わんだふる パタゴニア(アルゼンチン&チリ) (1)

はじめに

 2014年2月3日(火)から15日(土)の13日間、アルゼンチン(Argentina)とチリ(Chile)にまたがるパタゴニア(Patagonia)地方のツアーに参加してきました。アルゼンチンとチリは日本人にはなじみのある国ですが、首都のブエノス・アイレス(Buenos Aires)やサンチアゴ(Santiago)は知っていても、パタゴニアと聞いてわかる人は少ないように思われます。それもそのはず、今回訪れた南部パタゴニア地方はブエノス・アイレスやサンチアゴから南に3,000kmも離れた地域で、どちらかというと南極の方が近いといった地域です。また、パタゴニア地方は”風の大地”といわれるほど一年中強風が吹く所とも言われています。パタゴニア地方の南端は、学校の地理で習ったマゼラン(Magellan)海峡やホーン(Horn)岬があります。こんな南アメリカの”辺境の地”をたずねてきました。

 実は数年前から、パタゴニアのフィッツ・ロイ(Fitz Roy)山群とパイネ(Paine)山群の麓をトレッキングしてみたいと”夢”を見ていました。毎年のように計画を立てていましたが、ツアーの催行がキャンセルされたり、こちらの時間がうまくあわなかったりして、その都度断念してきました。そして今年ようやく”夢”が実現できたということです。ただし、体力の衰えもあって、トレッキングのツアーは断念して、ミニハイキングと観光のツアーになってしまいました。それでも、本当に素晴らしいパタゴニアの大自然を満喫することができ、感動してきました。

 今回は、カタール航空を使って、成田->ドーハ(Doha)->サン・パウロ(Sao Paulo)->ブエノス・アイレス(Buenos Aires)という西回りの航路でアルゼンチンに向かいました。成田からブエノスアイレスまでは、およそ1日半(約34時間、実フライト時間は約30時間)かかります。アメリカ経由の東回りより多少時間が多いとのことでした。これはこれで覚悟していたのでよいのですが、実際はカタール航空のトラブル(病人発生)で飛行機は1日遅れ、成田を飛び立ったのは翌日の4日で、アルゼンチンでの観光が1日つぶれるということになってしまいました。すなわち、ブエノス・アイレス到着までに2日半ほどかかってしまいました。こんな当初のトラブルもありましたが、その後は天候にも比較的恵まれ、順調で楽しいツアーでした。

 それでは、すばらしかったパタゴニアツアーの一部をご紹介しますので、最後までお付き合いください。

                                                                            2014年3月12日(水)

  1.プロローグ 
  2.パタゴニアへ(往路) :                    2月3日(月)〜6日(木) 
   2.1 東京からブエノスアイレスへ :               2月3日(月)〜5日(水)

   2.2 ブエノスアイレスからエル・カラファテへ :        2月6日(木)
  3.氷河国立公園観光(エル・カラファテ) :          2月7日(金)
  4.エル・カラファテからパイネ国立公園へ :         2月8日(土)
  5.パイネ国立公園ハイク、そしてプエルト・ナタレスへ  : 2月9日(日)
  6.プエルト・ナタレスからプンタ・アレーナスヘ :       2月10日(月)
  
7.プンタ・アレーナスからウシュアイアへ :          2月11日(火)
  8.フェゴ国立公園観光(ウシュアイア) :           2月12日(水)
  9.パタゴニアから東京へ(復路) :               2月13日(木)〜15日(土)

   9.1 ウシュアイアからブエノスアイレスへ :          2月13日(木)
   9.2 ブエノスアイレスから東京へ :               2月13日(月)〜2月15日(土)


                                         
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1.プロローグ

 「はじめに」でも述べましたように、今回のツアーは、アルゼンチン(Argentina)とチリ(Chile)の南部に位置するパタゴニア(Patagonia)地方のツアーです。ブエノス・アイレス(Buenos Aires)からパタゴニアおよびその逆の行程は、国内線の飛行機を利用しますが、パタゴニア内では大型観光バスによるツアーです。アルゼンチンからチリおよびチリからアルゼンチンへと2回国境を通過します。道路はきれいに舗装されており、バスは快適で、インドやパキスタンのような恐怖のバスツアーということはありませんでした。

