わんだふる パキスタン 桃源郷フンザ (1)

はじめに

 2013年4月5日(金)から15日(月)の11日間、パキスタンの「花の桃源郷フンザ&バルティスタン」 ツアーに参加してきました。フンザ&バルティスタン地域は、パキスタンの最北部の峻険な山岳地帯にあり、ノーザン・エリア(Northern Area)とも言われています。世間では、パキスタンというと、すぐに治安が悪くて大変危険な国というイメージが広がっていますが、アフガニスタン国境の山岳地帯の一部を除けば、特に治安が悪いとは言えないようです。特に、我々が行ったフンザ&バルティスタン地域は、とてものどかで明るい山村といった所で、日本の山村を思い浮かべるようでした。

 私はいつもは、トレッキング中心のツアーに参加するのですが、私も家内も老化が激しく、高山のトレッキングは断念せざるを得ませんでした。それで、今回のツアーは、バスによる観光ツアーです。従って、旅の目的は、パキスタンの山岳地域の文化・生活に少しでも触れてみたいということと、ツアーのタイトルにもあるように、桃源郷といわれるフンザ地方のアンズの花を見てみたいということでした。できたら、8000m峰であるナンガパルバットもみたいと思っていました。季節的には4月中旬に絞られ、日本からはたくさんのツアーが企画されていました。私が参加したツアーは20名のパーティです。現地でたくさんの日本人を見ていますので、恐らく150名をくだらない日本人がこのノーザン・エリアを訪れているのではないかと思います。

 一部地域では、アンズの花が終わりに近づいていましたが、標高の高い所では満開のアンズの花を見ることができ、白い雪山を背景にアンズの花と新緑のポプラがまばゆいほどで、とてもきれいでした。

 それでは、すばらしかったパキスタン、ノーザン・エリアの一部をご紹介しますので、最後までお付き合いください。

                                                                            2013年5月20日(月)

  1.プロローグ 
  
2.イスラマバードから、シガールへ(往路) : 4月5日(金)〜7日(日) 
   2.1
 東京からイスラマバード :  4月5日(金)
   2.2 イスラマバードからチラス : 4月6日(土)
   2.3 チラスからシガール :     4月7日(日)
  
3.シガール散策 : 4月8日(月)〜9日(火)
  
4.フンザ地方散策  : 4月10日(水)〜11日(木)
  
5.カリマバードからイスラマバードへ(復路) : 4月12日(金)〜15日(月
 

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1.プロローグ

 「はじめに」でも述べましたように、今回のパキスタン「花の桃源郷フンザとバルティスタン」 ツアーは、バスとジープによる観光ツアーです。首都イスラマバードから中国国境のフンジャラーブ峠(4,700m)まではカラコルム・ハイウェーが通っています。ハイウェイを使っての観光ツアーというと、さぞかし快適な旅と想像されるかもしれませんが、とんでもありません。片道およそ700kmの行程を、日本の高速道路とは比べ物にならない悪路の山岳道路を通って行きます。普通の行程なら2泊3日かかります。それに、早朝から夜遅くまでバスに乗っての移動はかなり体力を消耗します。ということで、一般的な観光ツアーとは違って、大変疲労の多い旅でした。

 訪れたスポットは次のようです。最初に訪れた所は、バルティスタン(Paltistan)地域のシガール(Shigar)という小さな村です。小さな昔の城郭を改装した素敵なプチホテルに2泊し(実質の観光は1日間)、村の中を散策しました。次に訪れた所は、フンザ(Hunza)地方のカリマバード(Karimabad)という町で、ここでは3泊して(実質の観光は2日間)、近郊の村を散策しました。ここには日本の登山家長谷川恒夫夫妻が建てた「ハセガワ・メモリアル・スクール(Hasegawa Memorial School)」があり、そこを見学しました。帰路においては、タキシラ(Taxila)という町にある世界遺産のガンダーラ文明の仏教遺跡群も見学しました。

 次に、パキスタンの概略を説明しておきます。
 
 国の正式名称は”パキスタン・イスラーム共和国(Islamic Republic of Pakistan)といい、地理的には、東西をインドとアフガニスタンに挟まれ、北は中国と国境を接し、南はアラビア海に面しています。イギリスの植民地統治時代には英領インドとして、現在のインドと一緒でしたが、1947年にイギリスとの独立戦争に勝ったとき、イスラーム教の国としてインドから分離して独立しました(当時は、今のバングラデシュもパキスタンの一部でしたが、1971年にバングラデシュとしてパキスタンから分離・独立しました)。

