わんだふる エジプト(古代文明を歩く) (1)

はじめに

 2015年2月11日(水)から24日(火)の14日間、エジプト(Egypt)のツアーに参加してきました。ツアーのタイトルは、「エジプト周遊 ナイル流域の古代文明と西方砂漠」といった、たいそう大風呂敷を広げたような名前ですが、名前にたがわず、エジプトのナイル川に沿って南から北まで周遊するすばらしいツアーでした。

 エジプトは以前から大変治安状況が悪く、昔?ルクソールやギザなどで観光客が襲われた事件を覚えている方もいるかと思います。最近では、軍部が”アラブの春”で樹立したイスラム政権をクーデターで倒し、戒厳令を敷いているような状態です。私もエジプトはどうかなとも思ったのですが、この年ではトレッキングツアーは難しいし、これを逃したらもう行くこともできなくなるだろうと思い、エジプトツアーを決心したしだいです。

 ところが、今年に入って、イスラム国による日本人の処刑事件が発生しました。もう治安状況が悪くなるばかりです。周りからも、エジプトは大丈夫かと心配されました。それで、旅行会社にツアーが中止になることはないのかと尋ねたのですが、会社としては現地の旅行会社と連絡をとって、万全の警護体制をとっているのでツアーを中止することはありませんという返事でした。ということで、事件に巻き込まれたら、その時はその時だと思うことにして、ツアーに参加することに決心しました。

 私は、世界遺産などを見学して歴史を考えるといった趣味はほとんどありません。パキスタンやトルコで古代の遺跡を観ることもあったのですが、時代背景がほとんどわからず、ガイドの説明が退屈で、飽き飽きとしただけでした。しかし、5000年前から始まる3000年間のエジプトの古代文明は、遺跡の保存状況も大変よく、また文字によって当時の状況が明らかになっています。子供の頃に抱いていた”月と砂漠とピラミッドのエジプト”というイメージから脱却すべく、エジプトの古代文明の全貌を探求するのもよいのではないかと思いました。それで、急遽エジプト古代文明の本を買って読み、昨年東京で開催された”メトロポリタン美術館エジプト・コレクション”を見学し、また今年になって上映された映画”エクソダス”を観るなどして、エジプトの古代文明を理解するのに努めました。この努力?の結果、現地ガイドの説明が大変よく理解できましたし、実際の建造物や神像、宝物などを観ても、イメージがよくわかりました。

 それでは、素晴らしかったエジプト古代文明探索の旅の一部をご紹介しますので、どうぞ最後までお付き合いください。


                                                                            
2015年3月15日(日)

  1.プロローグ 
  2.ルクソール(Luxor)              月11日(水)〜14日(土) 
   
2.1 東京からルクソールへ             月11日(水)
   
2.2 ルクソール博物館、カルナック神殿他    月12日(木)
   
2.3 ルクソール西岸、ルクソール神殿他      月13日(金)
   
2.4 デンデラ、アビドス               月14日(土)
  
アスワン(Aswan)               月15日(日)
   
3.1 エドフ、コム・オンボ              月15日(日)
   
3.2 ファルーカ船、ヌビア博物館 :         月15日(日)
  
アブ・シンベル(Abu Simbel) :       月16日(月)
   4.1 アブ・シンベル神殿他 :            月16日(月)
  
5.アスワン(Aswan)経由カイロ(Cailo)へ   月17日(火)
   5.1 アスワン・ハイダム、フィエラ島 :       月17日(火)
  
6.カイロ(Cailo)&ギザ(Giza)          月18日(水)〜19日(木)
   6.1 エジプト考古学博物館他 :           月18日(水)
   6.2 ギザの3大ピラミッド他 :            月19日(木)
  
7.バハレイヤ・オアシス(Bahariyya Oasis)
                 &西方砂漠
    
2月20日(金)〜21日(土)
   7.1 バネンティウの墓他 :          2月20日(金)
   7.2 黒砂漠、白砂漠他 :            2月21日(土)

  8.アブ・ミーナ(Abu Mena)
      &アレクサンドリア(Alexandria)
 
