ホイスコーレの現在
オレ・トフトデール (リュ・ホイスコーレ校長)に聞く |
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オレ・トフトデール
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2008年3月14日に、リュ・ホイスコーレの新校長オレ・トフトデールにインタビューしました。彼はホイスコーレの伝統を守る名門校テストロップ・ホイスコーレの教員を長く務め、父はグルントヴィ・ムーブメントのハメルム農業学校の校長をしていました。いわばホイスコーレ運動の継承者であり、混迷するホイスコーレ運動をどう見るか、インタビューしてみました。(聞き手 清水 満)
90年代後半から2000年代前半にかけて、少子化や実利志向などにより、少なからぬホイスコーレが閉校に追い込まれましたが、最近はホイスコーレも安定した募集数になったようです。近年のホイスコーレの危機は乗り越えられたと思いますか。 私は危機は乗り越えたと思います。たしかに学生を集められなかったホイスコーレは閉校しましたが、その代わりに新しいホイスコーレもまたできました。 「危機」といういい方があるのはたしかで、それに反対するつもりはないんですけれども、統計的な数字を見れば、ホイスコーレに来る学生の同世代における割合はずっと変わっていません。今は若い世代自体が少ないですからね。だから公教育自体も「危機」といえば「危機」なんです。大学などでは考古学を専攻する学生がいないので、学科の存続が問題になっています。そういう意味ではホイスコーレだけが「危機」といわれるのはおかしい。私は学生が来る来ないという意味ではホイスコーレに危機はないと思います。 でも「構造的」にはたしかに危機ですね。それはホイスコーレだけではなく、公教育を含めて現状の教育体制そのものの危機といえます。 問題は90年代中頃から起きたと思います。このときの若者はホイスコーレが大都市から遠く離れた田舎にあることを懸念しました。デネブロー(ドイツとの旧国境に近い地域、ユラン半島南部)やユランの北部にあるホイスコーレは困難を抱えました。だからそれらの多くは(人気があって学生募集で苦労しない)エフタースクールに変身しました。 ホイスコーレはある意味「目覚まし時計」だと私は思っています。今は教育そのものが混迷し、危機にあるのに、旧態依然で眠りつづけています。ホイスコーレはアラームを鳴らしてそれを起こす役割をもつわけですね。なぜならホイスコーレでの教育はとても現代的で前衛的だからです。ここでは何かをしろと強制されることはない。試験や資格のために教員からあれこれ指示されることもない。学生は自分の意欲に応じて内容をつくっていくことができる。 そして目覚まし時計は朝の30分くらいしか役に立たない。だから社会のメイン・ストリームに位置することはないけれど、しかし、社会で何が起きているか、警鐘を鳴らすことができる。ホイスコーレは学生になにをすべきかを教えることはありませんが、今の時代に何が大事か、何が必要なのかを意識させることができます。だから私はホイスコーレは最良の学校で、最も現代的な学校だと思っています。多くの学校が時代をコピーし、ついていくのに精一杯で時代を見ることを忘れています。ホイスコーレは現代とはいったい何かを反省させる学校なんです。 全体集会で発言する学生 前にここに来たときに、政府のホイスコーレ学生への奨学金がなくなり、代わりにコンピュータ学校へ行く学生などに振り向けられたということもホイスコーレの停滞の理由と聞いたんですが、これは本当なんでしょうか。 いや、それは違いますね。ホイスコーレへの政府援助はいつも大きな議論になっています。100年前、政府の援助が始まったときからね。しかし、援助がなくなったことは一度もありません。 ただ、90年代初めまでは失業者がホイスコーレに行くときは奨学金が出ていましたが、それがなくなりました。これが一部のホイスコーレが危機に陥った一因でしょう。でもそれはそれでいいと思います。時代が変われば、こちらも戦略を変えねばなりません。私たちは社会の孤島ではなく、社会から孤立したユートピアではありませんから、社会が変化すればこちらも変化し、自らの位置づけ、役割を社会に示さねばならないのです。 政府から補助金をもらっている以上、社会に対して何らかの義務はあります。それもなしに、金だけよこせ、というわけにはいきません。だからいろんな形で社会に貢献しているということを証明する必要があります。この報告書がなぜ書かれたかはまさにそのためでしょう。 ホイスコーレの歴史の初期は一種の農民学校で、たしかに教育的な要素がありました。当時は多くの人が学校へ行けなかったのですから。人々はホイスコーレにいって民主主義とは何かを学び、必要な知識を学んだのです。 今日では、すべてが変わりました。学生はこのリュ・ホイスコーレやテストロップ・ホイスコーレのような場を探します。そこは学校と文化の中間にあるような場です。学生はここで今日的な関心であるエコロジーを学んだり、自分がいかに生きるかを発見します。 学生にとって必要なことは、私がその報告書の原稿の中で書いたように「世界は何と美しいのだ」ということを知ることなんです。というのも多くの現代の学生は社会的な病理から、精神的に追い込まれ、いろいろな心の悩みを抱えており、それらから解放される必要があるからです。「世界は美しくすばらしいのだ」ということを知ること、それは現代の学生にとって一番必要なことだと思います。もし彼らがホイスコーレに来なければ、ずっとそのような悩みに苦しみ、逃れられないことでしょう。