 国土の面積は日本の約2倍の79万u、人口は日本よりやや多い約1.6億人とのことです。日本の2倍の国土といっても、北部地域は標高6000m以上の山々が連なる山岳地帯で、南部や西部には広大な砂漠も広がっており、人が住める地域は限られています。首都は北部地域に近いイスラマバード(Islamabad)です。ここは独立後に新しく作られた町です(私は、パキスタンに行くまでは、カラチ(Karachi)が首都だと勘違いしていました)。

 民族は、パンジャーブ人、シンド人、パシュトゥーン人など多数の民族から構成されています。言語はウルドゥーク語が国語、公用語で、英語は公用語です。パンジャービ語が約45%使われており、その他に地方の民族ごとにいろんな言語が使われているとのことです。ちなみに、フンザ地方の人々は、地方独特のブルシャスキー語を話します。

 宗教は、イスラーム教が国教となっており、国民の95%近くがムスリムだそうです。ムスリムの9割近くはスンニ派で、多数を占めていますが、シーア派やイスマイール派もいるとのことでした(フンザにはイスマイール派が多いとのことでした)。

 パキスタンの真ん中を流れるインダス(Indus)川沿いは、かつて世界の4大文明の一つであるインダス文明が栄えた地域です。高校の世界史で習ったことのあるモヘンジョ・ダロやハラッパーなどの世界有数の古代文明の遺跡があり、北西部にはガンダーラ文化の仏教遺跡もあります。古都ラホールには、ムガール朝時代のインド・イスラーム文化の文化遺跡も多数あります。世界から注目を集めて、多くの観光客が世界遺産遺跡を訪れています。(私は、考古学や遺跡にはあまり興味がないので、世界遺産を見学するツアーは今回のツアー選択の対象外でした)。

 また、中国、インドと国境を接する北部は、ヒマラヤ山脈、カラコルム山脈、ヒンドゥークシュ山脈が集まって、峻険な山岳地帯が広がっています。世界第2の高峰K2(8,611m)、ガッシャーブルム(Gasherbrum:8,088m)、ブロードピーク(Broad Peak:8,051m)、ナンガパルバット(Nanga Palbat:8,125m)といった8000m峰が聳え立っており、さらには万年雪を頂く6000m、7000m峰が多数あり、世界中から登山家が集まっています。


 パキスタンの気候は南部のアラビア海沿岸から北部のヒマラヤ高山地帯まで多様な気候が拡がっているようです。今回のツアーは、パキスタン北部の高山地帯で、季節的にはモンスーンの雨季前の乾季で、日本の長野当たりの早春の時期に似た感じがしました。観光中は、夜に少し雨に降られただけでしたが、空がきれいに晴れわたるようなことはほとんどありませんでした。朝は空気がひんやりとしていますが、日中はかなり日差しが強かったです。

 時差は、東京に比べて4時間の遅れとなります。
 
通貨の単位は、”パキスタン・ルピ−”といい、1ルピー=約2円(1USドル=約45ルピー)ですが、日本円はまったく使えませんでした。したがって、USドルを持って行き、現地で両替することになります。酒類は一切厳禁です(ただし、どこにでもあるように、一部では酒が裏で流通しているようです)。

 今回訪問したノーザン・エリア(Norther Area)は、地理的にはとても不便な地域で、多くの山岳民族が独自の慣習をもって住んでいるとのことです。民族ごとに話す言語も全く違っており、宗教もイスラム教ですが、多数派のスンニ派やシーア派、イスマイール派などがあり、民族、文化が複雑に入り混じっているようです。しかし、ノーザン・エリアでは、児童教育の普及や女性の労働技術訓練などの事業が積極的に進められているところもあり、パキスタンの他の地域よりも文化的に解放されているところもあるのだそうです。ノーザン・エリアは峻険な山岳地帯ではありますが、第2次世界大戦後、中国の支援を受けて、カラコルム・ハイウェイ(Karakoram Highway)が首都イスラマバードから国境のフンジャラーブ峠を越えて中国まで繋がっており、中国との物流が盛んであるということです。但し、旅行記の中でも述べますが、ハイウェイはメンテナンスが行われていないため、かなり痛んています。また数年前にがけ崩れによって堰止め湖が出現し、ハイウェイも寸断されて、その部分だけ船による交通を強いられています。現在、中国の協力を得て、新カラコルム・ハイウェイの整備が進められていますので、これが完成されれば、人や物の流通が大きく進むと思われます。。 