  2月22日(日)〜24日(火)
   8.1 アブ・ミーナ他 :              2月22日(日)
   8.2 アレキサンドリア博物館他 :      2月23日(月)

   8.3 東京へ :                  2月24日(火)

                                         
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1.プロローグ

 今回のエジプトツアーは、「はじめに」でも述べたように、国内の治安が悪く、ややリスキーなツアーでした。大型バスには、大体小銃を腰にぶら下げた警官が同乗し、バスの乗降の際や遺跡観光の際には、周りに警戒の目を光らせてくれます。また、アスワンとルクソールの間の砂漠ロードでは、各種バス、トラック、乗用車を一列にまとめ、警察車が先導するといった警護方式もとっていました。お陰さまかどうかわかりませんが、トラブルもなくツアーを満喫することができました。感謝です。実はもう一つ不安なことがありました。というのは、今回のツアーで利用する航空機が、昨年のパタゴニアツアーで”大混乱に陥れてくれた”あのカタール航空の航空機で、かつその航空機の便ナンバーもまったく同じものでした。私には、昨年の恐怖のような思いが再びよみがえってくるようで、とても不安でした(「わんだふる パタゴニア(アルゼンチン&チリ)」を参照)。

 それでは、まずエジプト国の概要を説明しておきます。正式国名はエジプト・アラブ共和国です。ご存知でしたか?もちろん私も初めて聞くような感じがします。面積は日本の約2.6倍(約11,450ku)、人口は約7500万人とのことです。首都はカイロ(Cailo)で、民族的にはほとんどがアラブ人で、一部ヌビア人がいるそうです。言語はアラビア語で、宗教は90%がイスラーム教スンナ派で、コプト教(エジプトにおけるキリスト教の一派)が7%ほどいるとのことです。通貨の単位はエジプトポンドで、1エジプトポンドが約15円(1USドルは約7.2エジプトポンド)でした。時差は日本より7時間遅れで、時差はあまり気になりませんでした。気候は、夏は猛暑で、ツアーには適さないそうで、冬の時期がツアーに適しているのだそうです。気候のイメージは、東京の3月くらいの感じで、朝晩は結構寒く感じますが、日中の日差しはかなり強いようでした。雨はほとんど降らないということだったのですが、カイロとアレキサンドリアで少し雨に降られました。

 通常は、国の紹介はこのくらいなのですが、今回のツアーの目的が、ナイル川流域の古代文明の探求でしたので、以下に古代エジプトの時代区分ごとに王朝の概要を簡単に記してみます(王朝は31の王朝で分けるのが通常のようです)。

  1. B.C.6000−B.C.3000 先王朝時代 :                エジプト文明の幕開けで、ナイル川流域に農耕が定着した
  2. B.C.3000−B.C.2682 初期王朝時代(第1〜第2王朝) :    ナルメル王が上下エジプトを統一し、ファラオによる統治が始まる
  3. B.C.2682−B.C.2145 古王国時代(第3〜第8王朝) :      ファラオによる中央集権化が進み、ファラオの強大な権力を誇示す
                                             るために、多くのピラミッドが建造された
  4. B.C.2145−B.C.1793 第1中間期/中王国時代(第9〜第12王朝) : 中央集権体制が崩壊し、地方政権が乱立した
  
5. B.C.1793−B.C.1550 第2中間期 (第13〜第17王朝) :    異民族進行による混乱があり、アジア系ヒクソスの支配を受けた
  
6. B.C.1550−B.C.1070 新王国時代(第18〜第20王朝) :    イアフメス1世がヒクソスを打倒し、古代エジプト史上最高の繁栄
                                             期が500年間続いた。ラメセス2世、ラメセス3世、ハトシェプスト
                                             女王とトトメス3世アメンヘテプ4世(アクエンアテン)、ツタンカ
                                             ーメンなどの有名なファラオはこの時代のファラオです
  
