4.マンドリンは彷徨っている

吉田剛士


マンドリンはその故郷ナポリという地域性から抜け出たものの、都会の主流にはなれず、そのはざまを彷徨っている感がある…つまり世界に広く普及したものの、洋楽器としてレギュラーなポジションを獲得するに至らず、一方、もはや民俗楽器としてのポジションも望めないという収まりの悪さを感じるのである。
例えば、バラライカはロシアの民俗楽器として知られるが、それゆえに明確な地域性が特色として売り物になる。したがって、バラライカオーケストラはロシア民謡を演奏していればとりあえず安泰なのである。
その点、マンドリンはもともと地域性の強い楽器であるにもかかわらず、何をやっても良い自由と引き換えに「中途半端な存在」を余儀なくされているかのように感じる。とくに個人芸に頼らないマンドリンオケを聴くときの居心地の悪さの原因は何よりこの点に集約されるのではないだろうか。どこかに特化した団体もあるだろうが、一般的に言って純クラシックとは認められないし、ポピュラーミュージックというほどポップでもない。ましてイタリアの民族音楽でもない。あえて言うならイージーリスニングに近いが、結構「イージー」でない大曲も多いし、大人数トレモロの迫力も考え合わせると、やはり独自の「マンドリン音楽」という分類が正しいのかもしれないと思ってしまう。この中途半端で不明瞭な感じが常に気になってきた。


5.圧倒的なマンドリン合奏人口