百舌鳥・古市古墳群
古代中国史の西嶋定の提唱の大和・河内・和泉の勢力が政治連合を形成した「ヤマト政権」が巨大な古墳を残したという説が考古学者も賛同して、現在の定説と
なっている。墳丘の長さが100mをこえる大型古墳は大和・河内・和泉に集中している。この政治連合の盟主がリーダーをつとめ最大規模の古墳をつくってい
る。これを助けた勢力はそれに準ずる古墳を残している。
オオヤマト古墳群
歴史的にはまず三世紀中期、奈良盆地の東南部に沢山の前方後円墳を残している。そのうち最古のものが箸墓古墳である。ついで西殿塚(にしとのずか)古
墳、そして外山(とび)茶臼山古墳、メスり山、行燈山古墳(第十代崇神天皇)、渋谷向山古墳(第十二代景行天皇)と6代つづくがこの場所での大型古墳の建
設はおわった。

箸墓古墳にて
佐紀古墳群
四世紀後半には奈良盆地北部の後の平城京北辺に佐紀古墳群が営まれる。7代の宝来山古墳(垂仁天皇)、八代目の五社神古墳(神功皇后陵)、コナべ古墳、ウワナベ古墳、ヒシアゲ古墳。以後、中心地は大阪平野部南部に移動。
古市古墳群(河内)、百舌鳥古墳群(和泉)
九代目の王墓は古市古墳群の中の仲ッ山古墳(応神天皇の皇后の仲姫命)、十代目は百舌鳥古墳群の中の上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵)、十一代目は百舌鳥古墳群の中の誉田御廟山古墳(応神天皇陵)、十二代目は百舌鳥古墳群の中の最大の大仙陵古墳(仁徳天皇陵)。
国立歴史民俗博物館 白石太一郎教授
March 25, 2020
Rev. April 6, 2020