえず食事に出る。今日はバイロ・アルトの魚のうまい店(バイロ・アルト地図参照)へ。小鯵のフリッタ(フライ)と付合わせの豆が美味かった。
 午後9時過ぎに、連絡を取り合って、バイロ・アルト近くのカモンエス広場で待ち合わせ。その足で、ファドハウス「ファイヤ」へ。店についての詳しいことは「リスボン・ファドハウス情報」をお読みいただければそちらに詳しくあるが、みんな満足していただけたようだ。ポルトガルギターのマニュエル・メンデスは本当に確実でうまい。何より驚くのは相棒のギター奏者。左手の動きは無理がないのだが、動きが良く分らなかった。そのテクニックの確かさには圧倒された。我々はやはり器楽奏者に先に目が言ってしまうのだが、ラストに登場した歌手レニータ・ジェンティルは、さすがに素晴らしかった。
 深夜12時半頃、ロシオ広場まで一行を送って、ホテルへと引き上げる。


7月22日(水) 晴れ

 午前10時頃ホテルを出て、タクシーでサンタ・アポローニャ駅へ向かう。今日は、ポルトガル在住の画家・武本比登志さんのご紹介で、アヴェイロという町で演奏することになっている。アヴェイロと日本の大分市が姉妹都市を締結して20年目ということで、記念のイベントや展示会がこの日からあり、武本先生も何点か作品を出展しておられるとのこと。大分からも、40人ほどの人が来られているそうであるが、イベントの詳細は全く不明で、どうなるかは全く分かっていない。
 アヴェイロはリスボンから電車で2時間半、と時刻表にはあるが、実際には3時間かかった。なぜだろう。
 午後2時、到着してとりあえずホテルへ入ると、フロントで武本先生夫妻とお会いする。チェックインしようとすると、どうも名前がきちんとリザーブに入っていなかったようで、フロントが、どの部屋に我々を割り振って良いか困惑している。予約をしたイベントの主催側担当者も出かけていて、事態が良く分からない。とりあえず30分ほどのすったもんだの挙げ句、ようやく部屋へ入ることが出来た。
 この後すぐに先生と共に会場へ向かう。会場は赤レンガの大きな建物(昔の煉瓦工場跡を改造したと聞いた)で、この中に展示用のスペースや劇場などがある。会場でようやく女性担当者と会い、簡単な打ち合せ。今日がイベントのオープニングで、参加者が会場入りする際のウェルカムの演奏を何曲かすれば良いだけのようだ。
 時間があるので一旦ホテルへと戻り、近くのイタリアレストランで遅い昼食。部屋で着替えた後、午後5時、再び会場へと向かい、スタンバイ。展示会場の一角に演奏場所を設定し、一行の到着を待つ。
 30分ほどして、日本人とポルトガル人あわせて60名ほどの参加者が到着。歓迎の演奏を終え、参加者は別室でレセプション。我々は館内のバーでビールを一杯。
 この後、晩餐会に招かれたのだが、堅苦しいのは苦手なため、武本ご夫妻と共に引き上げ、海岸沿のレストランで共に夕食。アヴェイロは海産物が豊富で、店の名物料理、アロース・デ・マリスコス(海の幸のリゾット)や、様々な魚のフリッタ(フライ)など、どれも新鮮でうまかった。満足してホテルへ引き上げる。


7月23日(木) 晴れ

 午前11時頃、ゆっくりホテルを出て、アヴェイロの駅へ向かう。前日までは、帰りにコインブラへ寄るつもりであったが、疲れが溜まっているため取り止め、真っ直ぐリスボンへ。
 午後3時頃、サンタ・カタリーナへ戻り、ホテルで休息。
 夕方6時前に再びホテルを出て、カンポ・デ・オリクへ向かう。ここは、2年前に湯淺がアパートを借りていたところでもある。こちらには「ファドの友ポルトガル協会」のルイス・デ・カストロ会長とジュリエッタご夫妻がお住まいで、今日は夕食にご招待された。ジュリエッタはなかなかの料理上手で、とっておきのワインと共に、お得意の鱈のコロッケや鳥の炊き込み御飯などをいただく。家庭料理はやはり美味しい。ゆっくり時間をかけての夕食後、近くのカフェまで出向いてコーヒーを飲み、近所を散歩した後、再びアパートへ戻って、ファド談義。ご夫妻は湯淺にとってファドの先生でもある。
 深夜まで楽しい時間を過ごし、ホテルへ引き上げる。


