マリオネット沖縄を行く



(マリオネットサークル会報 Vol.18 に掲載/99年)

 1月末から2月はじめにかけて沖縄へ行ってきた。ずいぶん久しぶりである。
 かつて那覇にジャンジャンがあった頃、数回訪れたことがあり、それ以来のことなので5・6年ぶりになるだろうか。
 今回は例の百万円ツアー(註1)のアトラクションとして日航アリビラで演奏するという仕事が入ったので、それをメインにしていくつかのコンサート、ライブ、そしてラジオ出演などの仕事をくっつけ、5泊6日の演奏旅行ということになった。
 以前は地方で仕事が入っても、その仕事が終わるとすぐに帰ってきていたのだが、最近は「せっかく行ったのにそれだけではもったいなかろう」ということで、旅先で他の仕事も発生させ、何日かのツアーにするようになってきた。これは、我々のことを求めてくださったり、お世話してくださる人々との貴重な人間関係が少しづつ成熟してきたことの有難い証しでもある。今回の沖縄に関しても、様々な土地の様々な人たちとの人間関係が立体的に交差して、実に充実した思い出に残る旅となった。
 今回のツアーではJAL以外に、長野の「ゆいまある」のYさんの紹介で那覇の「オープンスペース」という店でライブができることになった。そして私の大学時代の友人であるHさんが当地で琉球放送勤務であることから、何か仕事がないものかとお願いしたところ、糸満の結婚式場での大掛かりなイベントを企画してくれた。その他ラジオ出演が2回、そして那覇市内の高校でのコンサートも急遽行うことになり、結構濃いスケジュールになった。それにもかかわらず毎夜2時3時まで泡盛を飲みつつ賑々しくも盛り上がった数日間であった。

1月30日

 1月30日  午後一で沖縄入り。久々に那覇空港に降り立つ。ロビーには長野の「ゆいまある」のYさんの弟さんが迎えに来てくれていた。初めてお会いしたのだが雰囲気がYさんとそっくりである。早速、我々三人はYさんの車に乗り込み、ラジオ局まで連れて行ってもらった。この日のラジオ出演は、もともと長野経由で決まった仕事であるが、これには若干ややこしいいきさつがあり、肝を冷やしたのであった。というのが、あいだを取り持ってくれた人の思い違いで琉球放送だとばかり思っていたのが、実はライバル局の番組だったのだ。Hさんに頼んだ琉球放送主催のイベントが控えているので、これはちょっとまずい。しかも同じ時間に琉球放送でも同じような番組をやるらしい。このことがわかったのは何と前日のことで、我らがマネージャーたる海井がHさんと電話で話していて間違いに気づいたらしい。結局、我々の出演時間をずらすことでOKということになったが、危ないところであった。違う局へ行って右往左往するなどぶざまなことこの上ないし、行くべき局へ辿り着かなかったかもしれないのだから…。
 この晩は那覇の「オープンスペース」でライブ。ぶっきらぼうな作りの店だが、なかなかいい感じだ。日が落ちて夜が深くなるにつれ次第に輝きを増していく空間である。オリオンビールと泡盛が回り、音楽を奏でる側も聴く側もいっしょに盛り上がった良いライブだったと思う。ライブ終了後も楽しい酒の時間が続き、ひとしきり飲んだ後、タクシーで1時間近くかかって日航アリビラに着いたのは、すでに深夜3時を過ぎた頃だった。