7. B.C.1070−B.C.0525 第3中間期 (第21〜第26王朝) :    国内が分裂し、西アジア諸国(アッシリア、ペルシア)による支配を
                                             受けた
  8. B.C.0525−B.C.0332 末期王国時代(第27〜第31王朝) :   エジプト王朝が斜陽を向かえ、第31王朝で終焉となった
  9. B.C.0332−B.C.0030 プトレマイオス朝時代(プトレマイオス朝) : マケドニア人(ギリシア人)による王権支配の時代(最後が
                                              クレオパトラ7世)


 エジプトの古代文明を理解するには、本来古代エジプト人の太陽信仰を理解する必要がありますが、古代のエジプト人の神々は、日本の八百万(やおよろず)の神々のようにたくさん存在しており、神々の関連も複雑怪奇です。少しは勉強したのですが、信仰にはそれほど興味もない私にとってはどうでもよい思ったので、理解するのを断念しました。よって、紙面の都合上もあり、ここではエジプトの神々の概説は省略します。

 訪れた観光スポットは、以下の順です(地図を参照)。

 1.ルクソール(Luxor): 
   1)ルクソール博物館、カルナック神殿、スーク(マーケット)
   2)ルクソール西岸: メムノンの巨像、王家の谷(ツタンカーメンの
       王墓他)、ハトシェプスト女王葬祭殿、メディネット・ハブ(ラ
       メセス3世葬祭殿
     ルクソール神殿(ライトアップ)
   3)デンデラ(ハトホル神殿)、アビドス(セティ1世葬祭殿)

 2.アスワン(Aswan):
   1)エドフ(ホルス神殿)、コム・オンボ(神殿)、ヌビア博物館
   2)切りかけのオベリスク、アスワンダム

 3.アブ・シンベル(Abu Simbel): 
   1)アブ・シンベル大神殿、小神殿
     アブ・シンベル神殿 音と光のショー
   2)アスワンハイダム、フィエラ島(イシス神殿)
   *夜、寝台列車でカイロに向かう
 4.カイロ(Cailo)&ギザ(Giza):
   1)エジプト考古学博物館、シタデル(モスク)、ハンハリーリバザール
   2)ギザ(クフ、カフラー、メンカウラー王の3大ピラミッド、太陽の船
        博物館、スフインクス像)
     ダハシュール(屈折ピラミッド、赤のピラミッド)
     メンフィス(屋外博物館)
     サッカラ(階段ピラミッドと複合神殿)

 5.バハレイヤ・オアシス(Bahariyya Oasis)&西方砂漠:
   1)ミイラ博物館、パネンティウの墓他
   2)黒砂漠、クリスタルMt,白砂漠、イングリッシュMt

 6.アレキサンドリア(Alexandria):
   1)アブ・メナ(聖ミナス遺跡)
   2)ポンペイの柱、コムエルシュワハのカタコンペ(墓)、
     アレキサンドリア博物館、アレキサンドリア図書館

 それでは、写真を中心に、古代エジプト文明探索の旅をご紹介します。

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2.ルクソール(Luxor) : 2月11日(水)〜14日(土)
2.1 東京からルクソールへ : 2月11日(水)

 2月11日(水)午後7時20分に成田空港の出発ロビーに集合です。その集合場所は、昨年大変恐ろしい思いをした、あのカタール航空のカウンター前でした。それも、搭乗する便は”QR807”で、これも昨年と同じ便です。思い出すのもいまいましい気持ちになるのですが、止むを得ません。ただただ時間通りに飛び立ってくれることを祈るだけでした。

 ところが、集合前にトラブルが発生!事前に宅配便で送っていた荷物を受け取ったのはよいのですが、鍵を開けようとしたところ、一つの鍵が回りません。大変慌ててしまいました。宅配便カウンターでも直しようがないと言うではありませんか。ロビーの端のほうに、スーツケースの修理店があるのでそこで依頼してみたらどうかと言われて、そちらの店に持って行き、修理を依頼しました。店には修理のベテランのおじさんがおり、簡単に直してくれました(鍵穴をクリーニングしただけとのこと)。一般的なスーツケースの修理は3,000円だそうですが、比較的簡単だったため、1,000円にまけてくれました。本当にしょっぱなからトラブルに遭遇して、冷や汗ものでした。