7月24日(金) 晴れ

 前日までの疲れもあり、朝はゆっくり。昼頃、クリーニング(ホテルより安かったので、近くのクリーニング屋を利用していた)を出しにホテルを出ると、カフェのオープンテラスで吉田とR君がコーヒーを飲んでいる。マリオネットが午後からホテルで練習をするので見に来たのだが、湯淺はあいにく食事に出ている。それでは3人で食事に行こうということになり、ロシオ広場へと向かう。吉田はパスタマニアで、スパゲッティがないと禁断症状をおこすほどのパスタ好き。ポルトガルでは美味しいパスタはないが、ロシオにピッツァリア(スパゲッティとピザの店)があるので、そこへ行くことに。ところが、2年前の記憶をたどって店へ行ってみると、普通のポルトガル料理のレストランに変わっていた。吉田はがっかり。吉田とR君はホテルの方へ戻りながら店を探すことになり、私はバイシャのカフェで、生ハムとチーズのサンドイッチで昼食を済ませる。美味しかったがパンが固くてあごが疲れた。
ファドハウス「パレイリーニャ・デ・アルファマ」 少々の買い物を済ませてホテルへ帰ると、マリオネットは練習を始めていた。昼はホテルにほとんど人がいないため、宿の主人・カルロスの好意でバーを使わせてもらっている。2時間ほどの練習の間、私はこの日記などを書いて時間をつぶす。
 練習終了後、R君は引き上げ、しばし休憩の後、6時前、再びカンポ・デ・オリクへ。2年前にレコーディングをしたスタジオもまたここカンポ・デ・オリクにある。今晩は、レコーディングのときにお世話になったエンジニアのルイと食事をすることになっている。スタジオで待ち合わせて、ルイの奥さんと共に近くのレストランへ。因みに「パレイリーニャ・デ・アルファマ」のギタリストたちと湯淺、ルイはワイン通でグルメでもある。彼に連れられて行く店は、なんてことはない町場の店なのだが、まず味に間違いがないしワインも美味い。さて、今まで未体験の店へ入って注文は全てルイにお任せ。果して、やはり美味かった。イカ、ステーキ、白身魚のグリルなどなど…。堪能して店を出る。
 さて、ポルトガルはここからの夜が長い。ルイが、我々をファドハウスへ連れて行きたいと誘ってくれたので、お言葉に甘えて彼の車でアルファマへ。目指した店は「パレイリーニャ・デ・アルファマ」。ファドハウスといえばバイロ・アルト地区が有名だが、それ以外にももちろん多くある。ここは、結構名の通った店。ファドハウスはおおむね食事はあまり期待できないのだが、ここは食事も美味しいと評判の店だ。もっとも我々は食事は済ませていたのでワインだけなのだが…。週末でもあり店はあいにくの満員。しばらく待って、ようやく席に案内される。ポルトガルギターも歌もなかなかのレベル。ショーを楽しんでいると、店のギター奏者がやってきて君たちも弾いてみろという。まさかの飛び入りであったが、ギターを借りて、ショータイムに2曲を演奏。客の反応も良く、ルイも喜んでくれる。
 火にあぶられて出てきたチョリーソ。美味い!さてここで終わりと思いきや、ぜひもう1件というルイに連れられて「オス・フェレイラス」というファドハウスへ。ここはもう観光客はまったくこない店。普通の食堂という感じの店で飾りも何もない。随分遅い時間でもあり、地元のファド好きが楽しんでいる。ここがまたなかなかいい雰囲気なのだ。出演しているファディスタもなかなかいい。因みにここでもルイは食通ぶりを発揮、チョリーソ(腸詰め/サラミの濃いようなやつです)を2種類注文。火にあぶられた状態で出てくる。これがまた美味い(凄く塩辛いけど)。ワインをがぶがぶ飲みながら食べるという、こちらの食習慣が本当に良く分る。特に血のチョリーソは私には美味かった。「オス・フェレイラス」で演奏するマリオネットさて、ここでもルイやファディスタたちに進められて、またまた2曲飛び入りで演奏。客の乗りも良い。ここに、たまたまルイの友人・国営放送ラジオ局RD Pのディレクターであるルイスという男が来ていて、マリオネットに話し掛けてくる。随分とマリオネットの演奏を気に入ったようだ。実は、29日の日に、ルイにRDPへ連れていってもらうことになっていたのだが、ぜひその日に食事を一緒にしたいと誘いを受けた。どうやら今回のリスボン滞在は、全くゆっくりする時間がなさそうである。
 結局、店を出てホテルへと帰りついたのは午前4時、こちらに来ると本当に夜遊びぐせがついてしまう。


