台風の夜に想う


(マリオネットサークル会報 Vol.3 掲載/94年)

 
 酒のおいしい季節になりました。予定されていた公演が台風のため延びたので、家で独り酒を楽しみつつ原稿を書いています。

 先日の『The Art of Nostalgia』は、皆様のお蔭をもちまして盛況の内に幕を閉じることが出来ました。マリオネットの活動としては初めて自分が旗頭となって行なった企画なので責任重大であり、その責任を果たし得たかどうか、まずは決算を待たねばなりません。内容に関しては、自分たちのオリジナルを中心に打ち出す路線で、マンドリン主体のプログラムが聴衆にどう受け止めてもらえるか、少なからぬ不安を抱きつつ挑んだ次第ですが、今後の課題を浮き彫りにしつつどうにか乗り切ったという感じで、とにかく良い勉強をさせていただきました。

 さて今回、3回公演ということで、初回は緊張による丁寧さ、2回目は馴れによるスムースさ、3回目は終りということによる解放感のあるステージになるだろうなどと考えておりましたが、予期せぬ事は起こるもので、3回目にメインのマンドリンが壊れるという実にむごたらしいアクシデントがありました。
 「ふな屋」を演奏中、背後で「パーン」という大きな音がして、湯淺と思わず顔を見合せました。「ふな屋」を弾き終え振り返ると、私の嫌な予感を大いに上回る結果が待ち受けていました。私が絶句している間に、湯淺が「皆さん、マンドリンが壊れました」とすかさずMC。私はそれを聞きつつ「ああ、マンドリンが壊れたのだな」と確認するように楽器に見入っていました。すぐ気を取り直したものの、内心ではトホホ…泣いておりました。
 私が最近メインで使っているマンドリンは変り種で(実は私のマンドリュートも同じ作者なのですが)フランスのジェラという1932年製の表面板が二重になった楽器なのです。駒が表面板に貼り付けられていて通常と逆の力がかかっているので、それが熱か湿度によって剥がれてしまったのです(これを専門家の間では「駒が飛ぶ」と言い、マンドリンに於いてはジェラ以外には起こり得ない)。要するに、楽器の特殊性に基づく故障ですが、古い楽器にトラブルはつきものです。まあ、それも面白味のひとつと考えるべきかも知れません。わざわざ私がそんなジェラを使うのは、私が変ったものが好きだからということ以外に、音色の特殊性が理由として挙げられます。前回少し触れましたが、マンドリンには普通の(ラウンド)マンドリンと平べったいフラットマンドリンがあり、大雑把にいえば前者は繊細、後者はパワフルです。そしてジェラはその中間的な音色なので、私が表現したい音楽の幅の中でかなりオールマイティに近い存在なのです。
 そんな大事な楽器が壊れて、私がさぞ落胆しているのではと御心配下さっている方、有難うございます。しかし、御安心下さい。マンドリンはヴァイオリン同様、余程のダメージを受けない限り修復は可能です。実際、古いヴァイオリンなど何度も修理され、その都度、駒を変え、ネックを変え、裏板を変え、例えば元ストラディバリがいつの間にか元々の部品が全て交換され、「ストラディバリ」という名前だけが残っているということさえあるのです。私のジェラは名実ともに間もなく直って私の手元に戻ってくる予定です。
 しかし当夜のステージは、後に制作の海井が「お前、あの後の演奏メチャ動揺しとったやんけ」と指摘した通り、私は動揺しておりました。まだまだ修業が足りない。もっと老獪にならなくては―、と反省することしきりです。
 ところで、壊れたジェラのかわりに使ったフラットマンドリンはアンコール用に用意していたもので、1917年製ギブソンのF−4という楽器ですが、これはかつてのニッティーグリッティーダートバンドのジョン・マッキューエンという人が使っていたものが巡り巡って私の手元に来たという代物です。当初、これもプログラム中で使うつもりだったのが、ジェラが手に入り、その方が私の求めるイメージに近かったので出番がなくなり、祟ったのかもしれません。あるいは、ジョン・マッキューエンの祟りかも(まだ死んでないと思うけど)。
 しかし、お客さんはこのアクシデントを結構喜んでくれて、しかもMCで笑いも取れたので、それほど悪い気はしていません。ただ広告スポンサーになってくれた懇意の楽器屋さんが折角ジェラの宣伝をしていたのに申し訳無いような気がします。(私のジェラもそこで買ったもの)丁度その時、その楽器屋さんも来ており、バツの悪そうな顔で楽屋を訪ねてきてくれました。

 何はともあれ、終った終ったという感じです。しかし既にCD録音という山が待ち構えていて気が抜けません。尤も、何も待ち構えるものが無ければ酒も美味くはないことでしょう。それにしても今夜の酒は美味い!
 話を蒸し返すようですが、今回のコンサートはシリアスに決めようと思い、DMも当日パンフも一生懸命書いたのに、湯淺の「推薦文ならぬ推薦文」によってはからずも私の過去が暴かれることになってしまいました。そうこうする内にすっかり更正したと自分では思っていますが、オフィス・マリオネットの同胞達はそう考えていないのかもしれません。確かに私は大学時代、グレーの作業着を愛着していました。独り、ジンもガブ飲みしました。サボテン然り、モヒカン刈りも然りです。ついでに訂正しておくと、作業服姿で間違えられたのは大学生協の職員であり、丸坊主で銭湯へ行った際、子供が私を指差して「あの人はなんで頭を剃ってるの?」と父親に尋ねた時、「あの人はお坊さんなんだよ」と言ったのは父親の方であるということです。まあ、いずれにせよ大差ないのですが…。そういえば先日の2回目の公演に、大学時代の友達と先輩が来てくれて、楽屋を訪ねてくれました。「大学の時も(吉田は)やっぱり変なヤツでした?」という湯淺の問いに、2人が口を揃えて「そりゃあ、もう!」と言ったのには思わずのけぞりました。皆さん、私は既に立派に更正 しております!