わんだふる 中国ゴールデンルート  

はじめに

 2019年5月8日(水)から14日(火)の7日間、中国の4都市を観光してきました。ツアー会社によればゴールデンルートと呼ぶようですが、巡った都市は、北京、西安(旧長安)、桂林それに上海です。7日間で4都市を回るので、予想通り強行軍の旅でしたが、古代中国(秦時代)から現代中国(中華人民共和国)までの歴史の一部をちょっぴり垣間見ることができ、なかなか楽しい旅でした。中国の歴史はあまりにも膨大なので、現代史の一部を除いてはほとんど高校時代の世界史レベルの知識しか持っておりませんでした。行く前に慌てて簡単な中国史を勉強しましたが、やはり全貌すらつかめませんでした。それにしても、4都市を巡っただけですが(以前に四川省のチベット地区と大連に行ったことがあります)、中国は偉大な国だなあとつくづく思いました。日本は中国に教わりながら発展してきたのが実感できました。

 写真を中心にレポートをしますので、ご覧になってください。

                                                                2019年6月30日(日)

  1.プロローグ
  
2.東京から北京と北京観光 : 5月8日(水)〜9日(木) 
  
3.
西安(旧長安)観光      : 
5月10日(金)〜11日(土)
  
4.桂林観光(漓江下り)    : 5月12日(日)
  5.上海観光&東京へ     : 
5月13日(月)〜14日(火)
  

                                           => Next Page
                                              => わんだふる山中湖(Close)

1.プロローグ

 今回訪問した中国の4都市の位置を理解していただくために、地図を掲載しておきます。参考にしてください。

 中国はお隣の大国であり、飛鳥、奈良時代から日本がお手本としてきた国ですので、ここで私があらためて中国の概要を説明する必要はないと思います。したがって、訪れた4都市についてだけ簡単に説明します。

 まず、北京ですが、言うまでもなく現在の中国(中華人民共和国)の首都です。記録に残る北京の歴史の始まりは紀元前1000年にまで遡るとのことでが、北京と呼ばれるようになったのは明代以降とのことです。明の永楽帝が現在の北京の原型を造り、清代に入り大都市としての形が整ったのだそうです。

 西安(旧長安)はシルクロードの出発地点として、紀元前から秦、漢、隋、唐などが3000年にわたって栄華を誇った都です。西北の都市は、紀元前後の漢代に開拓が始まり、もっとも繁栄したのが7世紀の唐代だそうです。あの有名な玄奘三蔵は、西域諸国を目指して長安の都から出発しました。

 桂林は中国で有数の名勝地で、漓江下りが有名です。しかし、桂林は秦代から交通の要衝であったそうですが、反面”左遷”の街でもあったとのことです。

 最後に、上海は現在中国一の経済都市として発展しています。もとは三角州の漁村に過ぎなかったのですが、19世紀中ごろ、アヘン戦争後の南京条約により開港を強いられ、欧米の列強が進出し、中国侵略の拠点となりました。日本も欧米の帝国に続けと上海に進出しました。当時は欧米や日本の租界が造られ、東洋一の国際都市?ともなりました。1921年には中国共産党が成立、27年には蒋介石がクーデターを起こすなど、歴史の舞台ともなりました。


 


2.東京から北京と北京観光 : 5月8日(水)〜9日(木)

 8日(水)、成田空港を15時15分に出発しました。航空機は中国国際航空CA−026便でした(今後の飛行機はすべて中国国際国空便です)。北京空港には、18:25に到着しました。中国時間は東京より1時間遅れているので、実質フライト時間は4時間10分です。お隣の国だけあって近いですね。でも、中国の入国審査はアメリカ並みの厳しさで、非常に不愉快な思いをしました。現在は、デジカメの電池も含めていかなるリチウム電池も預け荷物に入れることは禁止されており、入国審査時の手荷物検査でも厳しくチェックされました。

 夕食はホテル街のレストランだったので、ホテルに到着したのは夜の10時頃でした。翌朝は7時30分出発と早いので、急いで就寝しました。

 翌9日(木)、5時には起床し、6時10分に朝食、7時30分には集合、出発でした。これから先が思いやられますね。北京の道路が広く(大通りは片側3、4車線が普通?)、きれいでした。また中央分離帯にはバラがたくさん植栽されていたのには驚きました。
 
北京市(バラの中央分離帯)
 最初に向かったのは、日本人観光客向けの寝具マットのショッピング店でした。今回の旅は、このようなショッピングが各都市に用意されており、覚悟の上での参加です。まあ、これで旅行料金が安くなっていると思えば、我慢もできるというところですね。

 その後、北京郊外にある世界遺産の万里の長城(八達嶺)を観光しました。1時間弱散策するだけだったのでそんなに面白いことはなかったのですが、さすがに雄大な構造物を目の当たりに観ることができ、中国の歴史の壮大さに思いを馳せることができました。(注:ここの構造物は、秦の時代の城壁ではなく、明代のものだそうです)。 近くのレストランで、飲茶の昼食をとり、その後北京に戻りました。 