7月25日(土) 晴れ

 前日の疲れで昼頃まで爆睡。吉田と共に食事に出るが、胃が重く、ポルトガル料理は受けつけそうもない。とりあえず、近くのカフェでハンバーガーを食べて済ませる。スープもほしかったのだが、今日は土曜日でスープは置いていない。ハンバーガーといっても、いわゆる日本風(というかアメリカ風)の柔らかいパンではなく、ちょっと柔らか目のフランスパンみたいなやつだ。ハンバーグも手作りで、なかなか美味しかった。
 食事後、ホテルに引き上げ、各自適当に過ごす。ホテルで休んでいると、カメラマンの近藤さんから電話。夕食をご一緒することになる。近藤さんはポルトガルに住んで、カメラマンの仕事をされている。2年前にはマリオネットの写真も撮ってもらい、CD「ルジタニア憧憬」のジャケット写真として使わせて頂いた。この2年間ですっかりポルトガル社会に根づき、なかなかいい仕事をなさっているようである。
 午後7時40分にホテルを出て、ロシオ広場となりのフィゲイラ広場へ向かう。ロシオ広場とフィゲイラ広場の間にあるスイッサという有名なカフェのあたりで待ち合わせ。到着して待つことしばらく、近藤さんが現れる。約2年ぶりの再会を喜び、近藤さんの案内で、近くの(メトロ「ソコロ」駅すぐ)中華料理店へ。ここは新しく出来た大きな地下駐車場上にある公園脇のビル5Fにあり、広いテラス(このテラスは、今のところ食事等には使っていない。もったいない)もある。向いにはサン・ジョルジュ城が見え、眺望抜群、いい立地条件だ。ここの女性オーナー(もちろん中国人)は、近藤さんがリスボン大学に語学留学していた折の同級生とのこと。
 ところで、ポルトガルの料理は、大体において塩辛い傾向にある。探せば、適度な塩加減で美味しいレストランもあるのだが、旅行者が見つけるのは至難の業である。ガイドにもそんなことまでは書いてくれていない。中華料理もご多分にもれない。ある程度ポルトガルにいると、やはりポルトガル料理だけでは胃がおかしくなってきて、たまに違ったものが食べたくなる。中華料理の店は結構あちこちにあるので、そういう時に便利なのだ。ところが、大抵の中華料理屋はとにかく塩味がきつく、味付けも全ての料理が一緒なのではと思うくらい、変化に乏しい。概ねがっかりするのである。ところが、ここの料理は結構いけた。日本で食べる中華料理とまではさすがにいかないが、まあまあ食べさせるのには感心した。近藤さんによると、やはりポルトガルは料理の面ではまだまだ。彼はビザの関係で、半年に一度ほどポルトガルを出国してロンドンへ行くそうであるが、ロンドンの中華料理は最高に美味いらしい。彼はいつもそれを楽しみにしているそうである。
 ともあれ、料理とワインを楽しみながら、再会の会話が弾んだ。主に近藤さんの仕事のお話や、ポルトガルでの生活などについてのお話となったが、現地の日本人社会とは関係のないところで、独自に人間関係を作って現地に溶け込んでいる近藤さんのお話は、大変興味深く、また我々にも参考になった。
 さて、たっぷり時間をかけて一通り食事も終わったところで、近藤さんに、アルファマにあるバーに案内してもらうことになった。若い人が集まる穴場的なところで、店内には近藤さんの写真が飾られているという。一同、近藤さんの車に乗り込み、アルファマへ。サンタ・アポローニャ駅近くの路上に車を止め、細い階段の路地を上って行くと、その店「ウ・エスボッサオ」はあった。とは言っても、別に看板も出ていない。近藤さんがドアの前でベルを鳴らすと、店主が出てきた。案内されて中へ入ると、なかなか古い石造りの穴蔵といった感じで、きれいではないのだが、オシャレな感じのバーである。店内には近藤さんがアメリカで撮った写真が10点以上ディスプレイされていて、なかなかこれもいい感じだ。ビールを飲みながらしばらくすると、近藤さんが店主と話をつけてきて、ここで日を改めて演奏をしないかということになった。それまでに知り合いに声をかけて、人を集めるという。面白そうなのでOKして、日程も28日の深夜12時からと決める。楽しい時間を過ごしてホテルへ戻ったのは、午前3時頃であった。


