『ぽるとがる幻想』録音日記


1994年

10月21日(金) 雨

 午前10時、海井宅に集合しCD録音の為東京へ。今回録音に使用する楽器は予備も含めて7本。とても持ち運びが不可能な為、車で移動となる。交代で運転しながら名神を西へ。滋賀県に入った辺りからだんだん雨足が強くなる。京都まで渋滞するも、後は名古屋迄スムーズに進む。中央道との分岐点で東名とどちらで行くか迷うが、東名を選択。ところがこれが間違いだった。名古屋以東の東名は工事の為断続的な大渋滞。8時間程度で到着を見込んでいたが、結局12時間かかってやっと麻布十番のホテルに到着。この間2回の食事は共にPAでの蕎麦。あーまいった。
 ホテル到着後、近くの居酒屋にて一杯。12時過ぎ就寝。


10月22日(土) 曇り

 午前10時、ホテル1階の喫茶室で朝兼昼食。11時半、録音スタジオ『JAK』ヘ楽器を搬入。ディレクターの阿保氏とレコーディングエンジニアの佐藤氏と共に約1時間の打ち合せ。
 12時半、いよいよ録音開始。まずは録りやすいものをという事で「光の中で」より始める。数テイク録るも、緊張の為かうまく演奏が決まらない。出だしでつまずき、スタジオ内に緊迫したムードが漂う。やむなくあきらめて2曲目「EmのFado(ぽるとがる幻想)」へ。指ならしの後に本番。演奏への感情移入がうまく行き、1テイクでOK。一挙に緊張が溶けて和やかなムードに変る。続いて再び「光の中で」に挑む。今度はすぐにOK。いまさらながら、ちょっとの事でこんなに演奏が変るものかと驚く。
 3時半頃、阿保氏、急用の為退席。続いて「海」「コインブラ(ポルトガルの四月)」と順調に録音が完了。この間、原澤氏(ジュンアンドケイ)、小澤社長(小澤音楽事務所)入れ替わりで顔を出す。
 6時頃終了。ホテルへ戻った後、焼肉屋で夕食。食事後は3人でパチンコヘ。湯淺・吉田2千円ずつ負けるが海井が千円で1万円を出し、その資金でショットバーで一杯。12時過ぎ就寝。


10月23日(日) 晴れ

 午前11時、朝食兼昼食にホテル近くの大衆中華料理店へ。湯淺・吉田は野菜炒め定食、海井は五目煮込みライス定食を注文。まあまあの味。
 12時15分、スタジオ入り。指ならし後、13時より録音スタート。この日はマンドリン中心にという事でまずは「虎は通ったか?」(CD未収録)より始める。吉田、イントロのハーモニックスで躓くもその後は順調、課題のマンドローネによるベースも2テイクでOK。
 午後2時「夏の終わりに」開始。ところがどうしてもノリがつかめず苦戦。2テイク録るもうまく行かず、曲を変えて「シャンソンカフェの夜(RuRu)」にトライ。2テイク目でOKが出た後、湯淺にドリンク剤、吉田にはなんとドライシェリーを買出し。
 4時、吉田にアルコールも入り、続いて「マリオネット」。ベースラインを当初の予定と変更し完了。
 5時、「夏の終わりに」に再トライ。今度は1テイクでOK。
 5時半、「道T(ドライブ・アローン)」アルコールの効果もあってかノリ一発でOK。うん、順調!!
 6時40分、もう1曲粘ろうということで「回想」にチャレンジ。簡単に終わると思っていた曲であったが、独特の揺れに合わせてのオーバーダブに苦しみ、8時、ようやく終了。2日間終わって順調に曲数をこなし、良いムードが漂う。
 途中で顔を出された小澤社長に連れられて、阿保氏・佐藤氏と共に中華料理店「登山廊」へ。ニラソバ非常に美味なり。