万里の長城(女坂1) 万里の長城(女坂2) 万里の長城(男坂1) 万里の長城(男坂2)

 午後からは、天安門広場と世界遺産の故宮博物院と観光しました。私は、故宮博物院を明・清代の宝物が収められている”博物館”と勘違いしていました。”博物院”とは明代から造営された一群の宮殿がある領域全体のことだそうで、どうもこの全体が世界遺産に登録されているのだそうです。もちろん、宮殿には蒋介石が台湾に持ち帰らなかったたくさんの財宝が収容されているそうです。

 天安門前の広場は本当に広いですね。広場の南端の門に到着したとき、天安門ははるか遠方に小さく見えたほどです。広場には、人民大会堂、人民英雄記念碑、毛主席記念堂、中国国家博物館があると説明を受けましたが、どれがどれだかさっぱりわかりませんでした。

 天安門を潜り抜けると、またまた大きな門が現れました。そこを抜けるとまた門あるいは宮殿といったように、次々と大きな建造物が現れ、どれがどれだかまたわからなくなってしまいました。順番に宮殿や門の名を掲げると、天安門、瑞門、午門、大和門、大和殿、中和殿、保和殿、乾清門、乾清宮、交秦宮、坤寧宮、坤寧門、神武門と続きます。広大な敷地と豪壮な建造物に、感嘆するというより、呆れてしまうほどでした。
広ーい天安門広場
天安門 大和殿 中和殿?? 神武門と外堀

 博物院の観光は2時間ほどで、結構疲れました。写真を見ると人はまばらに見えますが、博物院があまりにも広大なのでそのように見えるだけで、平日にもかかわらず中国の人々が大勢観光していました。明・清の支配者の夢の跡を全国民に開放し、観光地化しているのはよいことですね。ただし、警備が結構厳しく、もう少し自由に歩けるといいのかなとも思いました。

 その後、宝石店のショッピングがあり、夕方にレストランで夕食をとりました。明日は5時出発なので、オプショナルの京劇鑑賞に行くのはやめて、ホテルでゆったりとしました。


3.西安(旧長安)観光 : 2月10日(金)〜11日(土)

 今日は、西安に移動し、西安観光です。4時に起床し、5時北京空港に向けてホテルを出発しました。朝食はバス内での弁当でした。7時35分の飛行機に乗り、西安の飛行場に着いたのが9時45分でした。これでは西安観光の時間がたっぷりととれるというわけですね。ここでも、国内線にもかかわらず、リチウム電池等の荷物チェックが厳しかったです。一行の一人がライターを複数持っていたため、連行され、数万円?の罰金刑を課されました。

 まずは、今回の旅行のハイライトの一つである、世界遺産の兵馬俑坑博物館に向かいました。博物館の入り口では、巨大な秦の始皇帝の白像が出迎えてくれました。ご存知と思いますが、始皇帝は紀元前221年に中国全土を統一した初めての皇帝です。今日本では、始皇帝の中国統一を描いた漫画「キングダム」が人気を博しているのを知っていますか。10年近くかかってようやく50数刊が発行されているようですが、まだまだずっと続くようです。私も帰国後読み始めましたが、歴史書「史記」に基づいており、面白く描かれています。結構中国の戦国時代の勉強になっています。

 博物館の中に入ると、兵馬俑の並んだ光景に圧倒されてしまいました。中国の皇帝とは、紀元前の時代にこんなものを作るほどの統治力、技術力、財力それに文化を持っていたということに驚かされました。中国文明はメソポタミア文明やエジプト文明、ギリシア・ローマ文明に匹敵する文明であったことがよくわかりました。塀や馬の像はすべて表情が異なるのがよくわかりました。現在発掘された兵馬は6000体にのぼるそうで、まだまだ発掘が続いているそうです。驚嘆しました。
兵馬俑坑博物館の始皇帝像 兵馬俑1 兵馬俑2 兵馬俑3
兵馬俑4 兵馬俑5 青龍寺(空海修学) 夜の西安繁華街? 唐歌舞ショウ

 その後、西安の市街に向かいました。途中、車窓から始皇帝陵の小高い丘が遠望できました。レストランで遅めの食事をとった後、空海が修行したと伝えられる唐代の青龍寺を見学しましたが、あまり宗教施設には興味がわきませんでした。夕食は、明代の城門近くのレストランで餃子料理を楽しみました。食後は繁華街?を散策してから、ホテルに到着しました。この日の夜は、オプショナルの唐歌舞ショーを鑑賞しました。きらびやかな歌舞でした。

 翌11日(土)は、西安観光をした後に、夕方次の観光地桂林に向かいます。先ずは、工芸品店でのショッピングに行きました。建物は陜西省管轄の美術館で、素晴らしい絵画や書が展示されていました。その一部の部屋で、省の産業振興のために?日本人相手?の工芸品販売をやっていました。