7月26日(日) 晴れ

 日曜日は、ポルトガルでは大抵の商店やレストランはお休み、町は閑散としている。食事をしようにも買い物をしようにも、我々には不便なことこの上ない。吉田と共に昼食に出たが、店を探すのも面倒なので、先週同様、鶏の店に行くことにする。鶏が美味いからといってそれしかないわけではもちろんない。メニューを見るとアロース・デ・ポルヴォ(タコのリゾット)がある。1人前は多いので、メイヤー(半分)で注文。美味かった。
 夕方までは適当に過ごし、8時前にホテルを出る。今日は、いよいよ「マリオネットと行くリスボン万博ツアー」の一行が到着するのである。とりあえず我々は空港までお出迎えというわけだ。バイロ・アルトのカフェで夕食代わりのサンドイッチを食べた後、タクシーで空港へ。定時の9時より多少早めに空港に到着、フロンティア旅行社の村田さんは既に来られていた。一行を乗せた飛行機は、珍しく定時より多少早く、既に到着していて、入国手続きの最中であろうとのこと。待つこと約30分、ようやく一行が出てきた。今回の参加者は、結局32名もの大人数。マリオネットのコンサートやライブ会場で既に顔見知りの方も多く、遥かポルトガルの地で久々の対面、何か嬉しいものがある。わずか7日間のリスボン滞在だが、ぜひ楽しんでほしいものである。また、今回は添乗員はつかない予定だったのだが、人数が予想以上に増えた関係で、日本での取りまとめ一切をして頂いたヒットカンパニーの小島さん(大阪の支社長/女性である)が、本来は添乗はなさったことがないとのことだが、ついてきて下さった。心強い。
 さて、到着早々、ツアー参加者の内、1人の方の荷物が出てこなかったり(翌朝ホテルへ届いた)、現地通貨の両替に手間取ったりで時間がかかってしまったが、約1時間後、空港からはバスで宿泊のシェラトンホテルへ。約15分のバスの中では、今回ガイドをして頂く石田エツコさんのご挨拶と、簡単なポルトガルの説明などがある。ホテル到着後は部屋割りの発表と注意事項の伝達の後、解散。その後、ツアー参加者約10名ほどと、ホテル最上階のバーで、無事到着を祝し、一杯。一行は、長時間フライトの疲れと、翌日早くから市内観光もあるため、12時過ぎにはお開きとする。