10月24日(月) 晴れ

 午前11時、前日小澤社長から聞いた日本蕎麦屋「更級堀井」へ行く。麻布十番界隈には“更級”と名の付く蕎麦屋が3軒あるが、ここが一番良いとの事。3人とも“かき揚げザル”を注文。蕎麦つゆは甘口と辛口2種類あり、蕎麦もかき揚げも美味。昼食後表へ出ると見慣れたセルシオが店の表に止まる。気になって見ていると小澤社長が出てくる。挨拶してホテルへ戻る。
 12時半、スタジオ入り。1時より録音開始。まずは「私は知っている」(CD未収録)から。順調に完了し、2時20分、「小組曲・ふな屋」開始。各パート毎にバラして録るが、最初のパートのオーバーダビングの際、テンポの問題でつまずき、かなりの時間を要する。5時、ようやく「ふな屋」終了、ブレークを取りドリンク剤と鯛焼きを買出し。このタイ焼、スタジオ近くの老舗の鯛焼き屋「浪花屋」のもの。結構有名との事。皮がパリッとしていて餡も多くなかなか美味。
 5時半、「旅路の果てに」開始。表現・アレンジの問題等でしばし議論。疲れもあり重苦しいムードが漂う。何とか意見をすりあわせて録音を完了。8時過ぎ、スタジオを出る。
 ホテルへ戻った後、六本木の「グレース」という店へ。田代氏と待合わせ。田代氏は「まんが日本昔ばなし」を作っているアニメ制作会社・グループタックの社長、我々は常田富士男さんの紹介で知りあい、タックで制作したアニメ映画「パッチンして!おばあちゃん」では音楽の仕事をさせて頂いている。久々の顔合わせで大いに盛り上がる。この店、田代氏の行きつけだが、大変高級。蟹やステーキ、高級な洋酒を満喫する。この日田代氏より、現在制作準備中の映画の音楽担当の打診を受ける。現時点ではまだ未決定なので公には出来ないのだが、是非決まってほしい。
 12時頃、田代氏と別れてホテルへ戻る。少々停滞した録音現場の雰囲気のウサ晴しとなる楽しい夜であった。


10月25日(火) 晴れ

 午前11時過ぎ、フジパシフィック音楽出版の高山氏がホテルへ訪ねてくる。高山氏は日本マンドリン連盟の方でもあり、今年、マンドリン本邦渡来百年記念のCD企画などをされた。マンドリンの縁で吉田と知りあい、今回の録音の陣中見舞いに来られたのだ。「更級堀井」で昼食を共にし、12時半頃スタジオへ入る。
 1時前、録音開始。「南蛮渡来」より。曲頭の部分のアレンジで苦しみ、苦戦。この部分、阿保氏のOKが出るまで2時間を要する。
 4時20分「イパルマの空」。数度テイクを重ねてOK。ところで今回の録音ではオーバーダビングを用いてベースを重ねたり、他の旋律を重ねたりという作業をほとんどの曲で行なった。要するに2人だけのライブなどでは出来ない録音ならではの音作りである。この「イパルマの空」でもベースを入れることを試みたがうまく行かず、試聴の結果、入れるのをやめにする。
 6時、「出航の時」。オーバーダビングが多いので時間がかかるが、問題はなく終わる。
 8時、スタジオを出てホテルへ戻る。夕食は韓国家庭料理「鳳仙花」へ。さすがに辛いものも多いが美味。夕食後パチンコへ。今回は湯淺が大当りを2回、1万1千円の勝ち。他の2人は2千円ずつの負け。湯淺の奢りでショットバーへ。散策の末、安くてよい店を見つける。