1月31日

 1月31日 ゆったりとした目覚め。日航アリビラはいかにも南国のリゾートホテルらしい快適なホテルである。当然ツインしかないのだが、シングルユースで各自1室用意して頂いた。部屋そのものはもちろん、洗面所やバスルームまで実に広々としている。季節柄、エアコンを使わなくても丁度過ごしやすい気候で、快適そのものである。バルコニーのいすに腰掛けてエメラルドグリーンの海を眺めながらビールを飲むこともできる。そこにいるだけで相当充実した気分になれる部屋である。用意してあるパジャマがまたいい。普通のホテルに良く置いてある浴衣は、すぐ前がはだけて機動性が悪いので私は嫌いなのであるが、ここのはセパレートのパジャマで質感も良くおしゃれな上に、いたって着用感も良かったので、余程買って帰ろうかと思ったが、なるほど高かったので買うのはやめにした。
 打ち合わせを兼ねた昼食を済ませると、再び夕方まで自由時間ということなので、少し外へ出てみた。少し風が強いが見事な晴天で、過剰なほどの陽光が全てのものの色彩を鮮やかに浮かび上がらせている。プライベートビーチに降りてみた。白い砂とエメラルドグリーンの海とはよく言ったもので、まったくその通りである。自分にとっては、やはり日常生活とかけ離れたリゾート地以外の何物でもない。まったく贅沢な空間である。同じ非日常といっても例えば、漁船とクルーザーは全然別のものであるが、ここの海岸を船にたとえるなら紛れもなく後者であろう。
 そうこうするうちに、時間が来たのでサウンドチェックを始める。40人ばかりの小さな会場だが、五百人のホールでもいけそうな大掛かりなPAを用意してもらったので気持ちが良い。別段、大きな音を出すわけではないが、余裕があるので楽器ごとに理想的な音が得やすいのである。サウンドチェックが終わると一度引き上げて、8時ごろから本番が始まった。百万円ツアーのお客さんを中心に、当日アリビラに泊まり合わせた人たちも合わせ、会場は一杯になった。JALの若いスチュワーデスさんが司会をやってくれたのだが、慣れていないようでずいぶん緊張していた。お客さんの中に銀婚式を迎えたご夫婦と、当日誕生日を迎える方がいて、コンサートの中程でお祝いのセレモニーをするべしということになり、司会も絡んだ段取りがあるので、彼女がうまくやってくれるかどうか心配していたのだが、リハーサルのときと違い本番では何とかスムースに運んだように思う。昨日のYさんや、オープンスペースのマスターたちもわざわざ来てくれたので、演奏後そのまま皆でひとしきり飲み、お開きになり部屋に戻ったのはやはり3時頃だったように思う。
 部屋に戻って窓をあけると「夜気に触れるとき」ではないが、外の空気が実に心地よい。海のほうを見ると、真っ暗な中に懐中電灯のような明かりがいくつかチラチラと光っている。想像するに、潮の引いた岩場で誰かが蟹か貝を採っているのだろう。暗闇の中に動くその明かりを見て潮騒の音を聴いていると、ふっと昔のことを思い出した。大学生の頃、ある女の子と二人で肩を並べて、夜の海に浮かぶ烏賊釣り舟の明かりを眺めていたことがある。甘美な思い出の一つでもあるのだが、今から考えれば頗る不器用だった私の救われない姿を思い返す一コマでもある。窓を少し開けたままベッドに横たわり、潮騒の音を聴きながらいろいろなことを考えているうちに、いつのまにか眠り込んでしまった。

2月1日

 再び、ゆったりした目覚め。昨夜、窓を開けたまま寝てしまったが、温暖な気候のため身体もリラックスして調子がいい。今朝はチェックアウトして那覇へ移動するので、早々に荷物をまとめ出発の準備を済ませ、残りのわずかな時間を満喫すべく、窓辺のソファーにすわり、バルコニー越しに海を見ていると妙な感じに見えてきた。ホテルの白い建物と庭の椰子の木の横に海が見えるのだが、その海が、まるでそこに湧いているように見えてきたのである。うまく言えないが、地球の表面に水をたたえた部分があって、それがホテルのすぐ横に迫っているという感じである。それは実際その通りのことなので、別に不思議がる必要はないに違いないが、私にとってはちょっと心動く、新鮮な体験だったのである。久々に刺激を与えてくれる風景に出会い、良い気分でアリビラを後にした。
 さて、この後三日間は那覇泊まりである。タクシーで那覇入りすると早速チェックインして遅い昼食をとった。琉球放送が用意してくれたホテルは、パレスオンザヒルというところで、これも良いホテルであった。聞くところによれば那覇で一番いいホテルだという。繁華街から少し離れた丘の上にある、地味だが質実な感じのホテルである。今回の旅行は本当にホテルに恵まれている。ここも広い部屋で、ゆったりと過ごすことができた。
 一息ついてから時計を見ると、夕方までまだ時間がある。新しく買って履いてきた靴のゴム底がはがれてきていたのが気になっていたので、接着剤を求めて街に出た。ご存知かもしれないが、こういう場合はゼリー状の瞬間接着剤が最も望ましいのである。どこにでも必ずあるというものではないので、この不案内な街で、一体何分かかって手に入れることができるだろうかなどと思いながらホームセンターやコンビニ、釣具屋などを目指して歩き回った。気温は24度を超えているということで、夏さながらの蒸し暑い天気である。上着を取っても汗ばんでくる。結局、45分ほどで目的のものを手に入れることができた。
 ホテルへ戻り靴を修理し終えた頃、雨が降ってきた。フロントに頼むと、ホテルの格に見合わない意外なほど汚い傘を貸してくれたので苦笑しつつ、それをさして琉球放送に出向いた。三日の仕事の打ち合わせと、ラジオ出演のためである。Hさんは私の大学時代の同級生で卒業後一度だけ会ったことがあるが、その後すでに十年近く会っていない。今回久しぶりに声を掛けたわけだが、本当にこころよく迎えてくれた。彼は、糸満市内の結婚式場の記念イベントとして五百人規模のコンサートをセッティングしてくれた。現地に着いてからわかったことだが、我々の前座のような形で沖縄マンドリンクラブの人たちと、その指導者でもある二人のギタリストの方々も出演するらしい。その人たちと、琉球放送のアナウンサー、そして我々が揃い、Hさんの司会でミーティングが始まった。問題なく順調に進む。Hさんが国文学専攻卒の意地にかけて書いたという我々の紹介文もアナウンサーともども確認する。大航海時代、世界に乗り出していったポルトガルと、やはり偉大な海洋国であったかつての琉球王朝を関連付け、従ってマリオネットがここ沖縄で必ずや受け入れられるであろう、という文脈である。しかしそれはマリオネットの全てを表しているわけではないので、付け加えることがあれば言ってほしいと言われたのだが、あまりにも明確なひとつの世界を提示している文章なので手を入れる余地が無く、一同感服すると共に、それで行こうということになったのである。ミーティングは順調に終了し、我々はラジオ出演のためスタジオに向かった。15分ほどの生番組で、「ユーラシアン狂詩曲」のCDをかけてもらい明後日のコンサートの宣伝をした。番組終了後、H君と明日の晩一緒に飲む約束をして、その日はお開きということになった。