 訪れたスポットは次のようです。当初最初に訪れる予定であったエル・チャルテン(El Chalten)の村とフィッツ・ロイ(Fitz Roy)山群は、「はじめに」でも述べたましたように、カタール航空のトラブルでキャンセルとなりました。したがって、実際に最初に訪れた所は、アルゼンチンのエル・カラファテ(El Calafate)という町で、そこでは氷山の崩壊で有名なペリト・モレノ(Perito Moreno)氷河を訪れ、氷河上のハイキングと氷河見学をしました。

 次は国境を通過してチリに入国し、パイネ(Paine)国立公園を訪れました。ここでは、パイネの山々を望みながらのハイキングとグレイ氷河(Gray Glacier)の氷河湖を訪れました。その後は、チリ側のパタゴニア地方を南下し、プエルト・ナタレス(Puerto Natales)とプンタ・アレーナス(Punta Arenas)の町を訪れました。途中オトウェイ(Otway)湾のマゼランペンギンのコロニーを見学しました。

 最後は、カーフェリーでマゼラン(Magellan)海峡を横断してフエゴ(Fuego)島に渡り、国境でアルゼンチンに再入国し、アルゼンチンの町であり、世界最南端の町ウシュアイア(Ushuaia)に到着しました。ここでは、ティエラ・デル・フエゴ(Tierra del Fuego)国立公園を訪れ、”世界の果て号”という蒸気機関車に乗って観光しました。またチリとの国境であるビーグル(Beagle)水道のクルージングとアシカとウミウの観察を楽しみました。

 次に、アルゼンチンとチリおよび南部パタゴニアの概略を説明しておきます。
 
1)アルゼンチン(Argentina) :
 国の正式名称は”アルゼンチン共和国”といい、面積は日本の約7.5倍の大きな国土を持った国です。南アメリカ大陸の南部の大半を占めています。首都は北部のブエノス・アイレス(Buenos Aires)で、経緯度はおよそ西経60度、南緯35度となり、東京とはほぼ地球の反対側といったところです(ちなみに、東京はおよそ東経140度、北緯35度です)。時差は日本より12時間遅れとなります(東京が夕方6時のときはプエノス・アイレスは朝の6時です)。ただし、州によって夏時間が導入されるところがあり、ブエノス・アイレスは夏期間は日本との時差が11時間遅れとなります)。人口は約4,000万人で、スペイン系とイタリア系の白人が約97%ということです(スペイン侵略前の現地住民は壊滅ということでしょうか)。国語はスペイン語です。通貨はアルゼンチン・ペソで、1USドルはおよそ8ペソということでした。ブエノス・アイレスの2月はもちろん夏ですが、2月の平均気温は最高が27℃、最低が18℃です。一方パタゴニア地方の町エル・カラファテ(El Carafate)の2月の平均気温は最高が17℃、最低が7℃で、最南端のウシュアイア(Ushuaia)は最高が13℃、最低が4℃です。

2)チリ(Chile) : 
 国の正式名称は”チリ共和国”といい、面積は日本の約2倍で、南北の長さが約4,300km、東西の幅が平均170kmの細長い国土です。その細長い国土は東にアンデス山脈が走り、西は太平洋に面しています。首都は北部のサンティアゴ(Santiago)で、経緯度はおよそ西経70度、南緯35度となります。時差は日本より13時間遅れとなりますが、夏期間中は12時間遅れで、アルゼンチンと同じでした。人口は約1,700万人で、スペイン系白人が約30%、白人系混血が約65%だそうです。国語はスペイン語です。通貨はチリ・ペソで、1USドルはおよそ500ペソでした。サンティアゴの2月の平均気温は最高が29℃、最低が12℃です。パタゴニア地方の町プンタ・アレーナス(Punta Arenas)の2月の平均気温は最高が13℃、最低が6℃です。

 
3)南部パタゴニア(Ptagonia) :
 パタゴニアとは、チリとアルゼンチンにまたがる南アメリカ大陸の最南端部の地域で、南緯40度付近を流れるコロラド川より南の地域を指します。その大きさは日本の面積の約3倍にもなるそうです。今回訪れた地域は、そのパタゴニアの中でも南部の地域です。南部パタゴニアのアルゼンチン側は広大な半砂漠化したパンパの草原が広がっています。アルゼンチンの西側およびチリには長大なアンデス山脈が南北に走って最南端まで続いています。山は鋭く天を突くような岩峰があり、また標高の低い所でもたくさんの氷河が見られます。チリの太平洋沿岸は複雑に入り組んだフィヨルド地形になっています。