 続いて、明代に造られた城壁の見学をしました。城壁は一周約12kmあるそうで、城壁の上は幅12mもある立派な遊歩道となっていました。それから、今日二度目の絨毯店のショッピングがありました。絨毯などはまったく興味のない私にとっては、我慢、我慢ですね。最後に、玄奘三蔵ゆかりの大雁塔を観光しました。この塔は、玄奘三蔵がインドから持ち帰った仏教経典を翻訳し、その経典を収めるために建立されたものだそうです。現在は7層の塔で、歩いて最上階まで行くことができました。4方の窓から西安の街を望むことができました。
明代城壁(西門) 明代城壁上部 大雁塔(玄奘三蔵) 大雁塔からの市街地の眺め

 これで西安観光は終り、西安空港に向かいました。ところが18時40分発予定の飛行機が大幅に遅れ、出発は約3時間遅れの21時30分となりました。そうでなくても時間にゆとりのない旅ですので、大変疲れてしまいます。結局桂林の空港に到着したのは23時40分頃でした。もちろんホテル到着は深夜の12時過ぎでした。それでも、翌日の観光は漓江下りで、船の予約があるため、予定通りの7時40分ホテル発となります。大変な旅ですね。

       ==> To Top

4.桂林観光(漓江下り) : 5月12日(日)

 5時30分起床し、朝食を急いでとり、7時40分に漓江下りの出発地磨盤山に向かいました。今日は天気が崩れるそうで、雨合羽と傘を用意しました。ホテルを出る時は曇り空でしたが、出発港に、着いたとたん急にスコールのような雨に見舞われました。這う這うの体で乗船しました。さすが人気の観光コースのようで、遊覧船がたくさん待ち構えており、多くの観光客でごった返しているました。船は9時30分頃に出発しましたが、出発すると雨が小雨になり、その後止みました。しかし霧が出て、遠方を見渡すことができませんでしたが、川の両岸には奇怪な峰々が連なり、山水画のような景色を見ながらゆったりとした川下りを楽しむことができました。到着地点は陽朔で、乗船はおよそ3時間半でした(昼食は、船内での弁当でした)。
漓江下り(1)  漓江下り(2)  漓江下り(3)  漓江下り(4) 
 下船後、街までしばらく歩き、街中を散策しました。途中民芸品店でのショッピングタイムがありました。

 桂林の街へ戻り、ビーフンなどの桂林料理を食べてから、上海に向かうために桂林の空港に向かいました。22時30分桂林を離陸し、上海に着いたのは翌日の1時30分でした。そして、ホテルの到着は3時過ぎでした。これは飛行機の遅れではなく、予定通りです。すごいですね。8日間で4都市を巡るわけですから、止むを得ませんが、それにしてもすごいですね。



桂林のショッピング街 

       ==> To Top

5. 上海観光&東京へ : 2月13日(月)〜14日(火)

 観光の最終日は上海観光です。ホテルでゆっくり寝る時間もなく、6時には起床し、朝食を食べて、9時に出発でした。先ずは、対岸に高層ビル群が望める外灘(ワイタン)という地区に行きました。列強諸国が侵略したときの租界があったところのようですが、私はどこをどう歩いているのか地理的感覚がつかめませんでした。対岸は浦東地区というらしく、その地区は上海の新しい顔と言えるようです。日本の晴海地区や横浜といった所でしょうか、すごい発展ですね。

 次は、豫園(ヨエン)という日本の下町のようなところに案内されました。狭い迷路のような道が縦横に走り、道の両側には店がずらりと並んでいました。ちょうど雨が降り始め、傘をさしての散策となりましたが、見て歩くだけでも楽しい街でした。また、シルクのショッピング店にも連れていかれました。ショッピングはこれが最後です。
 
上海外灘(1)  上海外灘(2)  上海豫園(1)  上海豫園(2) 
 最後の観光は、新天地です。昔のフランスの租界だったのか、ちょっとおしゃれな街並みのある地区でした。まあ植民地時代の建物や通りを見ても、特に面白いことはありませんでした。

 夜は、オプショナルの上海雑技を鑑賞しました。サーカス的なスリルのある曲芸が結構楽しめました。ホテルに戻ったのは、今日も10時過ぎとなりました。体力的には何とか大丈夫でしたが、結構疲れてしまいました。




上海新天地(1)  上海新天地(2)   

 翌15日(水)、朝の5時に起床し、レストランでの朝食
なしで、6時15分にホテルを出発し、上海の空港に向かいました。朝食は社内で配られた弁当を食べました。ハハハ・・・ 安いツアーだから我慢我慢。それにしてもすごい旅ですね。上海の空港を10時に出発し、成田に着いたのは13時50分でした。

 感想は、強行軍の旅でしたが、紀元前から現代までの中国の歴史と素顔を若干垣間見ることができ、とても楽しかったです。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

                                                   => Next Page
                                             ==> To Top
 
                                                 => わんだふる山中湖(Close)