多摩川の源流を求めて
羽村駅から軍旗駅まで
日時: 2017年3月13日(月) 羽村駅改札口9:30集合。今日の目的地は
青梅線軍旗駅(いくさばた)だ。
藤沢7:32→(小田急江ノ島線急行)→8:00町田8:11→(横浜線)→8:39八王子8:42→(中央線)→8:51立川8:57→(青梅線)
→9:17羽村
右岸の自動車道を歩くと距離13.9km、標高差79m。実際に右往左往して歩いた距離は17kmで3km余計歩いたたことになる。
西口から歩きはじめる。前回、玉川上水取水堰から登ってきた「お寺坂」の終点にでみた「馬の水飲み場」にゆく。お寺坂に沿って稲荷神社と称する醜悪な伊勢神宮のような鋼鉄製の神社があるが品が無い。

馬の水飲み場
説明版には「坂下に住んでいた農家の人たちは畑が「ハケ」(河岸段丘)の上にあったので大変苦労していた。肥料や収穫物の運搬は荷車をひく馬にたよっていた
ので坂上にわく、泉を利用してこの馬の水飲み場」を作ったとある。
坂下には鎌倉時代からある古刹の禅林寺があった。大菩薩峠の作家中里介山の墓がある。多摩川の左岸(右か左かは川下に向かって)にそう土手道をゆくとやがて阿蘇神社が
ある。現在の社殿は1676年の再建とのこと。小作取水堰に向かって歩いてゆくと水源から下ってきた2人組に出会う。羽田空港まで歩く予定とか。
山口貯水池に水を送る小作取水堰で多摩川を渡る。川上にはアーチ型の多摩川橋と其の向うに圏央道の橋が見える。

小作取水堰
小作取水堰を渡ると右岸の滝山街道に入る。500m程進んで多摩川橋から来る道との三叉路を過ぎると滝山街道は吉野街道と名が変わる。更に200m歩いた
ところで自動車の騒音が激しいので吉野街道を忌避して圏央道下から脇道を歩く。
しかし脇道も友田小に突き当り吉野街道に戻らざるを得なくなる。吉野街道を600m歩くとまた脇道が見つかる。結局東青梅駅に向かう道に時当たり、下奥多
摩橋を渡って左岸に移る。
橋を渡っってすぐに右岸沿いの道に入る。やがて調布橋にたどりつくが橋を渡らず真っ直ぐに脇道をすすむ。脇道はやがて青梅街道に合流するが300m歩いて
再び脇道に入り、河岸段丘を下って鮎美橋を渡り昼食を取るために「かんぽの宿 青梅」0428-23-1171に向かう。

鮎美橋とかんぽの宿
かんぽの宿の直下には古民家と醤油製造につかった樽が展示されていた。郷土博物館の展示物なのだろう。ここで記念撮影。

醤油製造につかった樽
レストランに営業時間11:00-14:00(閉鎖15:00)の間にたどり着く。7.6km歩いたことになる。
レストランの窓からは右から大塚山(920m)、御岳山(929m)、鍋割山(1083m)、大岳山(1,266m)そして遠くに三頭山(1,597m)
が見える。中央手前は梅郷の裏山であろう。その手前にある橋は万年橋。

レストランの窓からの眺望
かんぽの宿の北側には釡の淵公園がある。ここから柳淵橋を渡って、再び左岸に渡る。

柳淵橋
しばらく左岸をゆく。万年橋は渡らず左岸をゆくと梅市大柳の住宅地の中に男井戸女井戸(おいどめいど)がある。一つの井戸に若い女が転落し、助
けに行った若い男性が間違えて別の井戸に飛び込み二人ともなくたったという昔話がつたわっている。

男井戸女井戸
以後、和田橋まで左岸を行く。一般に左岸のほうが住宅地と川の間に細い生活道はついている。右岸は家の裏口になるので通り抜けの道はつかないためであろう。
とはいえ和田橋から上流は右岸にも脇道がある。和田橋をわたって右岸に入りすぐ川岸の脇道に入る。しかしこれもまた自動車道である奥多摩青梅線に合流する。500m歩く。
この界隈の南側は梅の里になる。2008年にウメ輪紋ウイルス(PPV)という植物の病気の発生。このウイルスを治す薬は無く、感染した木は伐採。これま
でに30,000本を超える梅樹が伐採された。現在、梅の里再生・復興に向けて取り組んでいるという。
再び脇道にはいるが、崖の傾斜は急で、河底には降りられない。西中脇から通学目的で造られた好文橋を渡って左岸に移動する。渓谷にかかる迫力のあ
る
橋だ。

好文橋
眼下には釣り人一人。
釣りを楽しむ人
以後軍旗駅まで左岸をゆく。この界隈は住宅開発が盛んだ。通勤圏内であるからであろう。
途中、陶芸館 グリーンウッドを見つける。
最後の軍旗駅に登る急坂がキツイ。
午后4:00の電車に間に合った。
立川まで移動後夕食をとって散会。
March 26, 2016
Rev. September 16, 2018