マンドリン・パースペクティブ


(マリオネットサークル会報 Vol.5 に掲載/95年)

 
 今年に入ってから、やれ地震だ、サリンだ、円高だとロクな事がない。特に阪神大震災に関しては極めて身近に起った災害として差し迫った危機感を覚え、震えおののいた。対処しようのない恐怖と不安、無力な自身に対する自己嫌悪…。言葉には尽くせないが、やり場のない心の動揺に苛まれた。事後既に3ヶ月余り経ち、復興の兆しも見え始めると共に、喉もと過ぎれば何とやらという感じで自分の中で「過ぎ去ったこと」の中にカテゴライズされつつあるが、何分処理しきれないことなので、ずっと気分の重さとして尾を引いている。
 今回なかなか筆が進まなかったのは他でもない、その為である。知人が亡くなった。知り合いの家が全壊した。家のローンが残った人がいる…。全部で5千人以上亡くなった大惨事である。自分自身は幸い無事であったものの、そんなものを目のあたりにした直後につまらないことを書く気にならないのである。しかし考えてみれば、それに匹敵する深刻な出来事は世界レベルで見れば絶えず起っているわけであり、もともと人間存在の持つ宿命として潜在的にそのような惨事は内包されているといってよい。ただ、それを目のあたりにし、身体感覚として理解するところで単なるイマジネーションの働きを超えた切実な打撃を受けるのである。しかし、いってみればそういう認識の有無にかかわらず、やはり私はマリオネットのCD発売の事を問題にするであろうし、私の身の回りのささやかなことについて語ることをやめないであろう。私だってもともとダテや酔狂で自分の人生を歩んでいるわけではないのだ。

 さて、前置きが長くなったが、とうとう我々マリオネットのCD第一弾が発売になった。自分たちのオリジナル作品が自己満足ではなく商品として流通に乗ったわけである。(実際に売れるかどうかは知らんが)今まで我々の活動を様々な形で支えてきて下さった皆様に改めて感謝の念で一杯である。同時に私の偉大な相方、湯淺にも特別の感謝の念を表さねばならない。実際ここまで来れたのは彼の力、そして付け加えるならばポルトガルギターの力であるといって過言ではない。合掌。

 ところでいま「ここまで来れた」と書いたが、一体「ここ」とは何処なのだろうか。かつて私がドイツの音大を卒業して帰国したときに「もうこれで左うちわですな」と言った笑止千万な輩がいたことを思い出すが、CDが出たといってもやはり「安泰」などとは程遠い。いわば今まで背中にしょって売り歩いていたものが小売店に並んだということに過ぎない。ギターやマンドリンを抱えて世を渡ってゆくことの大変さを改めてひしひしと感じるばかりである。とはいえ節目は節目。今までの道のりを振り返り素直に祝杯をあげ、今後の事を前向きに考えてゆこうと思っている。
 私自身の関心からいってもマリオネットの音楽はポルトガルギターとかマンドリンといった楽器のわくで括ってしまうべきものではないが、ここではしばらく、あえてマンドリンに限って話を進めてみる。
 先日、北摂のタウン情報誌・バーズアイに我々が連載している「マリオネットがゆく」の中でマンドリンの無念を書いた。「思えばマンドリンは、その故郷ナポリという地域性から抜け出たものの、都会の主流にはなれず、そのはざまを彷徨っているのかもしれない…氤つまり世界に広く普及したものの決定的な地位を獲得するに至っていないということであるが、仮にこれを自分自身にあてはめてみるとどうだろう。「思えば(マンドリン弾きとしての)私は、(マリオネットの活動の中では)ルーツとなるべき様々な音楽ジャンルに帰属せず、そこからある程度自由になったものの、その表現が時代の王道をゆくものには成り得ていないのでくすぶっている」ということにでもなろうか。その私自身の無念は単に私の力不足、修業の不足によるものかもしれないが、もともと私の中には一本筋の通ったストーリーはない。つまりこういうことだ。例えば「マンドリンが好きだ。イタリアだ。イタリアへ留学だ。イタリアの音楽を究めるぞ」という一貫性はないのである。実際「私はマンドリンが好きだ。プログレだ。ブルーグラスだ。ドイツ留学だ。フランスのマンドリンがいいぞ。マリオネットだ」とい うストーリーをたどっているのである。このストーリーは私自身の中では自然なことで、従って現在のマリオネットとしての活動は私自身が望んでいたことの具現である(但しこれで充分食えればの話である)。仮にこのチグハグさが、安易な典型を回避すると共に意外性のある高度な融合に到達すれば私の夢も実現するに違いない。しかしまだもう2・3歩先へ進まねばという感じである。

 今回幾つかの専門誌に我々のCD評が載せられたが、なかなか面白い。基本的にはそれぞれの立場の人がそれぞれ言いそうなことを書いてくれている。我々にしてみればピントのずれたような評もあれば、かなり鋭い評もあった。個人的な感想を言えば「ラティーナ」の高場将美氏による評が、我々自身が感じているニュアンスをかなり正確に受け止めてくれているように感じられた。その他には、どう聴こうが人の勝手であるが「ぽるとがる幻想」というアルバムタイトルにとらわれてか「全体にポルトガルの曲調を生かし…」などと書かれているのを見ると「へえー、ポルトガルの曲調ってこうだったんだ」と苦笑せざるを得ない。ジャンル分けに関しては「ミュージックマガジン」の中村とうよう氏によれば、我々の音楽はインターナショナルポップでエスニックニューエイジミュージックとなる。こちらも「へえー、そうだったんだ」という感じだ。尤も、この分類は限りなく無意味に近い。「その他」というのと殆ど同義である。ただ、「エスニック」という言葉を聴いて、改めて我々の楽器の属性を思い返し、それらが演奏されるのを見聴きする人々が、全員ではないにせよそこにある種の異国情 緒を見出そうとしているのを強く感じた。確かに「ポルトガル」という看板は掲げているが、その脇に立つ別の看板も従属的にポルトガル色に染って見えるのだろう。そういう目で見ると確かに「マリオネット」はポルトガルの田舎道を荷馬車がゆくような感じもするし、「ふな屋」にしても斜陽国ポルトガルの悲哀を奏でているようにも聴こえてくるから不思議だ。作曲した当事者がそう思うのだから、いわんや他人にとってはである。先程も言ったように、どう聴いてもらおうが聴く人の勝手であるし、適材適所ということで我々の曲が機嫌良く収まる場所が定まればそれでよいのだが、例えば「虎は通ったか?」とポルトガルの関係について一言も語れないという意味において困惑している。従って我々「マリオネット」がワールドミュージックシリーズの単なるひと駒として認識されることへの抵抗はある。むしろ別役実の童話の舞台のような何処かわからないあるところ、あるいはそれこそ地図上で決して見つけることが出来ない「イパルマ」のごとき架空の土地を感じてもらえるような意味での「異国情緒」が漂うバンドでありたいと私は切に願っている。