7.マリオケの目指すもの

吉田剛士


断っておくが、これはもちろん他団体の活動を否定するものではなく、我々は自分自身の信ずるところに従うに過ぎない。
例えばカラーチェの偉業はムニエルの偉業をなんら傷つけるものではないし、マチョッキの楽団が如何に優れていたとしても、それはメッツァカーポの楽団の価値をなんら損なうものではない。それぞれが独自の価値ある存在であり、みな同じ空に輝く星であるように
現代に生きるわれわれも、それぞれが独自の道を真摯に探求し独自の存在になることで皆、彼らと同じ空の片隅に輝く星になればよい。長い目で見れば皆同胞なのだ。

マリオネットは、ポルトガルギターを使った独自性の高いサウンドが評価されてきたわけだが、その一方でマンドリンを使った新しいスタイルを提唱してきた自負はある。楽器の個性を生かした楽曲作りにこだわりつつもマニアックな分野に埋没することなく、広く一般の音楽ファンに受け入れられてきたことは既に実証済みである。その延長線上にあるオケも多方面から注目を集め、100パーセント独自のレパートリーで際立った個性を持ったオケとして大盛況のうちにデビューを果たすことができた。
マリオネット及び、マリオネット・マンドリンオーケストラが、マンドリンの歴史の中で将来的にどのような評価をされるかは時代の審判に委ねるしかないが、その歴史の来し方行く末を見据えた上での取り組みであることは強調しておきたい。

マンドリン最盛期にイタリアのマンドリニストたちが自らの楽団を率い、自らの新作を携えてステージに挑んだように、またマンドリン黎明期の日本でオルケスタ・シンフォニカ・タケイが常に海外の新作を取り寄せ本邦初演を重ねたように、私たちは常に新しいことにチャレンジする団体でなければならない。マリオネット・マンドリンオーケストラは、この時代にあるべきマンドリン合奏の理想を模索する、マンドリン史上のひとつの実験的アプローチなのである。