7月27日(月) 晴れ

 ツアー一行は早朝から市内観光に出ている。我々は、とりあえず今日は同行せず、昼間はゆっくりと過ごす。昼前に、吉田と共にバイシャの方へ出る。今回、土産物などを買う時間があまりないので、この空いた時間を利用しての買い物である。
 さて、昼時となって何処に食事に行こうという話となるが、どうも吉田は、一昨日、近藤さんと行った中華料理屋に行きたがっている。中華が続くのも抵抗があるので、何処か別のところはないかと考えていたら、近藤さんから、バイシャにインド料理屋があってカレーが美味いと聞いたのを思い出した。近藤さんは「地球の歩き方」のリスボンのレストラン情報ページを担当されて、20個所ほどのレストランを取材して廻ったそうなのだが、その中の1軒である。ところが我々は「地球の歩き方」を持っていなかったので、詳しい場所が分らず、昨夜聞いた話を手がかりに20分ほど探すが、どうしても見つからずにやむなくあきらめざるを得なかった。やっぱりこういう時は最新のガイドブックを常に持っていないとだめですね。ということで、結局、吉田の意見を入れて、一昨日の中華料理屋へ。どうも吉田は、担当のウエイトレスがお気に入りだったようで、今日も同じ女性が担当となって御満悦であった。
 食事後も、買い物などをしながら宿に戻り、夜まではゆっくり過ごす。
 午後8時過ぎ、ホテルを出て、タクシーでラパ地区にある「セニョール・ヴィーニョ」というファドハウスへ向かう。「セニョール・ヴィーニョ」は、リスボンでも1,2を争う有名店。出演している歌手もレベルが高く、料理も美味い。今晩は、ツアー一行がこの店で夕食とショーを楽しむことになっていて、我々も同席というわけである。さて、店へ着くと、既に一行は到着していて、着席している。我々も混ぜてもらって、とりあえずディナー開始。ひととおり食事も出たところで、ショーが始まる。ファドハウスのショーは、たいていは1人3曲程度歌ったら休憩で、歌手が入れ替わるようになっている。もちろん後になればなるほど、真打ちのいい歌手が出てくるというわけだ。店によって異なるけれども、だいたい深夜12時までに1回転して、さらに2時過ぎまでにもう1回転、というのが普通のパターンだろうか。日本からのツアーの団体客は、だいたいがメインの歌手が登場する前に店を出てしまうと聞いたことがある。何とももったいない。
 さて、3人ほど歌い終わったところで、この店の人気男性歌手(兼ギタリスト)ジョルジュ・フェルナンドがようやく店にやってきた。彼については「リスボン・ファドハウス情報」に詳しくあるので省略するが、湯淺とは旧知の仲、早速、旧交を温めていた。しばらくするとジョルジュのステージ。彼の歌はいわゆる普通の男性ファド歌手とは全く異なっている。ギターと弾き語りで、あまり声を張り上げることもなく、甘い声で、フォーク歌手の弾き語りといった感じだ。おそらく曲は全て彼のオリジナルであろう。スタンダードのファドとは、メロディや雰囲気が全く違う。ある意味で、もうこれはファドではないのかもしれないが、「ファドの友ポルトガル協会」の会長夫人・ジュリエッタによると彼の歌は紛れもなくファドなのだそうだ。要は歌心の問題なのであろう。最近、ポルトガルだけでなく、世界中でポルトガルの歌姫ドゥルス・ポンテスが人気だけれども、彼女の歌も、新しいファドと言う人と、ファドではないと言う人がいる。本場ポルトガルでも意見が分かれているのだが、それでも素晴らしいものは素晴らしい。ジョルジュの歌も、そういう意味で本物だ。うまさとかテク ニックではなく、曲そのものに感動する。彼もCDを既に何枚かリリースしており、国内では既にスターなのだそうだ。さて、素晴らしいジョルジュのステージが終わり、皆、やはり感動したようだ。店内で売られていたジョルジュのCDを買い求め、サインや写真をねだっていたことは言うまでもない。因みに、ガイドのエツコさんは、長年ポルトガルに在住にもかかわらずジョルジュを知らなかったようで、初めての彼の歌に感動し「私は、今日本物に出会った」と涙を流しておられた。彼女の飾り気のない人間性が現れたエピソードである。