ルクソール空港前

 離陸するまでは、昨年の大混乱が思い出されて不安がいっぱいでしたが、今回の飛行機”QR807”便は、驚くべきことに予定を早めて22:00に離陸てくれました。まずはほっとしました。ドーハまでは実質12時間くらいのフライトタイムです。ところが、ドーハには現地時間で4:30到着予定でしたが、またまた予定と違って1:30にドーハ空港に到着してしまいました。アラブの飛行機でも予定より早く着くことがあるのかとまたびっくりしました。おかげで、ドーハには6時間半も待たされることになりました。

 今度は予定通りに、7:55にエジプトのルクソールに向けてドーハを飛び立ち、ルクソール空港に現地時間の10:25に到着しました。時差は、東京と比べて7時間遅れとなります。フライトタイムは3時間30分です。

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2.2 ルクソール博物館、カルナック神殿他 : 2月12日(木)

 11時15分、大型バスに乗って、ルクソール(Luxor)の街に向かいました。ルクソールは、昔テーベ(Thebes)と呼ばれ、中王国、新王国の時代に首都として大いに栄えた都市です。ルクソールはナイル川をはさんで東岸と西岸に分かれていますが東岸が生活の中心で、西岸は明日訪れる王家の谷などの王墓や葬祭殿などがあるところです。今日はまず東岸の観光です。

 天気は快晴でしたが、特に暑いといった感じはありません。15分ほどで最初の観光場所であるルクソール博物館に到着しました。1時間半ほど博物館の展示物を見学しましたが、館内撮影禁止でしたので、展示物の写真はありません。すばらしい彫像や装飾品、棺などがありましたが、残念ながら説明不可能です。


初めて見るナイル川(博物館前) ルクソール博物館の外観

 1時にシシカバブ・ランチを食べ、その後あの超有名なカルナック(Karnak)神殿に向かいました。神殿はルクソールの北方に位置しています。神殿は国家の最高神であるアメン神を祭る大神殿が中心となっています。バスから降り立って、広い広場に向かうと、前方に大きな城壁のようなものが見えました。その神殿の建造物や彫像の大きさには圧倒されました。古代エジプトの人民が築き上げた巨大な石の構築物を初めて見て、驚くばかりです。ローマやギリシャでも遺跡(建造物)を見ましたが、エジプトの遺跡が3500年前のものと思うと、人間の途方もない”力”に驚愕する思いでした。主な構築物の写真を掲載します。

カルナック神殿前第1塔門 第1塔門と前に並ぶスフインクス スフインクス像(右側) 第2塔門と前の広場?
  第2塔門     大列柱室通り=> <=大列柱群       大列柱上部
ハトシェプスト女王(左)と
トトメス1世(右)のオベリスク
ハトシェプスト女王のオベリスク 倒れているハトシェプスト女王の
オベリスク(レリーフが美しい)
トトメス3世葬祭殿?

、1時間ほど神殿を見学した後、早速スーク(マーケット)に行って、散策しました。ところが驚いたことに、スーク内の通りは閑散としており、お店の人も何となく元気がないように感じました。トルコのマーケットとは大違いです。アラブの春以来、ヨーロッパからの観光客が激減し、商売上がったりとのことでした。これではエジプト経済は大打撃であることがよくわかりました。我々は少しエジプト経済に貢献しているのかなとも考えてしまいました。

 夕方6時頃にホテルに到着しました。先ずは無事で第1日を過ごすことができ、ハッピー、ハッピー。

閑散としたスーク(マーケット)内 店の前で値段交渉するガイド スークの前の馬車 夕日の市街(スーク前から)

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2.3 ルクソール西岸、ルクソール神殿他 : 2月13日(金)

 ルクソールの第2日目です。朝の5時30分に起きました。天気は快晴でしたが、やや肌寒い感じがしました。ホテルはナイル川のそばにあり、リゾート風の素敵なホテルでした。今日は、今回の観光のハイライトの一つであるルクソールのナイル川西岸を観光します。早速8時にバスに乗って出発となりました。なんともはや、強行軍が思いやられそうです。

