☆ 星くずの”たわごと” 03 ☆   更新日: 2016年06月26日

** 人間の体を作っている原子はずっと昔に爆発した古い星の内奥部で作られた。その意味で人間は星くずからできているといえる。 **
                                                  
To Next Page
                                                   
To Prev Page
                                                   
To BackNumber 
                                                   To Top Page
   

☆ 2016年06月26日 : 陶芸クラブで敗退(3)!

 今週末は、ログキャビンで雨読をと考えていたのですが、またまた晴れに恵まれてしまいました。それで、河口湖町に新しくオープンした”富士山世界遺産センター?”(旧ビジターセンター)に行ってみました。建物や展示物は見違えるようにりっぱになっていましたが、私にはよそよそしく感じられ、疎外感が募るばかりでした。でも中国からの観光客が来ていたので、賑わいがでるかもしれませんね。

 ついでと言っては何ですが、”富士山研究所”(旧環境研究所)も訪れましたが、こちらも相変わらずでした。近くに環境省の”生物多様性センター”があったので、初めて訪れてみました。最初は入所を断られるのかと思っていたのですが、中には展示室などが整備されていました。どちらの施設も、土曜日というのに人は3、4人しかいませんでした。。

 先週に続き、陶芸クラブの内紛に関連して、第3弾のレポートでもしようと考えていたのですが、先週と先々週の私のレポートは会の運営に支障をきたす恐れがあるので削除してくれないかという話がありました。私としては不満があるのですが、とりあえず削除することにしました。今後どうするかはもう少し熟慮したいと思っています。 => 2016.10.03付けで本文を復活しました
ナツツバキ満開


☆ 2016年06月20日 : 陶芸クラブで敗退(2)!

 今週末は、山梨県西南の富士川町の十谷渓谷を歩いてきました。皆さんもどこかわからないでしょうが、私も行くまでは何もわからなかったところです。地図を見ながら、何とか探し当てました。名前の通り、いくつかの渓谷があり、滝がたくさんあり、結構見ごたえがありました。湿気のある岩壁にイワタバコが群生しているのを見つけました。野生のイワタバコの群生を見るのは初めてでしたので、とても感激しました。ウォーキングの間、誰一人会うことはありませんでした。町も宣伝をしているようですが、もったいないですね。

 先週に続き、陶芸クラブの内紛に関連して、GG会員から山中湖村長宛ての教育委員会に対する抗議文を掲載してみます。具体的な内紛状況が分からないので意味不明の部分が多々あるとかと思いますが、GG会員のすごさに驚いてしまいます。
滝(山梨富士見町十谷渓谷) イワタバコ(山梨富士見町十谷渓谷)

                                                => Link: 「GG会員の山中湖村長宛て抗議文」 Page703_2


☆ 2016年06月13日 : 陶芸クラブで敗退!

 今週末もレンゲツツジを求めて東信州をドライブしました。湯の丸高原のレンゲツツジがすばらしかったです。また、高峰高原は2000m程度なのに、いわゆる高山植物が豊富とのことでした。白山イチゲを見つけたときはびっくりしました。美ヶ原や霧ヶ峰の高原もとてもきれいで、さわやかでした。

 以前、山中湖村の陶芸クラブで内紛が起きていることを報告したことがありますが、私はとうとう退会することを決めました。発端は、昨年の8月に、使ってはいけないカラー粘土を使った作品が高温に耐えきれないで溶けてしまい、焼成窯を損傷したことでした。本来、関係者が正直に事実を話してくれれば大きな問題にはならなかったと思われますが、関係者だけでなく、役員にも疑惑が生じ、役員がそれを糊塗しようとして、問題が複雑化してしまいました。
レンゲツツジ(湯の丸高原) ハクサンイチゲ(高峰高原)

 問題が何一つ明らかにならないところで、役員は今年の4月に総会を開催したのですが、ここで役員間の不和と絡んで、前役員Xと元役員Yの二人が共に会長(対外会長と対内会長)になるとうう事態になりました。ところが、このXはとても問題の多い人で、この人には会長になっては困るという会員が集まって、このXを引きずり下ろし、再度Yを会長にすべく臨時総会を開催し、Xの退会勧告とYの会長選任を採決しました(委任状を含めて多数の会員の同意を得ています)。クーデター発生!さあ大変だ!クラブは二つのグループに分かれ、正当性を争うことになってしまいました。

 私はYを積極的に支援しており、13日(月)に第2回臨時総会で議長を務め、かつ役員に選任される予定でした。ところが、おそらくXの訴えがあったのか、村が介入して、過去のことは水に流して、互いに和解するようにという喧嘩両成敗の裁定を下しました。裁定を受け入れない場合は、村としては陶芸クラブを認めないということでしょう。陶芸クラブは村とは直接関係のない独立の団体ですが、”陶芸活動”をやるために、村の施設や設備、備品等を使わせてもらっており、またそれらがなければ成り立たない団体です。ということで、XとYが裁定を飲むことになったという次第です。

 私といえば、いろんな事情があり、今までの経緯を水に流して”X”(その裏に夫が控えている)やその”付随者”とともに陶芸活動をすることはとてもできないので、いさぎよく?敗退することにしました。これが顛末です。参考?のために、私が臨時総会で報告することになっていた(ということはぽしゃってしまった)、幻の?「2015年度”焼成窯破損事件等”の経過報告」を下記に掲載しておきます(人名は略号としています)。

                                       => Link:「事件等の経過報告」Page703_1


☆ 2016年06月06日 : 南信州の秘境?ドライブ

 6月3日、4日と、南信州の秘境?をドライブしました。訪れたところは以下のとおり。喬木村九十九谷、矢筈トンネル(三遠南新自動車道)、下栗の里(日本の里100選)、秋葉街道と遠山郷、天竜村・阿南町、駒ヶ根-しらび平道路、宮田高原、伊那高遠など。

