◆ ブレードランナー / Blade Runner(最終版)◆

Blade Runner Video Package 監督:リドリー・スコット
出演:ハリソン・フォード、
   ルトガー・ハウアー、
   ショーン・ヤング
原作:「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」
   フィリップ・K・ディック
1982 年作品、最終版 1991 年


(内容についての記述があるので、映画を観てから以下を読むことを勧めます。)
今年(2001 年)の正月に実家に帰ってだらだらと深夜TVを観ていたら、 BS Hi-Vision で「ブレードランナー(最終版)」の放映があって、 見入ってしまった。かなり前に観たことはあったが、最終版と銘打ったものは 初めてだと思う。記憶違いもあるかもしれないが、以前の版にはなかったシーンが あったり、構成が変わっている部分もあるように思う。 ラストシーンは明らかにかなり違う。

とても感動した。これは名作です。

もちろん名作と言われていたし熱狂的ファンがいたけれども、 今回違う視点から世界が見えてきて、はっきりとわかった。 以前は、未来世界の設定、美術やメカ、アクションのかっこよさに感心し 気を取られていたように思う。 しかし、そんな表象よりも、人間心理、レプリカント(アンドロイド)心理 のやりきれなさに苦しくなる思いがした。 こちらの方が本来のテーマであるのだろう。

人間そっくりの人工物、レプリカントを作ったとする。 人間は機械としてレプリカントをこき使う。 作業機械として、兵器として、セックスの代用品として。 それはあったら便利なものだから、現実に将来開発されてゆくだろう、 そんな予感はする。
機械として扱えるうちはいいが、やがて性能が向上し、人間と見分けが つかないほどのモデルが作成されるようになる。見かけだけじゃなく、 行動も、判断能力も、感情も、人間と変わらない(あるいは人間を超える)。 自分を人間だと信じているものまでいる。
こうなると、いろんなことに混乱が生じる。 見かけでは区別がつかないものに、区別を付けなくてはならなくなるから。 人間を殺してはいけないが、レプリカントを殺しても良いか? レプリカントに恋してしまったらどうする? もちろん 人間を優先したルール があるのだろうが、 判断が必要な瞬間、見分けがつかないのだ。これはとても困る。

視点が変わるが、 やがていつの日か、レプリカントも*あること*に気付き、 その心に疑問が生まれるだろう。 「俺の体にも寿命はあるのか? 死んだらどうなるのだ?」 そして「死にたくない、どうしても」へと心は動いてゆく。人間と変わらない。 これがドラマの始まりとなる。
彼は全力を尽くして不死を願うが、結局それは叶わぬと知る。 どうにもならない。その深い絶望。 しかし、彼は人間と違って「死ぬ」という思考に慣れていないので、 受け入れられない。苦悩、混乱、人間への憎しみ。
そして、ラストの対決へと盛り上がってゆくのだが、 最後の瞬間、彼はおだやかに、それを受け入れる。 雨にうたれるシルエットのなんとも美しいシーン。 主人公は、ルトガー・ハウアー演じるこのレプリカントであると、僕は思う。

21 世紀となった今観てみても、 1982 年に作られた作品とはとても信じられない、映像・ストーリーとも すばらしくクォリティの高い作品。

* ロボットと人間との関係について、 アイザック・アシモフの作った有名な「ロボット三原則」というのがあって、 これに従えば、ロボットは決して人間を傷つけたりしない、 ということになっている。
  1. ロボットは人間に危害を加えてはならない。また何も手を下さずに、 人間が危害を受けるのを黙視していてはならない。
  2. ロボットは人間の命令に従わなくてはならない。 ただし、第一原則に反する命令はその限りではない。
  3. ロボットは自らの存在を護(まも)らなくてはならない。 ただしそれは、第一、第二原則に違反しない場合に限る。
    (『わたしはロボット』伊藤哲訳/創元SF文庫)
しかし、考えはわかるにしても、そんなのは実際には役に立たないだろう、 実装できるわけがない、というのが僕の見解。

「最終版」のビデオ買っちゃいました。[2001/07/20]

2001/04/03 T.Minewaki
2003/03/15 last modified T.Minewaki

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