 この南部パタゴニア地方は、一年中太平洋側から強い風が吹くことで有名で、”風の大地”と呼ばれています。この強い西風がアンデス山脈に大量の雪をもたらし、広大な大陸氷床を形成しているとのことです。また、山を越えた乾燥した風が、アルゼンチン側を半砂漠化しているということです。

 パタゴニア地域は、16世紀にスペインの侵略者マゼラン(Magellan)が”発見”し、その後スペイン人が入植しました。そこでは、先住民族(セルクナム族、オーナー族、ヤーガン族など)が住んでいましたが、スペイン人に侵略され、”絶滅”してしまったとのことです。本当に、南アメリカ大陸でのスペイン人やポルトガル人の征服、大虐殺には憤りを感じてしまいます(もちろん、世界では他にも民族の大虐殺はありますが・・・)。

 それでは、行程に沿って、写真を添えながらツアーの内容をお伝えします。




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2.パタゴニアへ(往路) : 2月3日(月)〜6日(木)
2.1 東京からブエノスアイレスへ : 2月3日(月)〜5日(水)

 2月3日(月)午後、西武池袋線、山手線を乗り継いで、京急の特急で成田空港に向かいました。午後8時30分に成田空港の出発ロビーに集合です。集合2時間ほど前に、6時間後に大変な事態が起こるとは知らずに、るんるん気分で成田空港第1ターミナルに到着しました。今回のツアー参加者は17名で(添乗員を含めると18名)、成田出発組み13名と関空出発組み4名に分かれていました。今回のツアーは夫婦が多く、6組もいました。男女比はちょうど半々で、年齢はもちろん50代以上と思われます。最高齢は78歳でした。

 ツアー会社より搭乗チケットを受け取り、チェック・インをした後出国審査を受け、22時30分発のカタール(QATAR)航空QR807便の搭乗口に行きました。本来なら、ここで予定通り搭乗し、次の空港ドーハに向かうので、話は簡単なのですが、今回は離陸間際に大変な事態が発生し、ツアー行程は大混乱となってしまいました。そこで、この大事態の経緯を時間を追って説明したいと思います(これは大事態でしたが、振り返ってみれば忘れがたい思い出でもあります)。

 出発30分前の22時に搭乗が始まり、予定よりやや早く飛行機は離陸に向けて動き出しました。しばらく動いていたと思ったら飛行機が止まったので、いよいよ離陸かなと思っていたところ、突然「急病人が発生したので、医師がおられましたらご連絡ください。」という機内アナウンスがありました。ところが、機内には医師はいなかったようで、しばらく飛行機は動かなかったのですが、23時頃になって、「飛行機はゲートに戻ります。」というアナウンスがあり、飛行機は元のゲートに戻りました。

 乗客は機内でずっと待たされました。このときは、当然急病人を降ろした後に(後で分かったのですが、急病人は乗務員だったとのことです)、飛行機は再度出発するものと思っていましたが、日が変った1時頃になって、今度は「管制官より、成田は夜間飛行が禁止されているため、離陸の許可が得られませんでした。一度飛行機から降りていただきます。」というアナウンスでした。えーっ、えーっという思いでしたが、どうにもなりません。乗客は全員飛行機から降りて、出国の取消し手続き(パスポートに”出国取消」のスタンプを押されました)と荷物の受け取りを行い、我々以外誰もいない閑散とした到着ロビーに出されてしまいました。うわー、これは一体どうなるのだろうと、不安が一気に高まりました。