 いくつご存知でしたか。傑作だったのは、駒ヶ根ロープウェイの麓駅であるしらび平への道です。この道は自家用車は通年通行止めで、乗り合いバスかタクシーでしか通れません。ところが、道路で交通整理をしていたおじさんが、何を勘違いしたのか、「しらび平まで行くことができるよ。駐車もOKだよ」と教えてくれました。これはしめたと思い、本来通行止めの道を突っ走りました。途中、乗り合いバスまで追い越してしまいました。
クリンソウの群落(喬木村九十九谷) レンゲツツジの群落(宮田高原)

 しらび平へ着くと、さっそくバスの運転手がやってきて、ここは通行禁止で、すぐに戻るようにと言われました。通行止めはわかっていたので、トイレを利用しただけで、直ちに戻りました。こんな経験は普通はできませんよね。


☆ 2016年05月31日 : 「邪宗門」高橋和巳

 4月26日付けで、高橋和巳の小説「わが心は石にあらず」と「悲の器」を取り上げましたが、今回は「邪宗門」です。文庫本2冊の長編で、当時の価格はそれぞれ260円でした。いいですね!これもおそらく学生時代に読んだものですが、内容はほとんど忘れていました。しかし、読み始めると、内容に引き込まれ、一気に読んでしまいました。

 内容は、ご存知の方もおられるかもしれませんが、戦前の天皇国家による”大本教”に対する大弾圧をベースにした話(フィクション)です。したがって、新興宗教と革命政党の違いはありますが、日本共産党に対する大弾圧と同じようなものです。宗教そのものはナンセンスと考えていますが、多彩な登場人物たちのたいへん重苦しい壮大な話となっています。
富士山とレンゲツツジ(甘利山から) ズミとヤマツツジ(三窪高原)

 ここであらすじを書くわけにもいかないし、また書評を書く能力もありません。ここに弾圧裁判における被告人である主人公の一人、教主仁二郎の被告人陳述(もちろん、作者の創作文です)が大変”痛快”だったので、ナンセンスなところがたくさんありますが、やや長文ながら以下に掲げてみます。

 「裁判長、この裁判は、私どもひのもと救霊会の者にとって重大な問題であるのみならず、ひろく宗教人にとって思想信教の自由にかかわる重大な事件である、と考えます。まず私どもにとって最も遺憾でありましたことは、告発される以前より、何ものの仕わざ、何びとの悪意とも知れず、さまざまの根も葉もなき誹謗が新聞雑誌、流言蜚語を通じてひのもと救霊会に加えられ、罪なき信徒が、あるいは村八分の憂き目にあい、あるいは婚約を破棄され、勘当され、職場で中傷され、馘首されるという事実が相ついだことであります。さらには、いまだ公判のはじまらぬ前、私どもの弁護役をひきうけられた三宅氏宅に脅迫の電話や葉書がとどけられております。天は私せず、法は平等のものであるはずながら、そうした不法行為にたいする訴えを、捜査当局は全くとりあげられませんでした。のみならず当局は、根も葉もない噂を信じて弾圧を決行し、証拠のないままに古雑誌や古新聞をもちだし、重箱の底をほじくるようにして、わずかな表現の欠陥を拡張解釈して、不敬罪治安維持法違反などの烙印を捺したのであります。

 たとえば、武器や金塊の隠匿といううわさが事実無根とわかっても、あっさりと謝罪する度量もなく、それを紙幣贋造なる無根の罪状にすりかえ、いささかの知性あるものならば誰しもが見抜ける未来の予想、しかも予想される破局を避けんとする建設的発言を統帥権の干犯と曲解するなど、すべて予断が先にあって、その予断にひきよせて事実を歪げ、て告発されたのであります。しかもこのたびの罪状の重点であります不敬罪容疑も、すでにこの世になき開祖お筆先にかかわるものが中心であり、私が加えました解説もまた不敬罪にふれるものと検事はみなされますが、死者の言説およびその解説が不敬にわたるものならば、「あまり勝手なことを言うと天皇をやめさせますぞ」と天皇をおどした、さる明治維新の元勲はもちろんのこと、足利義満の「日本国王」の称号、豊臣秀吉の明の国王より王の称号を受けんとした事実、そして現華族たる徳川氏の祖先の皇室圧迫およびその歴史の記述者や解説者のすべてが、不敬罪にあたることになるはずであります。

 小学校の歴史教科書はいざ知らず、仁徳天皇の気高い仁政について知るほどの者は、同時に、安康天皇が叔父を殺してその妻を皇后とし、雄略天皇が臣下の妻を奪い、武烈天皇がほしいままに人民を殺戮せる事実なども知っておりましょう。いや仁慈なる仁徳帝が生前に広大な墓陵を作ったことに対して、つとに新井白石が疑義を提していることもまた知っているでありましょう。あるいはまた近くは大正天皇の不幸なるご病気についても、少しく国事に関心ある者はすべて知っており、しかもそのことを知ること自体、あるいは片言隻句なりとも口外することが不敬でありますならば、事実上おそらくすべての国民が乱臣賊子ということになりましょう。現に裁判長も判事もそのことはご承知でありましょう。」