 さて、ステージはそろそろ佳境に差し掛かり、トリの出番へと近づいている。この店の最大の看板は、大歌手マリア・ダ・フェイである。日本では知られていないが、彼女はポルトガルでは大変なスターであり、その地位もアマリアに次ぐといわれているほどの人だ。ところが、実はこの日は運悪く、彼女がお休みの日とのこと。それを聞いた湯淺はホントにがっかりしていた。もっとも、その替わりにトリを取った女性歌手(彼女もマリアというお名前)もなかなかの歌手だったし、ジョルジュの歌も聴けたからよしとするか。
 この後、ハプニング。ジョルジュに勧められて、何とまた、マリオネットが飛び入りでステージに立つ羽目に。ツアー一行は大喜びだが、湯淺はとっさのことであがってしまったようだ。とりあえずファディスタたちにギターを借りて、エツコさんの前口上で演奏したが、慣れないギターと緊張で演奏はぼろぼろ。湯淺はしきりに恥ずかしがっていたが、まあご愛敬である。
 12時頃にはひととおりステージも終了し、ツアー一行はバスでホテルに引き上げ。一部の希望者(5名残られた)は、そのままマリオネットと居残り。夜遊び希望組である。しばらく「セニョール・ヴィーニョ」にいた後、河岸を変えようということで、タクシーに分乗して我々のホテルがあるサンタ・カタリーナ地区へ移動。ホテル近くのサンタ・カタリーナ展望台へ。展望台といっても、いわゆる見晴らしのいい高台の公園。ここからは、テージョ川の方面の街並みが見渡せる。リスボンは、昼間はごみごみしているのだが、夜になると汚いところが隠れ、町中にあるオレンジ色のナトリウム灯の明りでぼんやりと浮かび上がった夜景は美しい。ここが夜になると簡単なバーになる。飲み物と簡単な菓子類などを売る屋台が出て、その周りのテーブル席や公園ベンチなどで、皆様々に酒を飲んで夜更けまで楽しむのである。夏でも夜は涼しく(風が寒いくらい)酒の入った体に快適。我々もビールを買って、ベンチを占領。しばし雑談など。
 この後、近くにあるバー(階段通りの途中にあるので、私たちは「階段のバー」と呼んでいた)へ。ワインを注文して盛り上がる。異国の地で、このように過ごしているのは何とも不思議な感じだ。2年前に来たときは、このバーへしょっちゅう出入りしていたものだが、人数が少なかったし、日本人が珍しかったのか、いつも他の客や店の人に話し掛けられて、四苦八苦して英語で話していた楽しい思い出がある。今、8人もの人数で日本語で盛り上がって(別に大声を上げて、店の雰囲気を壊した、なんてことはないですよ)、日本でもポルトガルでもなく、またどちらでもあるような、すごく変わったところに迷い込んだような不思議な気分である。このあたりがツアーの面白さなのかも。ところで、この階段のバーは結構変な絵がかかっていたりして、ちょっとアートっぽい感じ。以前は、カメラマン(自称)の男性など何人かでやっていたが、今日は、女性がカウンターの中にいる。ひょっとして経営が変わったのかもしれない。結局2時過ぎまで楽しんだ後お開き。表通りでタクシーを拾い、一行を乗せてお別れ。遅くまでマリオネットの夜遊びに付き合ってくれた不良娘たち(失礼)には感謝。