 添乗員は大変です。航空会社から事情と今後の予定を聞きだしていました。その結果、今日4日はとりあえずバスに乗って舞浜のホテルに行き、宿泊することになったそうです。当初は、ホテルが分散するかもしれないという話でしたが、乗客は全員一つのホテルに宿泊するとのことでした。ということで、深夜の2時30分に航空会社の用意した大型バスに乗り、45分ほどで、舞浜のシェラトンホテルに到着しました。もうここで、精神的にも、体力的にも疲れ果ててしまった思いです。しかし、この時点では、明日の予定はまだ分からないということで、とりあえず4日の朝の9時頃には再度ホテルのロビーに集合するようにとのことでした。部屋の割当が決まり、部屋の鍵を受取って、部屋に行きました。とにかく今後の体力維持のためにと、すぐにベッドに入り込んで、寝てしまいました。

 4日(火)、朝8時に目を覚まし、とりあえずホテル内のコンビニのようなところでサンドイッチを買って、腹ごしらえをしました。朝食については、領収書の提示があれば1人当たり2,000円まで支払ってくれるとのことでした(実際は領収書の金額に関わらず、1人当たり2,000円の支払がありました)。そうこうするうちに、添乗員から飛行機が16時に出発する予定なので、昼の12時にホテルロビーに荷物を持って集合するようにという指示がありました。また、ツアーの行程は、3日目から4日目にかけてのチャルテン村とフィッツロイ山麓の観光がキャンセルになるという話がありました。私にとっては、このツアー会社のツアーを選択した大きな理由の一つが、チャルテン村を訪れてフィッツロイ山群を展望することだったので、ちょっとショックでしたが、諦めるしかありませんでした。外は小雨で、ホテルの周りを散歩するわけにもいかないので、やむをえずホテル内をぶらぶらと歩いて、見学をしました。私は日本でこんな高級なリゾートホテルに泊まったことはないので、見るものすべてが珍しかったです。そして12時にロビーに集合しましたが、今度はバスの手配がうまくいかず、しばらく待たされました。ようやく13時にバスがホテル前にやってきたので、成田空港へ再度向かいました。その後の日程など不安が一杯でしたが、とりあえず成田へ向かうことができて、まずは一安心という気持ちでした。

 *メンバーの一人が、今回のツアーは日本を出発していないので、ツアーが成立していないはずである。だから、ツアーのキャンセルを認めるようにという意見を出していました。ツアー会社としては、出国手続きをしたところでツアーは成立しているので、キャンセルは認められないということでした。契約的にはツアー会社の見解が正しいのかなと思いましたが、事態は最近のはやり言葉の”想定外”であって、メンバーの意見にも賛同したくなる気持ちでした。でも、次にまた計画を立てて行こうと考えても、私にとってはそれはとても無理そうなので、是が非でも今回のツアーを成立させて、一部の日程が抜けてもよいからパタゴニアの旅をを楽しんだ方がよいと思いました。

 バスは、14時10分、成田空港第1ターミナルに到着しました。ところが、カタール航空のチェックインカウンターは大変混んでおり、なかなかチェックインが進みませんでした。出発予定の16時頃になって、ようやくツアーの全員がチェックインを済ませることができましたが、ここで何と想像もつかない出来事を見てしまいました。というのは、我々の後にも、かなりの搭乗予定者がチェックインを待っていたのですが、航空会社の職員が突然「お待ちのお客様には大変申し訳ありません。チェックインが遅れており、このままでは飛行機の離陸許可が取消され、再び飛行機が飛び立つことができなくなってしまいます。恐れ入りますが、ここで当航空便のチェックインを締め切らせていただきます。お怒りは大変ごもっともですが、事情をご理解の上、お許しをお願いします。」 私は後ろでこの説明を聞いてビックリ!!搭乗できなかった人達はかわいそうだとは思いましたが、こちらも同情して代ってあげるわけにはいきません。後ろ髪を引かれる思いで、16時15分に2回目の出国手続きを済ませ、搭乗口に駆け足で急ぎ、16時30分に搭乗することができました。メンバーの中には、出国の待ち行列で待たされ、搭乗締め切りの直前にようやく間に合ったという人もいました。

 という大変な混乱の中、とにかく飛行機に乗ったのはよかったのですが、天気が悪化し、激しい雪が降り始めてきました。これでは離陸の許可が出るのか心配でした。飛行機もなかなか動き始めません。再びシェラトンホテルへ戻るという悪夢が頭の中をよぎりました。不安な気持ちで待っていると、18時頃になってようやく飛行機が動き始め、18時20分に成田空港を離陸しました。いやー、3日(月)に成田に集合してから22時間ほど経っていました。こんな体験はもちろんこれを最後にしたいと願うばかりです。