 「私どもはもちろん宗教家として、神道を神ながらの道として尊重しております。なぜならそれは我々の祖先が、この祖国の自然との長く深い交渉から、そしてまた互いの人間関係の間から産みだした精神の精華であり、とりわけ、人の行いを抜きさしならぬ罪と罰の連鎖ではしばらず、淨と不浄の関係において見、汚れは禊(みそぎ)、祓いなどによって浄化されるとする健全な楽天性、めぐまれた自然の優しさの反映であるその教義を、深く愛するものであります。しかしながら、神道はその本質において氏族的ないしは部族的宗教であり、何びとかの手によってより高次な宗教へと改革発展されねばならぬものと観じます。その方法は、直接それを国家宗教に据えることによってではなく、逆に、個々人の心に深く浸透させ、深く思考されることによらねばならぬと考えます。精神的伝統の尊重されるべきは、個々人の心を通じてであり、国家命令によってではないからであります。

 最近、柳田国男あるいは南方熊楠など、すぐれた民俗学者が、各地にばらばらに伝わる神道の行事や、風習としてとけこんだその精神を調査されておりますが、調査のあとには体系化と換骨奪胎がなされねばなりません。私どもは、その神仏の思想の浄化、崇高化を施行し、そしてはしなくも逆賊の汚名をうけました。昔、プラトンは、自らイリアス、オデュッセイアに伝わる諸神話を尊重しつつも、新たに神話を作りなす現存の詩人たちをその<国家>から追放しようとしました。彼にとって、国家の思惟を担当する鉄人政治家、国家の意思を担当する軍人、そして国家の欲望を代表すると目された一般市民の位階は、永久不変、動かすべからざるものと思念され、あらたなる神話は、子弟に虚像を教えてその位階をゆるがすと目されたからです。新たな神話の作り手は常になんらかの迫害をうけるのは、一種運命のようなものとはいえ、我が国におきましては、国民皆兵、兵士はすなわち農民であり、天皇を除くほかは国民はすべて法の下に平等であるはずであります。

 誰もが<詩人>であってよく、すべての者があらたな神話を作り出す権利を持ちます。しかも私どもはけっして、キリスト教がエジプトの象形文字文化を滅ぼしたように、インドに侵入した回教がジャイナ教徒や仏教徒を殺戮根絶しようとしたように、日本古来の精神文化を否定しようとするものではないのであります。私どもの教義を見ていただければわかります。私どもの教団の、すでに破壊されました礼拝殿を思いおこしていただければわかります。祭祀のみを行って思弁を忘れた神官たちにかわり、救われざる民衆の心になりかわり、先祖の遺産をこの現在に生かそうとしているのであります。

 この現在に生かそうとする以上は、この現実の分析がなければなりません。私どもは現在の諸制度が完全なものとは考えませぬ。私どもは法律においてのみならず経済倫理においても、平等主義を、つまりは等価交換の原理を遵守いたします。一つの労働量は等しき労働量と交換されるべきは当然であるからであります。検事はそれを目して治安維持法違反とされますが、しかし私どもは、他人の財や労力を盗むことを非難したことはあっても、労力にたいする当然の報酬として受けとった財による消費生活の個別性を否定したことなど一度もないのであります。信徒にたいして世間の言うごとく強制的寄進を要請したこともなく、共同の労働に従事しておりましても、古代井田法に類似する各信徒の私有地もあり、高価な生産器具は共有しておりましても、消費財はそれぞれの好みにより享受し、それぞれの生活と感情をそれぞれに豊かにすることをただの一度も否認したことはないのであります。本部員の住居、その生活を実際に見ていただければ、一目瞭然のことのはずであります。

 そして、それらの知恵も、聖徳太子の理想や大化の改新の理想など私どもの先祖の志して果たさなかったことの優れた部分を、この現在に生かさんとしてのことであります。神とは何か。それは祖霊、すなわち先人たちのなさんとして果さざりし心の結晶であります。それゆえに私どもは、その神の意を体し、神の意を受けて、この土地に神の国を築かねばなりません。それが祖先の業績、その富と文化をうけて生活する子孫の義務であります。・・・」 


☆ 2016年05月23日 : 水彩画クラブの仲間たちとスケッチ研修

 19日(木)、20日(金)は、東京清瀬市のスケッチ仲間5人を我が家(ログキャビン)に招待しました。19日は、富士五湖巡りのドライブを楽しみ、翌20日には、山中湖畔で富士山を描き、続いて家の周りから我が家(ログキャビン)を描きました。

 指導者が同行していないので、好き勝手な画となってしまいましたが、皆さん一生懸命に描いていました。天気に恵まれ、皆さんたっぷりと山中湖を楽しまれたようです。






熱心にスケッチする仲間 水彩画作品10: 富士山


☆ 2016年05月16日 : 久し振りの西桂町での花観察

 久し振りに、西桂町へ行って花を観てきました。ひとつはクマガイソウの群生です。10数年前にも観たのですが、保護育成しており、敷地も倍増していました。

もう一つは、数年前に開園された”とうざん園”です。こちらはエビネランが斜面一面に咲いていました。こんなエビネの大群落は初めてで、圧巻でした。そこでは、久し振りにオオバウマノスズクサ(サクソフォンの形をした花)にも出会うことができました。ラッキー!!
クマガイソウ エビネラン オオバウマノスズクサ


☆ 2016年05月10日 : 山本義隆の「重力と力学的世界」

 2月2日の”たわごと”で、”エントロピー”にからんで山本義隆の「熱思想の史的展開」に挑戦しているということを書きました。内容を十分に理解したわけではないのですが、一応私なりにその内容のイメージを得ることができた気になっています。それで、続いて山本義隆の「重力と力学的世界」にも挑戦(再読)してみました。