 今回のツアーでの移動手段は、20数人乗りの中型バスでした。バスは、インダス(Indus)川やその支流フンザ(Hunza)川に沿って山肌を縫うように続く山道(原則片側1車線)を走りました。イスラマバード(Islamabad)からフンザ(Hunza)までは、ハイウェイ(国道)ということで、基本的には舗装されていましたが、道路はところどころ土砂崩れや工事中などで片側通行となっていたりします。途中分岐してシガール(Shigar)まで行く道はハイウェイではありませんが、こちらも道路事情は同じようなものでした。また土砂崩れで通行止めといったことも珍しくないようで、われわれもブルドーザーが土砂を除去する2時間ほどの間待たされたこともありました。道路状況の悪さと、2,500m以上まで上がる山岳道路ということで、700kmを進むのに、2日掛かりといった状態も想像していただけるでしょうか。でも、私はこのような道路状況はインドのツアーでも体験していたので、心の準備は出来ていました。それでも。体力的にはかなりしんどいものがありました。

 それでは、行程に沿って、写真を添えながらツアーの内容をお伝えします。

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2.イスラマバードからシガールへ(往路) : 4月5日(金)〜8日(月)
2.1 東京からイスラマバード : 4月5日(金)

 4月5日(金)朝、西武池袋線、山手線を乗り継いで、京急の特急で成田空港に向かいました。12時に成田空港の出発ロビーに集合です。今回のツアー参加者は20名で、成田出発組みと関空出発組みに分かれており、それぞれ17名、2名(他に現地参加1名)で、ツアーリーダーを含めて総勢22名のグループでした。男女比は半々で、今までのトレッキングツアーに比べて男性が多い構成でした。年齢はもちろん50代以上と思われます。

 ツアー会社より搭乗チケットを受け取り、チェック・インをした後出国審査を受け、パキスタン航空(PIA)のPK853便の搭乗口に行きました。ここまではすんなりと行ったのですが、事前にツアー会社から注意があったように、今回も飛行機は予定通り出発とはいかず、1時間半ほど待たされてしまいました。一応心の準備をしていましたが、その後のことを考えると、うっとおしい気分でした。
  
パキスタン航空(PIA) パキスタン空港(イスラマバード)
 結局、PK853便は予定から1時間半遅れの15時30分に成田を離陸し、経由地の北京空港に現地時間18時15分(フライトタイムは3時間45分)に到着しました。ここでは、1時間25分の機内待機を強いられます。かなりしんどいものがありますが、一応ほぼ予定通りの1時間40分ほど機内待機をして、現地時間20時55分に北京空港を離陸することができました。まあまあといったところです。そして、ようやく現地時間22時55分にパキスタン空港(イスラマバード)に到着しました。日本との時差は4時間ですから、日本時間で翌6日の2時55分ということになり、実質およそ11時間30分の移動時間でした。家を出てから計算すると、ゆうに20時間くらいたっていました。いやー、初日から大変なツアーです。

 ここで、迎えのバスに乗り、深夜にイスラマバード(Islamabad)のヒルヴュー・ホテル(Hillview Hotel)に到着し、すぐに各自の部屋に散って、お休みとなりました。朝のモーニングコールは、4時45分とのことでした。初日からすごい強行軍続きですね。

2.2 イスラマバードからチラス : 4月6日(土)

 ところで、何故初日からこのような強行軍になったかをお話しておかなければならないと思います。すべてツアー会社の工程の組み方に原因があるわけではありません。実は、ツアー会社のパンフレットでは、2日目はイスラマバードから国内線の飛行機で、シガール(Shigar)に近いスカルドゥ(Skardu)まで飛ぶことになっています。しかし、天候などの事情で国内線の飛行機が飛ばないことがよくあるようで(その日になってみないとわからないということです)、その場合は、バスに乗って途中ベシャム(Besham)という町で一泊し、3日目にシガール(Shigar)に到着となるとのことでした。当然、飛行機が飛ばない場合は、1日以上バスでの移動に時間をとられることになります。

 ところが、ところがです。国内線の運行会社から、旅行の1周間前以上も前に、当日の飛行機は運航されないという通知がツアー会社に入ったそうです(理由はわかりませんが)。それで、ツアー会社では、初めから飛行機が飛ばないことがわかっているなら、イスラマバードを早朝に出発して、当初予定のベシャム(Besham)を通り過ぎて、一気にチラス(Chilas)という町(ベシャムからはおよそ150kmほど離れている)まで行き、そこで1泊して翌日シガール(Shigar)まで行ってしまおうと計画を変更しました。これによって、3日目のシガールまでの行程に少し余裕が出るようです。それがよいかどうかわかりませんが、これがイスラマバード深夜着で、早朝出発となった理由です。出発前に、事前に計画変更は聞かされていたのですが、後で振り返ってみると、すごい計画だったように思います(もともとがすごい計画のような気もしていますが)。