 *関西空港から出発した4名の」ツアー参加者は、もちろん順調に出国して、予定通りドーハに到着し、成田からの参加者を待っていたそうです。そこに添乗員から携帯電話に連絡が入り、成田空港での出来事を聞いたとのことです。添乗員からは、4名は予定通りの便でブエノス・アイレスまで行って、そこで1日待機してほしいという連絡があったので、先にブエノス・アイレスに向かったそうです。関西空港からの参加者もきっと不安だったでしょうね。

 話はこれで終わりではありません。まだまだ想定外が続きます。予定では、実質12時間のフライトでドーハ(Doha)に到着、そこで航空機を乗り継ぎ、サンパウロには実質14時間45分のフライトで到着。さらに2時間55分で目的のブエノスアイレスに到着となっていました。飛行機はもちろん順調にアジア大陸を横断し、ドーハに向かっているはずです。少なくともそう思って、窮屈な座席のなかで寝て過ごしていました。ところがどっこい!!大分ドーハに近づいている頃かなと思っていたところ、またまた緊急の機内アナウンスです。雪による離陸の遅れと強い向かい風のために飛行機は燃料を使い果たしそうなので、パキスタンのカラチに緊急着陸し、給油を受けるということでした。まあジェット燃料がなくなれば飛行機は墜落ということになるので、これもやむを得ないと諦めました。ということで、東京からおよそ10時間30分、パキスタン時間で5日(水)の0時30分頃(東京時間で5日(水)の4時30分頃)にカラチの飛行場に到着し、給油を受けました。ところがところがです。今度は乗務員(全員?)がここで交代するというアナウンスがありました。そして、しばらくすると、機長や乗務員がぞろぞろと客室通路を通って後ろの方へ行ってしまいました(新しい機長や乗務員は見かけませんでした)。こちらは、ただただ唖然とするばかりです。理由は説明がありませんでした。勤務時間オーバーのために交替したのでしょうか?乗客だって、搭乗時間オーバーですよ。カラチに着陸したのは、給油のためではなく、乗務員交替のためだったのかと疑ってしまいました。あきれ返っているうちに、到着から2時間がたち、再度ドーハに向かって飛行機は飛び立ちました。ドーハにはカタール時間で5日(水)の3時過ぎ(東京時間では5日(水)の9時過ぎ)でした。3日(月)に成田に集合してからおよそ1日と12時間かかっています。

 ドーハでは5時間ほど待たされ(右の写真はドーハ空港の待合室の様子です)、カタール時間の5日(水)8時(東京時間は5日(水)の14時)に飛行機は離陸し、アフリカ大陸と大西洋を越えて南アメリカ大陸に向かいました。今度こそは、時間はかかるものの、それに耐えればアルゼンチンに到着するはずです。我慢、我慢です。それにしても、まだサンパウロまでおよそ15時間、2時間の一部乗客の乗換えがあり、ブエノスアイレスまでさらにおよそ3時間です。すなわち、まだまだ20時間も飛行機に乗らなければならないのです。すごいですね!呆れますね!

 後は一応順調に事が進みました。そして、とにもかくにもブラジル時間の5日(水)の16時30分(東京時間は6日(木)の3時30分)にサンパウロ(Sao Paulo)空港に到着しました。そこでは、乗客の乗換えがあり、アルゼンチンへそのまま行く人は機内待機です。これもまた苦難の時間です。そして、いよいよ最後のフライトです。ブラジル時間の18時50分に出発し、2時間30分ほどのフライトでようやくアルゼンチン(Argentina)のブエノス・アイレス(Buenos Aires)に到着しました。到着時間は、ブエノス・アイレス時間で5日(水)の20時15分、東京時間では6日(木)の8時15分でした。3日(月)に成田に集合してから、およそ2日と12時間となりました。うわー!よく頑張ったね!よく頑張ったね!とても60過ぎの人の旅とは思えませんね。元気ですね!!