 内容は、ケプラーの惑星起動の法則から始まって、ガリレイの運動法則、ニュートンの力学、そして最後はオイラー、ラグランジュ、ラプラス等による”解析力学”の形成へと、力学の史的展開が多面的に述べられていました。”解析力学”は私はほとんど学んでいなかったのですが、その力学での位置づけや重要性がよくわかり、私にとっては大発見でした(オイラーやラグランジュは数学者かと思っていたのですが、数学と物理の両方の大天才だったことがよくわかりました)。

 これで、量子力学の学習(今でも何度も繰り返し学習しています)がもう一歩進むのではないかと期待しています。「重力と力学的世界」に乾杯!!
水彩画作品09: 果物(模写)


☆ 2016年05月02日 : ゴールデン・ウイーク前半の出来事

 フジザクラとレンギョウの花が終わり、山中湖もいよいよ新緑の季節を迎えました。GW前半はとても天気がよかったので、ログハウスの壁やデッキなどの塗装、それに煙突のレンガの清掃までやりました。とても疲れましたが、恒例の行事なので、ほっとしています。

 庭で、飛べないキビタキを見つけ、一時保護しました(最初は少し飛びながら逃げたのですが、最後は観念して?動かなくなってしまい、ダンボールに入れました。キビタキは、シジュウカラと同じくらいの大きさで、初夏に南方からわたってくる夏鳥で、山中湖でも時々見かけます。保護したときはしばらく動かなかったのですが、15分ほどで、水を飲み、飛び立っていきました。どうしようかと悩んでいたのですが、こちらもほっとしました。
保護したキビタキ(1) 保護したキビタキ(2)

 もうひとつ、薪棚に米ぬかの袋を置いていたところ、真夜中に何者かがやってきて、袋を破って食い散らしていきました。それで、米ぬかの袋をダンボールの中に入れて、簡単に取り出せないようにしたのですが、相手は味をしめたらしく、次の日の夜も着て、ダンボールを開けて、食い散らしていきました。すごいですねと感心ばかりしているわけにはいかないので、今度は頑丈なプラスチック製の箱に入れて、フックの付いたふたを閉めました。今度はあけられないだろうと思ったのですが、奴はまたまた真夜中の2時頃にやってきて、プラスチック箱をあけようとしました。家内が外の物音に気がついて、外へ出て行ったら、奴は逃げていきました。翌朝状況を調べに行ったところ、ナント、ナント、両側に2つある頑丈なフックの一つが強引に取り壊されていました。ふたには歯?または手?で引っかいた傷が残っていました。いやー、びっくりですね。奴は何者なのでしょうか?シカ君ではないような気もしますが、米ぬかが大好物名動物は誰でしょう?最後には、米ぬかは地下室にしまいこみました。


☆ 2016年04月26日 : 「我が心は石にあらず」高橋和巳

 ここ数年、あるいは10年ほど、読書といえば、物理学や生物学などの科学系の書物が中心で、ほとんど小説などは読まないでいました。ところが、書棚を見ていて高橋和巳の小説が目に留まり、久し振りに読むことにしました。高橋和巳といってもほとんどの人が知らないと思いますが、私にとっては学生時代に彼の作品を読んで、すごく心を打たれたことを思い出します。作品は、「我が心は石にあらず」、「悲の器」そして「邪宗門」(いずれも新潮文庫、一冊250円ほどでした)ですが、”心を打たれた”わりには、内容はほとんど忘れていました。

 最初に読んだのは「我が心は石にあらず」です。内容は、地方の機械メーカーの技術者であり、また労働組合の活動家でかつ組合連合のリーダーでもある、インテリゲンチャが、1960年頃に、ストライキを率いて地方の”総資本”と真っ向から対決し、そして全面敗北となってしまうというストーリーです。日本では、国労のストライキ以来、”ストライキ”という言葉が死語のようになってしまい、現在は内容を理解できない人も多いと思いますが、私にとってはとても重い、重い話です。正直、読まなければよかったかなーというのが第一の感想?です。

 現在は、次の「悲の器」を読んでいますが、70年代「大学闘争」での教授諸君の姿が思い出され、こちらはこっけいな感じを抱いています。
レンギョウ、フジザクラが満開


☆ 2016年04月18日 : 最近の学者先生の活動(2)

 3月14日付けで、安部政権のおかげで突然有名になった慶応の名誉教授小林節(セツ)を取り上げましたが、早稲田の長谷部恭男教授も名前を挙げましたね。彼も自民党に推薦されて国会で証言をするとになったわけですが、どうしたことか自民党の期待とはまったく反対の内容の証言をしてしまいました。傑作ですね。その彼が最近は左翼陣営にもてはやされ、時の人となりました。

 この間も、共産党の赤旗新聞の一面に大きな写真が掲載されていて、インタビューに答えていました。彼の考えは、戦争法案は明らかに憲法違反で、共産党を含めた野党の共闘で戦争法案を廃止にする運動を行おうということのようです。しかし、彼はこういうナンセンスなことも言っております。「安部政権以前の政府は、憲法9条のもとであっても、日本の武力攻撃に対処するための必要最小限の武力行使、実力の保有は認められていると解釈してきたが、私もこの解釈は”常識”にかなうものだと考えています。」

 憲法9条の条文ははっきりと”戦争放棄”を述べています。条件を付けて戦争することは可能とは書いてありません。こういう”常識”が一般の人の常識とずれていることがわかっていないのです。大学教授はご気楽な職業なのでしょうか??
雨中の庭のフジザクラ(今年は早い)


☆ 2016年04月11日 : 今年もサクラを満喫することができました

津久井湖 所沢航空公園    所沢市東川=> 東村山全生園(ハンセン病療養所)にて
御殿場市平和公園 小山町富士霊園 御坂の桃と菜の花(1) 御坂の桃と菜の花(2)