10月26日(水) 曇り

 午前11時、人形劇団プークの井上さんと長谷さんがホテルへ訪ねてくる。プークは今年夏に「ぼちぼちいこか」という人形劇に音楽をつけさせていただいた関係。近くの喫茶店で、来年の秋頃予定の大人の為の人形劇(早坂暁/脚本)への出演の件で打ち合せ。
 11時40分、食事へ。「更級堀井」へ行くも定休日の為、やむなく近くの食堂へ。湯淺は玉子丼、吉田はシューマイ定食、海井は魚フライ定食を食べる。玉子丼は醤油の味がきつく、湯淺あまり食べれず。
 12時半、スタジオ入り。指ならしの後、1時、録音開始。予定されている録音曲目は「難船」を残すのみ。出来るだけ早目に仕上げて、何曲かでもトラックダウンの作業に入りたい。しかし予定されていた曲の中で最もアレンジが複雑で作業がややこしいため、難航が予想される。まずはベーシックトラックの録音から始めるがなかなかうまく行かず、時間を要する。4時過ぎにようやくベーシックが終了し、ポルトガルギターのリードの録音へ入る。この時点で吉田は全ての録音を完了、後は湯淺だけの孤独な作業。まずはイメージをつかむためにテスト録音。全体像が浮び上がったところで、アレンジの効果や曲の長さ、表現などで問題が生じ、しばし議論となる。とは言っても既に長時間かけてベーシックを録り終えているため、大筋の変更は不可能。とりあえず表現を重視して通しでリードを入れることにする。湯淺、感情表現が格段に上がり、テイクを重ねるごとに良くなる。結局5テイクを録り、その中から良いテイクを選択して使用することにする。結局1曲の録音に丸々1日を要し、8時に終了。予定されていた録音はこれで全て完了した。
 ホテルへ戻り食事に出る。魚料理と地酒の店「富ちゃん」へ。色々な魚の刺身などが少しずつコースで出て、その後で頼んだ一品料理が出るというシステム。味は大変良い。特にブリのカマを頼んだら大変な大きさとおいしさで驚く。値段がよく分らず心配だったが、1人9千円程度、結構お得な値段でほっとする。食後に3度び、パチンコへ。今回は吉田の番かと思ったが全員そろって打ち死に、残念。


10月27日(木) 曇り

 11時20分頃、食事に出る。湯淺、明け方から寒気がして熱っぽいとの事。途中、薬局で風邪薬とユンケルを買って「更級堀井」へ。
 12時頃スタジオ入り。今日からトラックダウンの作業。各トラックに録音された楽器の演奏の音質・レベル・定位の調整などを行なう作業だ。1曲目の「光の中で」から始める。CD全体の音の傾向を決定する必要の為やや時間を要するが、2曲目以降は順調に作業が進んで行く。湯淺の体調は結構悪い。体温計を借りて熱を計ると37度8分ある。その後、薬の効果か多少下がるが、かなりしんどそう。
 午後4時頃、りりィとマネージャーの竹内さんなど計4名、スタジオへ訪ねてくる。浪花屋の鯛焼きとみかんを差し入れてもらう。12月31日のラジオ収録の件で打ち合せと雑談。
 午後8時頃になると湯淺の熱が38度まで上がる。9時、13曲目の「旅路の果てに」の方針だけ打ち合せて、湯淺のみ先にホテルへ引き上げる。この曲は結局てこずり、ダウン終わった時点(何と11時)でこの日は終了とする。
 吉田・海井2人で焼肉屋で遅い夕食。その後ショットバーで一杯飲って、12時過ぎホテルへ。長い1日であった。


10月28日(金) 晴れ

 午前11時20分頃、食事に出る。湯淺の熱は下がったようで安心する。この日も「更級堀井」へ。すっかり蕎麦にはまってしまった。 12時頃スタジオへ向かう。スタジオへ着くと、ビルの前で阿保氏が困惑している。何事か訪ねると、スタジオに誰も居なくて鍵が掛かっているらしい。本社には既に電話連絡して社員が鍵を持ってこちらに向かっているとの事。4人でしばらく待つ。しばらくして湯淺が中に電気がついているのではと不信を持ちドアを捻ってみる。何と扉は難無く開いた。スタジオの扉はロックががっちりしているため、阿保氏が勘違いをしたらしい。爆笑でスタジオへ入り、エンジニアの佐藤氏も交えて盛り上がる。本社からタクシーを飛ばしてきた社員の方、御苦労様でした。
 12時半頃、残り4曲のトラックダウン開始。順調に進む。「難船」の作業の際、佐藤氏の勘違いで、湯淺のリード部分が違うテイクを読みだしあわてるが、これも御愛嬌。6時、無事に全ての作業を終了する。トラブルも有ったが、予定通りのスケジュールを総じて順調にこなし、かなり満足の出来るレコーディングとなった。
 片付けの後、途中来られた小澤社長や原澤氏など関係者全員で六本木の寿司屋へ行き、打ち上げ。打ち上げがはねた後、湯淺は病み上がりの為引き上げ、吉田・海井は高山氏との待合わせの為、再び六本木へ。深夜3時頃まで痛飲してホテルへ戻る。
 ようやく全てのスケジュールが終了。録音作業は結構こなしているが、この様に長期に渡っての録音は初めて。初のCDということもあり緊張感は相当であった。ホント、お疲れ様でした。