 ということで、まず朝の4時45分にモーニングコールがあり、すぐにスーツケースを出して、5時30分に朝食、6時15分にバス2台に分乗し、あわただしくホテルを出発しました。それぞれのバスにはツアー会社のガイドと現地ガイドさん(1人は日本語が堪能です)が同乗しました。現地ガイドさんはすべての行程で案内してもらいました。始めのうちは、道路も舗装されており、バスに心地よく揺られながら、窓からイスラマバードの市街地の様子を見ていました。ほとんど寝ていないのですが、パキスタンでの初日とあって、少し緊張していたようです。

 最初は、GT(グランドトランク)ロードを走り、しばらくしてハリプールという町でカラコルム・ハイウェイに入ります。ハリプールがカラコルム・ハイウェイ(Karacoram Highway)の0ポイントということです。ここからはひたすらカラコルム・ハイウェイを走ります。途中は、ところどころに田園あり、町(バザール)ありで、しばらくは物珍しく窓外を見ていましたが、だんだんと同じ景色が延々と続くような感じでした。下にバザールでのフルーツ店と、パキスタン名物?のデコトラ(Decoration Truck)の写真を掲載しました。装飾のないトラックを見るのは珍しいほど、パキスタンのほとんどのトラックはこのような派手な装飾が施されています。

イスラマバードのヒルヴューH前

バザールのフルーツ店 フルーツ売りワゴン? ハイウェイを疾走するデコトラ 野菜満載のデコトラ

 途中、アボッタバード(Abbottabad)という学研都市を通りました。ここは、2011年5月にアメリカ海軍特殊部隊によってアルカイーダ司令官ウサマ・ビン・ラディン氏が暗殺された町とのことでした。彼の邸宅は通りからすぐのところにあるようですが、近づくことは禁止されているとのことでした。ご冥福を!

 13時過ぎに、当初宿泊予定であったベシャム(Besham)の町に着き、ホテルで昼食をとりました。ホテルの前はインダス川が流れており、なかなかよい立地のホテルでした(帰路はここに宿泊しました)。その後再び車を走らせ、チラス(Chilas)へ向かいました。結局、チラスに着いたのは夜の9時30分頃でした。遅い夕食後、慌しく部屋に入り、シャワーを浴びるだけで、すぐに寝てしまいました。

ランチ風景(ベシャム) ホテル前のインダス川 悠久の流れ、インダス川

2.3 チラスからシガール : 4月7日(日)

 昨夜は到着が夜であったため、どんなホテルに着いたのかもわからなかったのですが、ホテルはシャングリラヴュー・ホテル(Shangrilaview H)というしゃれた名前のホテルでした。今朝は少しゆっくりで、6時15分にモーニングコールでしたが、その前に目が覚めました。ホテルの裏は広くなっており、インダス川がながれていました。ようやくほっとする時間がとれた感じです。7時に朝食をとり、7時45分、ホテルを出発し、再びカラコルム・ハイウェイをひたすら走ります。そして、ジャグロットという町の近くで、インダス川が東に大きく曲がって、カラコルムハイウェイから離れますが、我々のバスも、インダス川の流れに沿って、東へ折れ、シガール(Shigar)に向けて山岳道路を走ります。道は、カラコルムハイウェイに比べると険しい感じですが、大局的に見れば50歩100歩といったところです。

シャングリラヴューHの裏庭(チラス) インダス川 再びデコトラの登場

 14時、アスタックというところのPTDCに着き、ランチをとりました。PTDCとはPakistanTourismDevelopmentCooperationの略で、パキスタン政府によって運営される国民宿舎のようなもので、バス旅行などでは便利な施設だそうです。食後は、再びバスはひたすら目的地シガール(Shigar)に向かって走り続けます。結局、今日もホテルに着いたのは、暗くなって19時40分頃でした。ホテルは石造りの小さなお城のようで、部屋もエキゾティックな雰囲気の素敵な部屋でした。20時過ぎに、遅い夕食を食べました。今日も1日疲れましたね。

インダス川の深い渓谷 ランチ風景(アスタックPTDC) スカルドゥ手前から望むインダス川


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