もちろんホイスコーレはセラピーの場ではなく、専門家もいません。でも、ここに来て自分の内面を他者に語り、相互に影響しあうことは、大なり小なりその人の内面に作用するからです。 あなたは前はテストロップ・ホイスコーレにいましたが、そこはグルントヴィの伝統に忠実な学校として有名です。リュ・ホイスコーレもかつては伝統校の一つだったのですが、今はどうでしょう。 前の校長のスヴェンの課題は、悪化した経済状態をいかにしてよくするかということでした。だから、彼はカヌー、マウンテン・バイクなどのアウトドア・スポーツをメインの科目に置きました。それは実際この学校を救ったのです。経済的な意味だけではなく、教育的な意味でもね。学生たちは野外に行き、山などに登って大自然を満喫すると、先ほどいったように「世界はなんて美しいんだ」と感動することができたのですから。だから、私はこういう科目に否定的な感情をもつことはありません。 野外活動家は「今の社会を考えると、このあと50年はこういう科目はすごく重要だ」ともいいます。保守的なホイスコーレ関係者もこういう科目を軽視せず、その教育的重要性を改めて認識しなければならないと思います。うちの担当教員も科目の内容をじっくり考えます。アウトドア・スポーツはある意味、自然の中で哲学をするような科目だともいえます。だから哲学に劣るものではないし、それと対立するものでもありません。 元校長であるイェンス・ボネロップ(故人)は、そういうアウトドア・スポーツに力を入れたモダンなホイスコーレ、たとえばオウア・ホイスコーレみたいなところに対して、強固な反対意見を述べていましたが。 私はホイスコーレ原理主義者ではありません。でもオウア・ホイスコーレにいったことはないし、実際興味もないんですが、「われわれが本来のホイスコーレで、君たちのところはホイスコーレではない」ということはできないし、いう必要もありません。ホイスコーレのような、デンマークのフリースクール、自由な学校の伝統では、どこが正しくてどこがダメなどという基準はありえないのです。「自由」なんですから。 たしかにそうした学校は、伝統的なホイスコーレの要素を部分的には無視し、捨てています。でも、それは新しいチャレンジをするためです。オウア・ホイスコーレもかつてのツヴィン・スクールも、自分たちの新しいチャレンジをするために、ホイスコーレの形式を利用したといえます。 オウア・ホイスコーレがゴルフを科目に取り入れたとき、たしかに大きな議論が起きました。私は「ゴルフが悪くて、これまでの科目がいい」と「判定」したくはありません。しかし、もしオウアが、ただゴルフだけをやり、朝、歌を歌ったり、陶芸や音楽などその他の科目をしないとなれば、それはホイスコーレではないということはできます。 個々の科目がどうだということは誰も判定できないと思います。そういう基準なるものがまかり通れば、政府が補助金を使って、あれをやれ、これを設置せよとコントロールすることを認めることになるでしょう。私はただ自分がこれを置いた方がよいと判断して、コースを設置するだけです。 朝の歌があり、宗教、哲学、音楽などの様々な科目が置かれている。ある者はそれが伝統的なホイスコーレだというでしょう。だけど多くの者はそもそもホイスコーレの伝統が何であるかを考えない。問題はそこにありますね。だから自分たちの好きなものを置いて、それを新しいチャレンジと見なし、前よりはいいんだと思う。だけどその前のものをよく知ってはいないんです。これも大きな議論になっている理由の一つです。 だけど、私はそんな議論に時間を費やしたくない。ゴルフがいいか悪いかなどね。だってそれはホイスコーレの自由というあり方からすれば判断できないんですから。 サルサの授業 では、あなたはこのリュ・ホイスコーレを今後どのような学校にしたいと考えていますか。 う〜ん、それはとてもアクチュアルな質問ですね。いま、私たちは変動の場にいます。どうすべきか、どう変わるべきか、周囲からいろんな質問が投げかけられている。私たちはそういう変化の運動のただ中にいるわけです。でも私は逆にこういう方向に変えようというプランを今、はっきりとはもっていません。というか、変えたくないのです。 今述べたように、ホイスコーレ、フリースクール運動は大きな変革の中にあります。試験を導入しようとか、学校の経営状態を改善し、効率化しよう、投資をどこにすべきか、どのように時代の要請に合わせていくべきかなど。でも私は試験を導入したくないし、単位制にもしたくない。財政は大事ですが、その効率化、コスト削減だけにとらわれたくない。 ある意味では、今のままにとどまろうとしているんです。みなは「発展」が大事だといいます。だからいつも変化していないと気がすまない。ホイスコーレは「目覚まし時計」だといいましたが、前は一年に一回その役割を果たせばよかったのに、今では季節ごとに一回、年に4回そうすべきだといわれます。「発展」とはこういうものです。 ということは、あなたはいい意味での「保守主義者」ということですか? いえるのは、私はこの学校の伝統が好きだということです。私を今ある形にしてくれたこの学校のあり方を愛しています。先ほどのオウア・ホイスコーレですが、そういう意味では彼らはこの学校のありのままが好きではないんでしょう。彼らが愛しているのは、ホイスコーレ以外の何かなんでしょうね。それはホイスコーレとは異なるコンセプトで、それはそれでいいのですが、私の関与する余地はないものです。 |
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