 ナイル川には橋がないのかなと思っていたのですが、市街地からかなり南のはずれに橋があり、その橋を渡って西岸に入りました。最初に、メムノン(Memnon)の巨像に立ち寄りました。ここは新王国時代のアメンホテプ3世の葬祭殿があった所だそうですが、現在は巨像が2つあるだけでした。まあ、それにしても大きな石像で、驚いてしまいました。


ルクソールのホテル正面 ホテルよりナイル川を望む

 続いて、かの超有名な王家の谷(Valley of the kings)に行きました。ビジターセンターの駐車場でバスを降りたのですが、ここから王家の谷地域全体がカメラの持込が禁止でした。ということで、写真は一切撮ることができませんでした。やむをえず、書籍に掲載されていた谷全体の写真1枚を転載しておきます。

 ビジターセンターの入り口を入ると、遊園地のトロッコ自動車のようなものに乗せられ、チケット売り場の入り口まで連れて行かれます。その入り口を入ると、道の脇に沢山の王墓の入り口がありました。我々は、それらの王墓(60基ほどあるようです)のうち、ツタンカーメン、ラメセス3世、ラメセス9世の3つの墓を見学しました(ツタンカーメンの墓に入るにはもう1枚のチケットが必要でした)。ここも観光客は少ないようで、ツタンカーメンの墓でさえ、入るのに行列を作って並ぶこともありませんでした。写真では紹介できませんが、三つの墓は、入り口から入ると、かなり広い通路がゆるやかな下り坂になっており、突き当たりに玄室がありました。通路の壁面には美しい壁画などが描かれており、感嘆しました。ツタンカーメンの墓以外はすべて盗掘され、宝物はすべて盗まれたとのことですが、あの世(天国か地獄か?)のファラオたちはどのように思っているのでしょうか。私にはありあまる財力で宝物を貯めこみ、隠して保管しようといった、愚かな行為にしか思えません。

メムノンの巨像 メムノンの巨像(右) 王家の谷(空撮写真)

 2時間ほど王家の谷を見学し、再度バスに乗り、近くのハトシェプスト女王葬祭殿(ディール・アル=バハリ)に向かいました。この超有名な葬祭殿は、3つの階段とテラスをもったとても美しく、かつ壮大な建造物です(昔は、左手にメンチュヘテプ2世葬祭殿とトトメス3世大神殿もあったそうですが、今は廃墟となっています)。私は、東京で開催された”メトロポリタン美術館エジプト・コレクション”でその写真を見て、是非現物を見てみたいものだと思っていましたが、予想通りとても素晴らしい建造物でした。葬祭殿の内部は撮影禁止だったので写真はありません。建物の壮大な写真だけでも、その素晴らしさが伝わってくると思います。

ハトシェプスト女王葬祭殿 ハトシェプスト女王葬祭殿 ハヤブサ神像 3階テラスの神像
 ナイル川のほとりでランチを食べた後は、メディネット・ハブ(ラメセス3世葬祭殿)を見学しました。凱旋門を入ると、第1塔門、第1中庭、第2塔門、列柱室、至聖所と続いており、とても大きく立派な建造物でした。書籍にも掲載されていた塔門のレリーフがすばらしく、3000年も前によくこんなレリーフを作成し、それがよく保存されているのに感激しました。また列柱室の柱や天井部分の彩色されたレリーフがきれいでした。なお、この神殿は、後のキリスト教の1派のコプト教徒が修道院として使っていたそうで、そのために比較的保存状態がよいとのことでした。

ナイル川(ランチタイム) ラメセス3世大神殿外壁塔門
<=南大門のレリーフ   セクメト女神像 第1の塔門 第1の中庭?のオシリスの角柱
第2の中庭?の円柱列 塔門のレリーフ(矢を射る戦士) 列柱室の天井画   大円柱とレリーフ=>

 メディネット・ハブを見学後は、バスでいったんナイル東岸に戻り、夕方にホテルに戻りました。そして、1時間ほど休憩した後、再度バスに乗ってライトアップされたルクソール神殿の見学に出かけました。