☆ 2016年04月04日 : 毎週末雨(または雪)が降ります

 今週末も、ぐずぐずした天気で、雨が降り続きました。

 私としては珍しく、映画を観てきました(東京の立川です)。タイトルは「エヴェレスト 神々の山嶺」でした。あらすじはありきたりで、どうでもよいのですが、13年前に訪れたカトマンズの賑わい、エヴェレスト街道のつり橋と荷を運ぶゾッキョ、山の斜面に展開するナムチェ・バザールの集落、そしてもちろんエヴェレストとローツェ(世界第3位の高峰)の雄姿などの映像がなつかしく、当時の感動と驚きの記憶が鮮明に思い起こされました。

 当時はまだ若かったのですね。今は老いぼれて、日本の低山を歩くのもしんどくなってきました。もうすぐですね。
エヴェレスト&ローツェ(2003.12) ナムチェ・バザール(2003.12)

 もうひとつ、1か月前ほどに、神田の岩波ホールで「火の山のマリア」という中米グアテマラの映画も観ました。借地で細々と農業を行っている貧しい農業労働者の家族の話で、その控えめな娘の生き方とその娘をたくましく守ろうとする母親を描いていました(と私には思えました)。映画による表現や訴えなどは私にはよくわかりませんが、ただ私にはむなしい気持ちが湧き上がるだけでした・・・・


☆ 2016年03月29日 : 雪が降りました

 26日(土)の朝、雪が2、3cm積もり、せっかく雪がなくなった庭がまた一面真白くなってしまいました。これで今週末は庭仕事ができなくなったとあきらめたのですが、さすが春が近づいているようで、午後には融けてしまいました。ちなみに、この積雪は旭日丘が多く、山中のほうでは積雪はなかったようです。

 雪が融けたので、庭仕事ができました。庭の真ん中にあるオオモミジの大木が弱ってきて、その大枝が枯れてしまい、見栄えもよくないので、ハシゴに乗ってチェンソーで切りました。大枝の直系は20cmくらいありました。ちょっと危険な作業でした。土起こしもできました。

 2日続けて、朝の散歩時にシカの群れに出会いました。じっとこちらのようすを見て、間合いをとり、逃げようともしませんでした。
26日(土)の朝の雪景色 オオモミジの大枝をカット

 26日(土)の夜は、今年初めてのオサカベホームコンサートがありました。かみむら泰一(Sax)、香川裕史(Base)そして宅Shoomy朱美(Piano&Vocal)によるジャズ演奏でした。ソウルというのかフュージョンというのかよくわかりませんが、しっとりとしたジャズをたっぷり3時間も聴くことができました。


☆ 2016年03月22日 : 雨模様の週末でした

 御殿場の岸信介の旧別荘に行ってきました。旧別荘の前には素敵な庭園があり、そこに高級羊羹の”とらや工房”が営業していました。旧別荘はさすがに立派でしたが、あの60年安保条約を強行採決(時計の針を止めてのだまし採決)した人間の別荘かと思うと、複雑な気持ちでした。

 庭作業にも励みました。例年は4月の中旬まで鍬を入れることができないのですが、今年は暖かい雨が降ったためか、土は凍っていませんでした。それで、ジャガイモ用に一部土起こしをすることができました。庭にはカンアオイ(ウマノスズクサ科)が花を咲かせていました。地味な花ですが、すごいパワーですね。

 雪は雨でほとんど融けたのですが、21日(月)の朝方、雪が少し降り、地表がうっすらと白くなりました。春本番にはまだまだのようです。
岸信介の旧別荘(御殿場) カンアオイの葉と花(左上)


☆ 2016年03月14日 : 最近の学者先生の活動

 安部政権のおかげで突然有名になった慶応の名誉教授小林節(セツ)も変わった人ですね。彼は9条改悪に賛成してきた改憲論者で、かつては「1億人を守るために戦争で3000人が死ぬのは”コスト”のうち」などと発言したこともある、私から見れば極右翼の学者先生にしか思えません。ところが、ところが、国会で「安部の憲法解釈は憲法違反である」と証言してから、マスコミに”人気”が出てきたのはご存知のとおりです。

 今では、安部政権打倒、国民連合政府実現を目指して、積極的な政治運動を行っているようで、共産党の新聞「赤旗」でもインタビューに応じ、「共産主義」や「革命」を”擁護?”しています。左から右への”転向”は珍しくはありませんが、右から左への”転向”は、私は知りません。まあ、えらい学者先生なのであまり期待はしていませんが、彼の動向をちょっと注視してみたいと思います。

 もう一人の偉大なノーベル物理学賞を受賞した京大の名誉教授益川敏英もユニークな人ですね。彼の著作「科学者は戦争で何をしたか」を購入して、読んで見ました。彼は名古屋大の坂田昌一(故人)を我が師と仰ぎ、坂田の遺志を引き継いで、平和運動に積極的に係っていたようです(ノーベル賞を受賞したおかげでマスコミに取り上げられるようになりましたが、それまでは私は彼をまったく知りませんでした)。若い時は、大学の労働組合で活動し、反戦運動にも参加していたとのことです。

水彩画作品08:マチス(模写)
 著書の内容は、立派ですがありきたりの意見がちりばめられており、とくに注目するようなことはありませんでした。彼も新聞「赤旗」のインタビューに応じていました。しかし、湯川秀樹や坂田昌一らのインテリゲンチャ(物理学者)の”平和運動”は、否定はしませんが、私にとっては偉い一部の先生方の”免罪符”活動のように思えて、共感することはあまりありません。天邪鬼でしょうかね?