2月2日

 この日は1日中フリー。昼は昼で人と会い、夜は我々三人とHさんで、初めてゆっくり酒を酌み交わすことができた。沖縄料理屋に連れて行ってもらいゴーヤやミミガーなどをつまみながらオリオンビールと泡盛で一通り出来あがった後、次は歌手の海勢頭豊さんのお店に案内してもらった。繁華街の真中にあるそのお店はかなり広く、正面に小さなステージがしつらえられている。悪い言い方だが、ちょっとさびれたラウンジのような感じである。ふわふわの赤いソファーに腰を下ろすと、めがねを掛けたトレーナー姿の女の子が注文を取りに来た。ライブはまだ始まってなく、ほかの客の姿も見当たらない。海勢頭さんが到着次第ライブが始まるらしいので我々4人で飲みながら待つ。Hさんのお薦めは、先程のめがねの女の子らしい。彼の説明によると、彼女も歌うらしく、何でも、歌い出すとまるで何かがとりついたように急に活き活きとして魅力的になるらしい。それは、是非見ないわけにはいかない、と期待して待つこと数十分、ようやく海勢頭さんが到着してライブが始まった。ギターを弾きながら彼自身も時々歌うが、主に、めがねの子ともう一人の子が簡単なパーカッションなどやりながら交代でメインヴォーカルをとるスタイルのようだ。因みにめがねの子は、めがねをはずしているので既にめがねの子ではないが、実際Hさんの説明どおり、にわかに精彩を放ち、先程と人が変わったようである。水を得た魚のように、実に楽しそうに歌うその姿は、ちょっと胸をくすぐるものがある。歌はどれも海勢頭さんの曲のようである。琉球調のメロディーのものや歌謡曲のようなものもあるが、全体的に独特な世界を作り出しており、カテゴリーの不明な音楽である。一体、どういう人たちに支持されているのだろう。また、彼女たちが一体どういう経緯で、こうやってこの店で歌うようになったのだろう、などと考えると不明なことがたくさんあるのだが、何はともあれ充分楽しむことができた。
 その後もう一軒行こうということで、島ちゃんのいるジャズのライブハウス「寓話」へ向かった。島ちゃんは、以前ジャンジャンの仕事で共演したことのあるベーシストで、ちょっと普通の人ではない。非常にアーティスティックな人で、人間も演奏も何やら魅力的なのである。腕は一流だが、ブッ飛んでいるので、突然曲の途中で炸裂するような演奏を始めてしまったりするし、話していても、通訳が必要なくらい何を喋っているかわからないので当時驚いていたものだが、今回もそれは変わっていなかった。ライブが終わり閉店になったので、店を出てHさんと別れた。既に2時を回っていたが、オープンスペースへ顔を出す約束をしていたので、次はそちらへ向かう。行ってみると驚いたことに、そんな時間なのにまだ数人のお客さんが飲み続け、私たちを待ってくれていた。何時に行くと決まっていたわけではないが悪いことをした。それから1時間ばかり皆で飲んで、その後ようやくホテルに戻り、長い夜に終止符を打つべく即座に眠りに就いた。