 このルクソール神殿は、昨日見学したカルナック神殿のアメン大神殿の付属神殿(南のハーレム?)として建立され、両側にスフインクスが並ぶ参道によってカルナック神殿と結ばれていたそうです。第1塔門の前には、本来2本のオベリスクが建っていたそうですが、そのうちの1本は現在フランスのパリのコンコルド広場に建っているものだそうです。本来エジプトには数十本のオベリスクがあったそうですが、数本を残してほとんどがヨーロッパの国に合法的に?略奪されてしまったそうです。そういえば、トルコのイスタンブールにもオベリスクが建っているのを見ましたが、あれもきっと略奪品だったようですね。ヨーロッパ人から道徳のお話を聞くなどということは勘弁してほしいものです。話がそれてしまいましたが、こちらの神殿も、カルナック神殿に劣らず立派な建造物でした。本当にエジプトの古代文明の偉大さ?に驚きました。

第1塔門と1本のオベリスク 第1塔門前のラメセス2世像 ラメセス2世の第1の中庭 中庭の円柱
ラメセス2世の巨像 列柱室     列柱廊=> カルナック神殿に繋がるスフィンクス参道

 今日の夕食は、夜の8時で、ホテル外のレストランで食べました。それにしても、ルクソールの1日目と2日目の古代文明の遺跡には圧倒され、興奮気味でした。すばらしいですね。危険を省みず?、本当に来てよかったと思いました。

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2.4 デンデラ、アビドス : 2月14日(土)

 ルクソールの第3日目です。今日は朝の4時半に起床しました。というのも、今日の観光は、ルクソール市内ではなく、ナイル川に沿って北の方にあるあるデンデラ(Dendera)とアビドス(Abydos)まで行き、そこの古代遺跡を見学するためです。ということで、6時30分にバスは出発しました。(右写真はナイル川)

 まず、8時30分頃デンデラに到着し、ここのハトホル(Hathor)神殿を見学しました。この地は3つの神殿がある聖都だったそうですが、現在はハトホル神殿だけが残っているのだそうです。この神殿は古王朝のクフ王にまで歴史を遡る神殿で、ハトホル女神(古代エジプト神話の愛と幸運の女神)を祭った神殿とのことです。円柱や礼拝室のレリーフの保存状態がよく、素敵でした(神殿内部の写真撮影はOKでした)。神殿の外壁には、あのクレオパトラ7世とカエサル、それに二人の息子カエサリオンの大きなレリーフがありました。クレオパトラのレリーフはこれ一つだそうです。

 
ハトホル神殿 神殿ファサード 円柱列(上部はハトホル神の顔) 壁面のレリーフ
円柱列室の天井絵    正面通路=> <=礼拝室  クレオパトラとカエサリオンのレリーフ

 1時間ほどハトホル神殿を見学した後、再度バスに乗り次の目的地アビドスに向かいました。バスは手間取り、アビドスに着いたのは13時でした。見学の前に、遺跡の前のお店でランチ・ボックスを食べました。

 アビドスはオシリス神(オシリス神話の主人公で冥界の王)の聖地で、エジプト人は一生に一度はアビドス巡礼を行ったのだそうです。現在は、かなり荒廃しているようでしたが、その中のセティ1世神殿を見学しました。この神殿はセティ1世がアビドス巡礼の記念に建造し、ラメセス2世やラメセス4世が引き継いで完成させたとのことでした。神殿内は2つの広い列柱室があり、その奥には7つの祭壇、礼拝室があります。部屋の装飾レリーフはすばらしいものでした(神殿内部の写真撮影はOKでした)。


セティ1世神殿 神殿ファサード    レリーフ&円柱=>
<=正面通路   礼拝室内のレリーフ 壁面のレリーフ ラメセス2世神殿跡?

 1時間ちょっとセティ1世神殿を見学した後、14時40分、バスに乗ってルクソールに向かいました。今日もきれいな神殿を見ることができ、感激しました。ホテルに到着したのは18時過ぎで、暗くなっていました。明日はいよいよナイル川に沿って南方のアスワン、アブ・シンベルへ向かいます。


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