 早速入国手続きをして、すぐに迎えのバスに乗り、ホテルへ直行しました。ホテルに着くと、部屋の鍵をもらってすぐに部屋に入り、ばったんきゅーと寝てしまいました。明日は9時出発との事でした・・・

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2.2 ブエノスアイレスからカラファテへ : 2月6日(木)

 今日からパタゴニア(Patagonia)のツアーが実質的に始まります。ただし、今日は基本的にはパタゴニアへの移動日です。本来は、飛行機でエル・カラファテ(El Calafate)まで飛んで、そこからバスでエル・チャルテン(El Chalten)村へ行くはずでしたが、成田でのトラブルのため、エル・チャルテン行きは中止となり、旅程の1日がキャンセルということになりました。それで、今日はエル・カラファテ(El Calafate)止まりです。なお、アルゼンチンおよびチリでの現地時間は、東京時間からちょうど12時間遅れです。


 食事は7時からとのことでしたが、疲れが残っていたにもかかわらず、6時には起床しました。空は曇り空で、少し雨が降っていました。今日は実質移動日なので、天気はあまり気にはなりませんでした。6時45分に軽い朝食を食べ、9時にホテルのロビーに集合しました。この時点で初めて関西空港からの参加者4人と合流できました、彼らは、昨日は現地のガイドさんの案内で市内観光を楽しんだそうです。よかった。よかった。(左写真はホテル前の交差点)


 すぐに待っていたバスに乗り、出発しました。今日の予定は、簡単なブエノス・アイレス観光をした後、直ちに国内線の空港へ行き、飛行機でパタゴニアの入り口であるエル・カラファテまで飛びます。観光はどこをどう通ったのかよくわからないのですが、ホテルの近くを観光したようです。案内されたのは次のとおりですが、あまり興味は湧きませんでした。1)道幅140mの7月9日通り、2)高さ60mのオベリスコ(この高さが明日見学するペリト・モノレ氷河の高さと同じくらいなのだそうです)、3)世界三大劇場の一つであるコロン劇場(1857年完成、右写真))。この後は国内線の空港に向かい、10時に空港に到着しました。
 飛行機(ラン航空)は、日程の遅れで当初の予約がキャンセルされ、新たに飛行機の予約を取ったので(東京でやったようです)、18名全員の席が確保できなかったとのことでした。それで、2機の飛行機(ラン航空とアルゼンチン航空)に分かれてエル・カラファテへ向かうことになりました。また、アルゼンチンの国内便の出発は遅れるのは当たり前ということらしく(空港では従業員のデモがありました)、それぞれがエル・カラファテに何時に着くかはよくわからないということでした。まあ、現地に入れば、現地の習慣に従うしかないので、とりあえずグループに分かれてチェックインをし、待合室で待機しました。

 私のグループは、12時5分出発の予定でしたが、実際は12時55分の出発となりました。もう一つのグループは、更に相当遅れたようです。16時頃、飛行機はエル・カラファテ(El Calafate)の空港に到着しました。そこで、後続を待つことなく、迎えのバスに乗り、荒涼とした半砂漠の中の道路を走り(右写真)、16時45分にエル・カラファテ郊外のホテルに到着しました。ようやく4日目にして、パタゴニア(Patagonia)に入ることができました。ようやったぜ!すごいですね!やっほー!!

 こちらでは、日が暮れるのが遅いので、早速歩いて15分くらいの所にあるメインストリートまで行くことにしました。町はとてもきれいで、メインストリートの両側は、ギフト・ショップやレストランがたくさん並んでいました。ここは、フィッツ・ロイ(Fitz Roy)山群のトレッキングの玄関口になるので、スポーツ用具店やトレッキングガイドの店などもたくさんありました。やっと落ち着いて、アルゼンチンを散策することができました。ほっとした気分でした。

メインストリートへ行く途中の家 ギフト・ショップのモール お土産店の前で魔法使い?と エル・カラファテの町を見渡す

 後続組も到着したようで、19時に夕食が始まりました。皆は今回のトラブルに不満もあるようでしたが、とりあえずアルゼンチンの観光の初日が終わり、ほっとした様子でした。また、明日はメイン・イヴェントの一つであるペリト・モレノ(Perito Moreno)氷河の氷上ウォーキングと氷河観光があります。みんな期待に胸を膨らませているようでした。もちろん私もです。これで、ようやく第4日目が終わりです。


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