☆ 2016年03月07日 : 春が近づいてきたようです

 家の庭の雪がすっかりなくなって、久し振りに畑の黒い土が顔を出してくれました。畑が早く耕してほしいとささやいている?のが聞こえるようですが、まだまだ下のほうの土は凍っているはずです。それで、土起こしの代わりに、冬の間に落ちた大量の枯れ枝を集めたり、鹿の食害を防ぐためのネットを張ったり、巻き割などをやりました。久し振りの庭仕事で結構疲れましたが、戸外で体を動かすのは爽快な気持ちとなりますね。

 久し振りに、大工仕事もやりました。左の写真が作品です。最近購入したエスプレッソ・メーカーを置く棚です。1x4の板だけで作りました。約1日かかってしまいましたが、まあまあの出来栄えと?なりました。

 自動車免許の更新に行ってきました。私の右眼の視力は0.1程度でほとんど見えず、左眼が0.6または0.7程度です。ということで、7、8割りは更新できないと覚悟して行きました。ところが、視力は左眼および両眼ともに0.7でクリアしました。しかし、右眼が0.7以下なので、視野検査(150度の範囲)を受けました。左側は問題なかったのですが、右側の視野が狭かったようで、”見えません”と言ったところ、検査官が助け舟を出してくれて、かろうじて合格となりました。警察官(中年の婦人警察官)にもやさしい人がいることを実感しました。おかげで、これからもQOL(Quarity of Life)を送ることができることになりました。感謝!感謝!の一日でした。 


☆ 2016年02月28日 : 新聞メディアの戦争責任?

 昨年、2015年12月2日付けの「なぜ戦争協力の道へ」という記事です。そこの冒頭で、次のような問題設定がなされています。「かつて日本が戦争への道を進んだ時代に新聞は何をしたのか。当事者の記者たちは戦後どんな思いを抱いて生きてきたのか。そこからくみ取るべき教訓は何か。安保法制が成立し、再び戦争と平和が問われるいま、改めて考えたい。」

 朝日新聞社史では、自社の歴史に”大きな汚点”、すなわち”真実を報道し言論の自由を貫く伝統を守れなかった時期があった”と記されているそうです。すなわち、1931年の満州事変(侵略戦争というべきものです)で、今まで軍部を批判していた朝日が社論を大きく転換させ、軍部の問題行動を追認したのだそうです。この後、日本はアジア諸国への侵略戦争の時代に入っていったのはご存知のとおりです。

 朝日新聞は敗戦直前まで国民に「一億特攻」を説いていたが、敗戦を切っ掛けに反省の弁を社説に掲げるようになったが、戦争報道を総括的に検証するのに40年以上もかかったと記されています。
水彩画作品07:港(模写)

 記事の中で、元朝日の記者(現在は大学教授)が「私の認識として、朝日がなぜ戦争協力に至ったかの自己検証はこれまでなかったのではないか。戦争を経験したOBの影響力も大きく、自らの過ちに向き合わなかった。」と第三者のような解説をしています。また、「戦争当時の記者の多くが”置かれた状況の中で一生懸命やった”と話した。後世から見ても、一度戦争に突入してしまうとメディアは流れに逆らえない。戦争になる前に止めなければならない。」とも述べています(自身はどう行動したのでしょうか?)。

 また、あるジャーナリズム論の名誉教授が、次のような”評論”をさらりと述べています。「終戦直後の新聞界では”戦中は言論統制で仕方なかった”という認識が支配的だった。当事者が現役のうちは問題を先送りにするという日本企業的な体質により、戦争報道の検証は遅れた。40年たち、朝日はじめ各社は検証に取りかかったが、メディア全体としていまだに十分ではない。ジャーナリズムは個人の良心の仕事だという痛切な自覚がないと、同じ過ちを繰り返すことになる。」 とても立派な評論ですね。

 しかし、現在の新聞メディアは、侵略戦争報道をどう検証し、評価しようと、戦後から現在まで一貫して同じ過ちを繰り返しつつあるということではないかと思います(実際、現在も自主的報道規制を行っていることは明らかです)。大企業からの広告料収入で経営が成り立っているのに、自立はありえないのではないでしょうか。あるいは、時の政権にたて突いて政権を打倒すべきといったことを主張することは、サラリーマン(記者、編集者、社員、経営者等々)にとってはきわめて大きなリスクを抱えることになり、それを個々の人に求めるのはとても無理な話です(1970年の初めには、雑誌「朝日ジャーナル」が、新左翼過激派に同情的?だということで廃刊となりました)。

 ということで、個々人がそれぞれ新聞記事を無批判に信ずることなく、それぞれが批判的に読み、判断することが大切だと思っています。でも、多くの人々が戦後のへんちくりんなマス・メディアの圧倒的な量の”報道”に流されてしまいがちであるのが実態のようですね。


☆ 2016年02月22日 : 北関東での週末

 北関東をドライブしました。栃木の里山で、早春の花、セツブンソウを観ました。かわいい花ですが、とても地味ですね。水戸の偕楽園にも行ってきました。ちょうど梅まつりが始まったばかりで、賑わっていましたが、花は少し早かったようです。

 大洗では水族館の魚を観たり、イルカ・ショーを楽しみました。ご気楽な週末を過ごしました。

早春に咲くセツブンソウ 水戸偕楽園の梅まつり 大洗水族館のシャーク


☆ 2016年02月17日 : 雪が暴風雨で融けてしまいました

 13日(土)の夜中から14日(日)の朝方まで、山中湖村では暴風雨が吹き荒れました。それまでは、庭にはまだ残雪が20〜30cmくらいあったのですが、写真のとおり雪が融けて、土や低木、構造物がみえるようになりました(先週の写真と比較してみてください)。12日には庭の除雪をし、あまりにも雪が多くてあきらめたほどだったのですが、これで除雪作業の手間を省くことができ、大助かりです。とはいえ、庭にはまだまだ雪があり、通路幅を広げる作業が残っています。