2月3日

 この日は昼から仕事が始まった。初日に我々の演奏を聴いたYさんが、いたく気に入ってくれて、彼の教える美術コースの高校生を集めるので是非演奏しに来てほしいという依頼を寄せてくれた。当初は予定になかったことで、ほんの二日前に急遽決定したのである。それで、この日少し早起きして某高校へ出向いた。
 コンサート終了後、一度ホテルに戻ると間もなくHさんの車で再び出発し、今度は糸満市に向かう。会場は少し郊外にある立派な結婚式場である。到着後、一息ついてからサウンドチェックのためステージに上がった。そうとう広いホールである。本当にお客さんが一杯になるのだろうかと少し不安になる。基本的にこの結婚式場のPRのためのイベントなので安い料金で若い人たちにもたくさん来てもらおうということで、コンサート前には別の部屋でバイキング形式の食事も出るらしい。お得なコンサートには違いない。サウンドチェックが終わりいよいよ開場すると、果たして雨にもかかわらず大勢のお客さんで賑わい出した。しかし我々の前にギターソロと沖縄マンドリンクラブの演奏もある長い会である。今度は、皆飲み食いするだけで帰るのではないかと心配になるが、結果的には予想以上の満員で、良いコンサートになった。
 全て終了した後、再びHさんの車で那覇に向かった。昼夜で2ステージを済ますと、どっと疲れが出てきた。しかし、今からギタリストのSさんのお店で打ち上げがあることになっている。先程、沖縄マンドリンクラブの人に「打ち上げでも弾いて下さるんですか」と聞かれたことを思い出して、一段とぐったりして「もう弾けへんよ。普通はそんなことせんやろ」と投げやりに言っていたのだが、店に着いて飲み始めるとまただんだん元気になってきた。誰かのマンドリンを渡されると、さっきまであれほど嫌だと思っていたのにミュージシャンの哀しいサガで、思わず嬉々揚々としてマンドリン古典曲の名曲オンパレードをはじめてしまった。「やはりこれだけの礎があって、あれだけの演奏が出来るんですね」などと感心されると調子に乗って更にいろいろと弾いてしまったが、皆喜んでくれたようなので嬉しかった。それらの曲は、演奏するシチュエーションを誤ると受けないばかりか、場の雰囲気を台無しにしかねないのである。私の知り合いが昔、会社勤めしていた頃、忘年会でカラーチェの前奏曲2番という長くて暗い曲を弾いたところ、すっかり座が白けてしまったという話を聞いたことがある。その場合は「そりゃそうだろ」と思うが、実際多少なりとも興味を持って聴いてくれる人がいないと難しい場合は多い。今回、彼らはマリオネットのことを知っていてくれたようで、我々の写真が表紙を飾った「現代ギター」もお店に置いてあった。後で聞いたところでは、この日の仕事は彼らの後押しや協力があって実現したといっても過言ではないらしい。本当に嬉しく有難いことである。また、話は変わるが沖縄にはもうひとつ、マンドリンアンサンブル「響」というグループがあって、こちらのほうは初日のオープンスペースの集客に一役買って下さったらしい。見知らぬ土地へ行っても、そこで同じ楽器を弾いている人たちの好意に触れることが出来て幸せである。改めて皆様に深く感謝の意を申し上げたい。
 振り返れば今回は、改めて沖縄という芸能文化の息づく土地柄に触れることが出来たような気がする。熱く、人間味のある人々と毎夜、共に音楽を楽しみ、酒を酌み交わすことができて嬉しかった。面白いことであるが、沖縄の夜にはリスボンの街を思い出させるものがある。夜が遅いことと言い、街角に音楽が似合うことと言い、共通点が多いのではないだろうか。そういう環境が、美しい自然と共に是非、大切に維持されることを祈っている。多くの方々とまた遠からず再会することを約束して、ついに最終日もお開きとなった。

 さて、かくして我々の沖縄遠征は無事終わり、翌日、我々三人は空港でHさんのお墨付き、ウミヘビの粉を買った後、沖縄の気候と泡盛でほぐれきった身体を飛行機の小さな座席に埋め大阪への帰路についたのであった。

(註1) JALストーリーの企画で国内旅行の高額商品。石垣島から北海道まで国内の名所を2週間で回るツアー。毎回16人限定。行き届いたサービスで最高の贅を尽くした旅をしてもらおうというもの。実際の参加費用は、一人140万円程度かかるらしい。