 暴風の被害もありました。カラマツの大枝が薪小屋の屋根(波板)の上に落ち、少し穴が開いてしまいました。その修復作業もしなければなりません。でも、春が近くなったようです。待ち遠しいですね。


雪が融けて土が見える庭です


☆ 2016年02月08日 : 光り輝く雨氷

 6日(土)は、久し振りに山麓探偵団に参加し、篭坂神社の上の矢筈山を散策してきました。2、3日前?に振った雨によってできた雨氷がまだ融けずに残っており、光に照らされてとてもきれいでした。雨氷は山中湖でもなかなか見ることができません。6年前の2月に朝日丘で見て以来です。そのときもとてもきれいで、感動したことを覚えています。ところで、雨氷、樹氷、霧氷などいろいろな似通った言葉があるので、一般の人は混乱してしまいます。それで、私もWikipediaで調べたので、以下に概略を説明します(Wikipediaに書いてある内容もあまりすっきりしていません)。

 雨氷: 過冷却状態の雨(着氷性の雨)が樹枝に付着するときに凍って形成される氷層で、気泡の含有率が少なく、氷は透明である
 樹氷: 過冷却状態の霧(着氷性の霧)が樹枝に付着するときに凍って形成される氷層で、気泡の含有率が多く、氷は白色である
 粗氷: 樹氷と同様に形成されるが、気泡の含有率が少なく、氷は半透明である
 樹霜: 空気中の水蒸気が昇華して樹枝に付着して形成された針状の結晶

 6日(土)の夜中に、山中湖で雪が降り、10cmほど積もりました。久し振りの美しい雪景色に見とれてしまうほどでした。写真はいかがですか?すばらしいですね。ところが、昼前に東京へ戻ろうと、湖畔に出て431号を走り始めたのですが、あまり雪が降った様子がありません。旭日丘では除雪車が出て除雪をしていたのに、旭日丘湖畔から山伏峠まで除雪した様子が見られません。どうも旭日丘から上の方だけ降ったような感じでした。旭日丘は豪雪地帯です!!

雨氷(篭坂峠、2016年2月6日)) 雨氷(旭日丘、2010年2月14日) 朝日に輝く樹上から落ちる粉雪の舞 朝の雪景色

.☆ 2016年02月02日 : ”エントロピー”と山本義隆

 昨年の12月23日の”たわごと”で、”エントロピー”に感動?し、知的興奮を覚えているという話をしました。その時点で、深入りするのをやめておけばよかったのですが、だいぶ以前に「熱学思想の史的展開 熱とエントロピー」という書籍を購入して、流し読みをしたことを思い出し、今年になってその書籍を取り出し、読み始めました。この本は約600頁の大作で、数学を駆使した物理学の専門書ではないのですが、物理学の知識が少ない私にとっては、内容の理解が極めて困難です。ということで、しばらくエントロピーの理解に悩まされそうです。

 この本の著者は山本義隆ですが、名前を知っている人はいますか?私と同年代、すなわち1960年代末に高校生または大学生であった人なら、知っている方も多いかと思います。著者は60年代末は東京大学大学院博士課程(物理学)に在籍しており、東大全学共闘会儀の議長として70年安保闘争の最前線に立って、時の権力と対峙した人です。最後は、彼は東大闘争の責任者として逮捕され、大学院を中退しました。物理学者(素粒子論)としても、将来を嘱望されるような優秀な学者の卵だったようですが、大学(象牙の塔)に戻ることはなく、駿台予備校の講師として働いたようです。講義の内容は生徒に評判がよかったようです。

 その山本義隆が、1980年代からすばらしい物理学の啓蒙書?を出版し続けています。私は、2003年頃に「磁力と重力の発見T、U、V」がパピルス賞、毎日出版文化賞、大仏次郎賞を受賞したことを新聞で知り、早速購入し(大著で大変高価でした)、読みました。その後も彼の何冊かの大著を購入し読みました。でも、当時は仕事も忙しく精読できず、能力の欠如と相まって、ほとんど理解できず、内容も覚えていません。
水彩画作品06:アイリス(模写)

 山本義隆の著作は、先ほど述べたように、数学を駆使した物理学の専門書ではなく、古典物理学の史的発展についての解説書??です。それで、なんとかある程度理解することができるので(何とか文章についていけるというレベルですが)、”エントロピー”を切っ掛けに彼の著作を再度読み始めているところです。ということで、最近は山本義隆の著作を読みながら、知的興奮を覚えています。

 山本義隆は、物理学以外にもたくさんの著作や翻訳を行っていますが、以下に私が読んだ、あるいは読もうとしている物理学の著作を紹介しておきます。
  1.「重力と力学的世界」 1981、現代数学社
  2.「熱学思想の史的展開 熱とエントロピー」 1987、現代数学者(&筑摩書房
  3.「古典力学の形成 ニュートンからラグランジュへ」 1997、日本評論社
  4.「磁力と重力の発見T、U、V」 2003、みすず書房
  5.「十六世紀文化革命T、U」 2007、みすず書房
  6.「世界の見方の転換T、U、V」 2014、みすず書房
    その他多数


☆ 2016年01月25日 : 今年も、大雪?になりました

 昨年1月31日に20cmほどの積雪があったと私の記録にありましたが、今年は庭に約30〜40cmの雪が残っていました(降雪は18日)。一昨年(2014年2月)の1m以上の豪雪に比べればたいしたことはありませんが、それでもかなりの大雪です。

 実は、昨年の雪のとき、除雪車が我が家のレンギョウの垣根に雪を押し付けたり、垣根の上に雪を乗せたりしたので、垣根が痛めつけられ、レンギョウの花の咲き方が弱くなってしまいました。道路の反対側は空き地や林なので、そちら側に雪を寄せればよいのに、わざわざ?家がある側に雪を寄せるとは、とんでもないことです(一昨年のような豪雪のときも同じでしたが、まああのような豪雪では文句は言えないとあきらめました)。それで、今年は抗議の意味を込めて、写真にあるような看板を立て、除雪で垣根を痛めるようなことはしないでくださいとお願いをしました。

 それで、東京を発つときは今年はどうなっているかなと不安な気持ちでしたが、これは驚き!除雪車は雪を垣根に押し付けることはなく、反対側に除雪の多くを積み上げていたではありませんか。さらに驚いたことには、北側の駐車場の入り口の前の道路部分が除雪車によってきれいに除雪されていました。わー、感謝感謝です。もちろん敷地の部分は除雪されていないので、雪かきには苦労しましたが、それでも労働は半分以上軽減され、比較的楽に車を駐車場に入れることができました。

 半信半疑のお願いの看板でしたが、除雪された方(村の除雪車か、富士急アメニティの除雪車かは不明です)の親切な配慮に家内と感激しているところです。紙面を通して除雪された方にお礼を申し上げます。今年レンギョウが元気にたくさんの黄色の花を咲かせてくれるのが待ち遠しいです。

庭の積雪は約30〜40cm つらら(2階の窓から) 除雪車へのお願い看板 駐車場前道路の除雪に感謝!!


☆ 2016年01月18日 : 憲法9条改悪が始まっています

 戦争法案が可決され、”世論”も冷めてきたため、今年になっていよいよ憲法9条の会見を目指した動きが目立ち始めました。憲法9条改悪によって、日本が戦争ができる”普通の国になる”のは安部の一丁目一番地です。9条に絡んで、朝日新聞1月17日版に面白い記事が載っていましたので、概略を照会します。

 私は知りませんが、音楽番組のキャスターであるP.バラカンさんが昨秋東京六本木付近を歩いていたところ、2人の警官に呼び止められたということです。「どこかへ抗議に行かれる予定ですか」、「え?」、「あなたの服に9条と書いてありますので」。彼のシャツの胸に”N°9 NO WAR LOVE & PEACE”という文字がプリントされていたそうです。 「これで僕に質問ですか?」、「抗議活動があれば事前に把握したいので」・・・

 これは別に今までと変わったことだとは思っていません。日本でもとっくの昔から言論統制が敷かれており、最近特に目立ってきたというだけのことです。このキャスターの話の続きに、京都の”九条せんべい”の話も載っていました。以前は”憲法九条ねぎせんべい”といったゴロ合わせの宣伝をやっていたが、今は控えているとの話でした。以前には、9条2項の条文を包装紙に貼っていたこともあるそうです。笑い話では済まされませんよね。軍靴の足音がはっきりと聞こえてくるような気がしますが、年寄りの空耳ならよいのですが。
 


☆ 2016年01月12日 : 新しい年を迎えて(2)

 静岡の三保の松原、日本平、清水魚市場とドライブをしました。最近は、山歩きができないので、”観光”旅行ばかりで、充実感が得られません。それでも、三保の松原から見た富士山は、山梨の富士とは違って、また美しいですね。でも、なぜ三保の松原からの富士の景観が世界遺産の構成要素のひとつなのかは理解できませんでした。日本平では梅の花が少しほころんでいました。本当に今年は暖かいですね。

 ところで、読者のIさんから、前回報告した国道139号線の松姫峠に行ったことがあるというメールをもらい、びっくりしました。それも樹氷がきれいだったというから、冬に行かれたようです。現在は、トンネルが出来たためか、峠への道は封鎖されていました。

 
富士と笠雲(三保の松原より) 梅の花(日本平)


☆ 2016年01月05日 : 新しい年を迎えて

 明けましておめでとうございます。今年の新年は異常なほどの暖かさですね。2日、3日と山中湖に行ったのですが、朝はマイナス3度くらいで、寒さは感じられません。日中は日差しがあって、とても冬とは思えません。トサミズキ、ヒュウガミズキ、クロモジ、ダンコウバイ、シデコブシなどなど、木々が芽を大きく膨らんませていました。

 3日に東京へ戻ったのですが、帰省の大渋滞に巻き込まれないように、大月から国道139号線に入り、松姫峠、小菅村を通り、青梅街道を通る道をとりました。この139号線は、国道にもかかわらず、林道レベルの道路で、今までは松姫峠越えが大変でした。ところが、今回行ってみてびっくり!!いつの間にか?(1年くらい前だそうです)立派な長大トンネルが通じていました。地元の人に聞いたら、以前に比べて30分は短縮されたとのことでした。それにしても、こんな過疎地の山の中にりっぱなトンネルを掘るとは、驚きですね。これで小菅村の活性化がなるのでしょうか。私も村に貢献すべく、道の駅に併設された立ち寄りの湯”小菅の湯”に入り、ゆったりとすごしました。

 さて、私は新年を迎えて、今年の陶芸クラブがおおいに気になっています。早く混乱が収まることを祈念するばかりです。皆様も、今年がよいお年になることを祈念しています。
もう春かな?(トサミズキの芽)



       0.星くずの”たわごと”(Next)
         星くずの”たわごと”(Prev)

         星くずの”たわごと”(Back Number List)
       1.わんだふる山中湖(Top Page)
       
       3.富士山麓トレッキングガイド
       4.山中湖と富士山の写真集